徂徠先生答問書 / 卷下
一詩作被成度由能御心付と存候。上代の詩も後世の詩も同事に候。詩作不被成候へば詩經は濟不申物に候。一楚辭國語御覽可被成由一段に存候。其外呂氏春秋淮南子說苑家語戰國策老莊列迄も御覽候事可然存候。智見を廣め候爲、博學候事肝要に候。孔子も博學と被仰候。然所近代の理學者は雜學とて嫌申事聖言に背き申候。只日蓮宗の類と被存候。
新字:一詩作被成度由能御心付と存候。上代の詩も後世の詩も同事に候。詩作不被成候へば詩経は済不申物に候。一楚辞国語御覧可被成由一段に存候。其外呂氏春秋淮南子説苑家語戦国策老荘列迄も御覧候事可然存候。智見を広め候為、博学候事肝要に候。孔子も博学と被仰候。然所近代の理学者は雑学とて嫌申事聖言に背き申候。只日蓮宗の類と被存候。
書き下し
一詩作被成度由能御心付と存候。上代の詩も後世の詩も同事に候。詩作不被成候へば詩経は済不申物に候。一楚辞国語御覧可被成由一段に存候。其外呂氏春秋淮南子説苑家語戦国策老荘列迄も御覧候事可然存候。智見を広め候為、博学候事肝要に候。孔子も博学と被仰候。然所近代の理学者は雑学とて嫌申事聖言に背き申候。只日蓮宗の類と被存候。
現代語訳
一つ。詩作をなさりたいとのこと、よくお気づきだと思います。上代の詩も後世の詩も同じことです。詩作をなさらなければ、『詩経』は理解できないものです。一つ。『楚辞』『国語』をご覧になるとのこと、たいへん結構に思います。そのほか『呂氏春秋』『淮南子』『説苑』『孔子家語』『戦国策』、老子・荘子・列子までもご覧になるのがよいと思います。知見を広めるために、博く学ぶことが肝要です。孔子も「博く学ぶ」と仰せです。ところが近ごろの理学者は、雑学だと言って嫌いますが、これは聖人の言葉に背いています。ただ日蓮宗の類(他宗を排する偏狭な態度)と思われます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之六蓼莪の詩に曰く、之に報いんと欲する徳、昊天極まり罔しと。朱伝に曰く、父母の恩此くの如きを言ふ。之に報いるに徳を以てせんと欲すれども、其の恩の大なること、天の窮まり無きが如く、報を為す所以を知らざるなりと。蓋し徳の字は我の徳を指す。世本古義に曰く、之の徳は上の六句を指し、父母の徳を言ふなりと。窃かに謂へらく、朱伝固より既に明らかなり。然れども古義の説く所の徳の字は上を承けて照応有り。姑く挙げて以て参考に備ふと云ふのみ。
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『徂徠先生答問書』卷下詩書二経御会読被成候半由一段の儀候。孔子の時分は詩書より外に書物は無之候、論語孟子礼記等に引有之候も、外の書と申物は無之、詩云書云と計有之候。詩書を御学候は古代の学問にて候故珍重不過之存候。但し新註ならで其元に無之候由、左候はゞ新註にて成共、本文の文面を済し候迄に御覧可然存候。誠に詩経朱伝は朱子の作の内にて不出来なる物故害も少く候。書経新註は、蔡沈が作にてたわひもなき物に候。書経は旁通通考と申物をつけ御覧被成候がよく御座候。詩経は世本古義と申物能候へ共和板に無之候。せめて説約にて成共御覧可被成候。
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史記 儒林列伝申公之を恥ぢ、魯に帰り、退きて家に居りて教へ、終身門を出でず、復た賓客を謝絶し、独り王命之を召せば乃ち往く。弟子遠方より至りて業を受くる者百余人。申公独り詩経を以て訓と為して以て教ふ、伝無し、疑はしき者は則ち闕きて伝へず。
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『徂徠先生答問書』卷中一詩文章の学は無益なる儀の様に被思召候由、宋儒の詞章記誦などゝ申候を御聞入候事年久敷候故、左様思召候にて可有御座候。まづ五経の内に詩経と申物御座候。是はたゞ吾邦の和歌などの様なる物にて別に、心身を治め候道理を説きたる物にても、又国天下を治め候道を説きたる物にても無御座候。古の人のうきにつけうれしきにつけうめき出したる言の葉に候を、其中にて人情によく叶ひ言葉もよく、又其時その国の風俗をしらるべきを、聖人の集め置き人に教へ給ふにて候。是を学び候とて道理の便には成不申候得共、言葉を巧みにして人情をよくのべ候故、其力にて自然と心こなれ、道理もねれ、又道理の上ばかりにては見えがたき世の風儀国の風儀も心に移り、わが心をのづからに人情に行わたり、高き位より賤き人の事をもしり、男が女の心ゆきをもしり、又かしこきが愚なる人の心あわはひをもしらるゝ益御座候。又詞の巧なる物なるゆへ、其事をいふとなしに自然と其心を人に会得さするの益ありて、人を教へ諭し諷諫するに益多く候。
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『幽夢影』巻下・古人も亦入聲有るに似たり古人は四聲俱に備はる、「六」「國」の二字の如きは、皆入聲なり。今梨園の蘇秦の劇を演ずるに、必ず「六」を讀みて「溜」と爲し、「國」を讀みて「鬼」と爲し、從來入聲に讀む者無し。然れども之を『詩經』に考ふるに、「良馬六之」「無衣六兮」の類の如きは、皆去聲と叶はずして、「祝」「告」「燠」に叶ふ。「國」の字は皆上聲と叶はずして、「陌」「質」の韻に叶入す。則ち是れ古人も亦入聲有るに似たり、未だ必ずしも盡く「六」を讀みて「溜」と爲し、「國」を讀みて「鬼」と爲さざるなり。
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歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
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