徂徠先生答問書 / 卷下
宋儒の經學につのり候人は、是非邪正の差別つよく成行、物毎にすみよりすみ迄はきと致したる事を好み、はては高慢甚敷怒多く成申候物に候。風雅文才ののびやかなる事は嫌ひに成行、人柄惡敷成申候事世上共に多御座候。山崎淺見が人柄も大形御聞傳可被成候。是學樣の惡敷而已にても無之候。元來其學流の偏なる所より出でたる事にて候。世上にて俗人の申候は、學問したる人は人柄惡敷と申候事僞にて無之候。御兩所共に國政をも御聞被成候御家筋の由、一入宋學の害を御受不被成樣に仕度存候。惣じて學問の道は心を向上に立て、程朱をいかめしく思召候はゞ程朱程に可成と可被思召候。程朱は誰人にもたよらず直に經書を學び候て漸くあの位に成被申候。今程朱の跡に付御學び候ては、程朱ほどに可成樣曾て無之候。程朱の被學候通に被成御學被成、博く學びたる上にて、兎角程朱の說宜敷思召候はヾ、其時に程朱を御用候がよく御座候。只今程朱を信仰被成候は只人そやめきと申物に候。愚老が門風は、只如此誰にもたよらず直に古聖人の書より見開き候を專途に仕候。
新字:宋儒の経学につのり候人は、是非邪正の差別つよく成行、物毎にすみよりすみ迄はきと致したる事を好み、はては高慢甚敷怒多く成申候物に候。風雅文才ののびやかなる事は嫌ひに成行、人柄悪敷成申候事世上共に多御座候。山崎浅見が人柄も大形御聞伝可被成候。是学様の悪敷而已にても無之候。元来其学流の偏なる所より出でたる事にて候。世上にて俗人の申候は、学問したる人は人柄悪敷と申候事偽にて無之候。御両所共に国政をも御聞被成候御家筋の由、一入宋学の害を御受不被成様に仕度存候。惣じて学問の道は心を向上に立て、程朱をいかめしく思召候はゞ程朱程に可成と可被思召候。程朱は誰人にもたよらず直に経書を学び候て漸くあの位に成被申候。今程朱の跡に付御学び候ては、程朱ほどに可成様曽て無之候。程朱の被学候通に被成御学被成、博く学びたる上にて、兎角程朱の説宜敷思召候はヾ、其時に程朱を御用候がよく御座候。只今程朱を信仰被成候は只人そやめきと申物に候。愚老が門風は、只如此誰にもたよらず直に古聖人の書より見開き候を専途に仕候。
書き下し
宋儒の経学につのり候人は、是非邪正の差別つよく成行、物毎にすみよりすみ迄はきと致したる事を好み、はては高慢甚敷怒多く成申候物に候。風雅文才ののびやかなる事は嫌ひに成行、人柄悪敷成申候事世上共に多御座候。山崎浅見が人柄も大形御聞伝可被成候。是学様の悪敷而已にても無之候。元来其学流の偏なる所より出でたる事にて候。世上にて俗人の申候は、学問したる人は人柄悪敷と申候事偽にて無之候。御両所共に国政をも御聞被成候御家筋の由、一入宋学の害を御受不被成様に仕度存候。惣じて学問の道は心を向上に立て、程朱をいかめしく思召候はゞ程朱程に可成と可被思召候。程朱は誰人にもたよらず直に経書を学び候て漸くあの位に成被申候。今程朱の跡に付御学び候ては、程朱ほどに可成様曽て無之候。程朱の被学候通に被成御学被成、博く学びたる上にて、兎角程朱の説宜敷思召候はヾ、其時に程朱を御用候がよく御座候。只今程朱を信仰被成候は只人そやめきと申物に候。愚老が門風は、只如此誰にもたよらず直に古聖人の書より見開き候を専途に仕候。
現代語訳
宋儒の経学に凝り固まった人は、是非・邪正の区別が強くなっていき、何事も隅から隅まできっちりしたことを好み、果てはひどく高慢で怒りっぽくなるものです。風雅や文才ののびやかなことは嫌いになり、人柄が悪くなることが世間にも多くあります。山崎闇斎・浅見絅斎の人柄もおおよそお聞き及びでしょう。これは学び方が悪いせいばかりではありません。もともとその学流の偏ったところから出たことです。世間で俗人が、学問をした人は人柄が悪いと言うのも、偽りではありません。お二人とも国政にも関わられるお家柄とのこと、ひとしお宋学の害をお受けにならないようにしていただきたいと思います。総じて学問の道は心を高く持ち、程朱を立派だとお思いなら、程朱ほどになろうとお考えなさい。程朱は誰にも頼らず、直接経書を学んで、ようやくあの位になられたのです。今、程朱の後について学ばれては、程朱ほどになれることは決してありません。程朱が学ばれたとおりに学び、博く学んだうえで、やはり程朱の説がよいとお思いなら、そのときに程朱を用いられるのがよいでしょう。今、程朱を信仰なさるのは、ただ人の噂に浮かれているようなものです。私の門風は、ただこのように誰にも頼らず、直接古の聖人の書から見開くことを専らにしています。
解説
この章句が説くこと
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言志四録・言志晩録 第二十五条 学の次第と本体学に次第有るは、猶ほ弓を執り箭を挟み、引満して発するがごとし。直ちに本体を指すは、猶ほ懸くるに正鵠を以てし、必中を期するがごとし。
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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