徂徠先生答問書 / 卷下
一宋學を御止め被成候へと申候儀、第一讀書の爲、扨は文章の爲、扨は經學の爲、扨は御人柄の爲、此四に害有之候。第一讀書の爲と申候は、總て書を見候は、上代の書より見申候事に候。上代より唐朝迄は朱子の新註は無之候。宋朝も朱子同代の書は新註を不用書多御座候。然るを朱註にて經書を見置申候得ば、外の書に經書を引申候所皆義理違申候。然れば宋學を被成候故、唐宋以前の書籍濟兼可申候。是讀者の爲の害に候。第二に文章の爲と申候は、文章に叙事議論の二體有之候。宋儒の書は皆議論にて叙事無之候。文章には叙事を第一に仕候故、叙事の體かき不被得候。且又宋儒の文章は眞にてかきたる假名書に候。詞に風雅なく甚陋敷文字に候故、是に御熟し候得ば、其面影移り、如何程かき候ても註解の極に成行き、誠の文章は書不被得候。是文章の爲の害に候。
新字:一宋学を御止め被成候へと申候儀、第一読書の為、扨は文章の為、扨は経学の為、扨は御人柄の為、此四に害有之候。第一読書の為と申候は、総て書を見候は、上代の書より見申候事に候。上代より唐朝迄は朱子の新註は無之候。宋朝も朱子同代の書は新註を不用書多御座候。然るを朱註にて経書を見置申候得ば、外の書に経書を引申候所皆義理違申候。然れば宋学を被成候故、唐宋以前の書籍済兼可申候。是読者の為の害に候。第二に文章の為と申候は、文章に叙事議論の二体有之候。宋儒の書は皆議論にて叙事無之候。文章には叙事を第一に仕候故、叙事の体かき不被得候。且又宋儒の文章は真にてかきたる仮名書に候。詞に風雅なく甚陋敷文字に候故、是に御熟し候得ば、其面影移り、如何程かき候ても註解の極に成行き、誠の文章は書不被得候。是文章の為の害に候。
書き下し
一宋学を御止め被成候へと申候儀、第一読書の為、扨は文章の為、扨は経学の為、扨は御人柄の為、此四に害有之候。第一読書の為と申候は、総て書を見候は、上代の書より見申候事に候。上代より唐朝迄は朱子の新註は無之候。宋朝も朱子同代の書は新註を不用書多御座候。然るを朱註にて経書を見置申候得ば、外の書に経書を引申候所皆義理違申候。然れば宋学を被成候故、唐宋以前の書籍済兼可申候。是読者の為の害に候。第二に文章の為と申候は、文章に叙事議論の二体有之候。宋儒の書は皆議論にて叙事無之候。文章には叙事を第一に仕候故、叙事の体かき不被得候。且又宋儒の文章は真にてかきたる仮名書に候。詞に風雅なく甚陋敷文字に候故、是に御熟し候得ば、其面影移り、如何程かき候ても註解の極に成行き、誠の文章は書不被得候。是文章の為の害に候。
現代語訳
一つ。宋学をおやめなさいと申したのは、第一に読書のため、次に文章のため、次に経学のため、次にお人柄のため、この四つに害があるからです。第一に読書のためと申すのは、総じて書物を読むには上代の書から読んでいくものです。上代から唐の時代までは朱子の新注はありません。宋代も、朱子と同時代の書物には新注を用いないものが多くあります。それなのに朱注で経書を読んでおくと、他の書物で経書を引いている箇所が、みな意味が違ってきます。ですから宋学をなさると、唐・宋以前の書物が理解しにくくなるでしょう。これが読書のための害です。第二に文章のためと申すのは、文章には叙事と議論の二つの体があります。宋儒の書はみな議論で、叙事がありません。文章では叙事を第一にするので、叙事の体が書けなくなります。また宋儒の文章は、漢字で書いた仮名書きのようなものです。言葉に風雅がなく、ひどく卑しい文字なので、これに慣れると、その面影が移って、どれほど書いても注解のようなものになってしまい、本当の文章は書けません。これが文章のための害です。
解説
この章句が説くこと
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