洗心洞箚記 / 卷下・第十二條
子謂伯魚曰、女爲周南召南矣乎、人而不爲周南召南、其猶正牆面而立也歟、是其意非註釋之所可及、故三復朱註修身齊家之說、不能得其要也、而父之敎子以此、聖人之外未嘗聞也、
新字:子謂伯魚曰、女為周南召南矣乎、人而不為周南召南、其猶正牆面而立也歟、是其意非註釈之所可及、故三復朱註修身斉家之説、不能得其要也、而父之教子以此、聖人之外未嘗聞也、
書き下し
子、伯魚に謂ひて曰く、女周南召南を為めたるか。人にして周南召南を為めずんば、其れ猶ほ正しく牆に面して立つがごときかと。是れ其の意、註釈の及ぶべき所に非ず。故に朱註の修身斉家の説を三復するも、其の要を得る能はざるなり。而して父の子に教ふるに此を以てするは、聖人の外未だ嘗て聞かざるなり。
現代語訳
孔子は息子の伯魚に「おまえは『詩経』の周南・召南を学んだか。人として周南・召南を学ばなければ、ちょうど垣根に顔を向けて立っているようなものだ」と言った(『論語』陽貨篇)。この言葉の意味は、注釈の及ぶところではない。だから朱子の注の「修身・斉家」の説を何度読み返しても、その要点をつかむことはできない。そして父が子にこのことを教えたというのは、聖人のほかにはいまだ聞いたことがない。
解説
『論語』陽貨篇で孔子が子の伯魚に周南・召南を学べと言った言葉を取り上げ、その意味は注釈では尽くせないと述べる条である。朱子は修身斉家の道を述べた詩だと注したが、中斎はそれを繰り返し読んでも要点には届かないとする。言葉の外にある父の思いや、詩が心を開く働きは、自分で味わわなければわからないということであろう。解説や要約だけで分かった気にならず、原典や現場に自分で向き合うことの大切さを、親が子に何を伝えるかという問いとともに考えさせる。
この章句が説くこと
詩経学問修身斉家教育論語
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『慎思録』巻之六蓼莪の詩に曰く、之に報いんと欲する徳、昊天極まり罔しと。朱伝に曰く、父母の恩此くの如きを言ふ。之に報いるに徳を以てせんと欲すれども、其の恩の大なること、天の窮まり無きが如く、報を為す所以を知らざるなりと。蓋し徳の字は我の徳を指す。世本古義に曰く、之の徳は上の六句を指し、父母の徳を言ふなりと。窃かに謂へらく、朱伝固より既に明らかなり。然れども古義の説く所の徳の字は上を承けて照応有り。姑く挙げて以て参考に備ふと云ふのみ。
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