徂徠先生答問書 / 卷下
愚老が作辨道の事被仰下候。辨道辨名兩部有之候。此御答幸愚老此間痢病相煩外務を絕居候故、暇にて有之是程に相認進候。此以後多用の節は是程の細答成兼可申候。先此答を半年も得と御覽被成、僉議をも工夫をも付御覽被成、其上にて愚老申條如何樣にも道理有之樣に思召、愚老手筋に從ひ御學候ても御覽可被成思召候はゞ、辨道辨名本屋に申付書寫爲致差越可申上候。左も無御座候はヾ爭の端を長じ、不入事と存候。以上。
新字:愚老が作弁道の事被仰下候。弁道弁名両部有之候。此御答幸愚老此間痢病相煩外務を絶居候故、暇にて有之是程に相認進候。此以後多用の節は是程の細答成兼可申候。先此答を半年も得と御覧被成、僉議をも工夫をも付御覧被成、其上にて愚老申条如何様にも道理有之様に思召、愚老手筋に従ひ御学候ても御覧可被成思召候はゞ、弁道弁名本屋に申付書写為致差越可申上候。左も無御座候はヾ争の端を長じ、不入事と存候。以上。
書き下し
愚老が作弁道の事被仰下候。弁道弁名両部有之候。此御答幸愚老此間痢病相煩外務を絶居候故、暇にて有之是程に相認進候。此以後多用の節は是程の細答成兼可申候。先此答を半年も得と御覧被成、僉議をも工夫をも付御覧被成、其上にて愚老申条如何様にも道理有之様に思召、愚老手筋に従ひ御学候ても御覧可被成思召候はゞ、弁道弁名本屋に申付書写為致差越可申上候。左も無御座候はヾ争の端を長じ、不入事と存候。以上。
現代語訳
私が著した『辨道』のことをお尋ねになりました。『辨道』『辨名』の二部があります。このお答えは、幸い私がこのところ痢病を患って外の務めを断っていたので、暇があり、これほどまでに書き記して差し上げました。今後、用の多いときには、これほど細かくお答えすることはできかねるでしょう。まずこの答えを半年ほどもよくご覧になり、皆で議論もし工夫もしてご覧になり、そのうえで、私の申すことがいかにも道理があるようにお思いになり、私の筋道に従って学んでみようとお思いになったなら、『辨道』『辨名』を本屋に申しつけて書写させ、お送りいたしましょう。そうでないなら、争いの種を増やすだけで、要らないことと思います。以上。
解説
この章句が説くこと
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言志四録・言志晩録 第二十五条 学の次第と本体学に次第有るは、猶ほ弓を執り箭を挟み、引満して発するがごとし。直ちに本体を指すは、猶ほ懸くるに正鵠を以てし、必中を期するがごとし。
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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うひ山ぶみ・本文上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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