徂徠先生答問書 / 卷下
扨又天下國家を治むる仕樣を道といふと申候事御合點不參候由、是又宋學に御泥候故左も可有之候。先我道之元祖は堯舜也。堯舜は天子なり。夫より後聖人と稱し候は禹湯文武周公也。何れも皆天下國家を治たる人なり。孔子は此道を傳へ玉へる人也。故に聖人の道は專天下國家を治むる道にて、禮樂刑政の類皆道なり。論語に子游武城宰として絃歌の聲したるを孔子笑玉へば、子游君子學道則愛人小人學道則易使と被申候を御覽候へ。分明に樂の事を道と被申候。孔門の直弟にて名目の違は有間敷候。宋儒の註解にては、此道字埓明不申候故、朱子は默して過され候。五倫といふ物も、是を立ざれば天下は平治ならぬ事故、聖人の立玉へるにて候。聖人の道は、至極の所天下國家平治の爲に建立なされたる事に候。修身事の有之候も、身修まらざれば、下尊信せずして道行はれざるゆへ、君子脩身候。今日の學者も此所より見識を生じて、聖人の道は天下國家を治むる道といふ所より見開候へば六經は掌を指がごとく候。
新字:扨又天下国家を治むる仕様を道といふと申候事御合点不参候由、是又宋学に御泥候故左も可有之候。先我道之元祖は堯舜也。堯舜は天子なり。夫より後聖人と称し候は禹湯文武周公也。何れも皆天下国家を治たる人なり。孔子は此道を伝へ玉へる人也。故に聖人の道は専天下国家を治むる道にて、礼楽刑政の類皆道なり。論語に子游武城宰として絃歌の声したるを孔子笑玉へば、子游君子学道則愛人小人学道則易使と被申候を御覧候へ。分明に楽の事を道と被申候。孔門の直弟にて名目の違は有間敷候。宋儒の註解にては、此道字埓明不申候故、朱子は黙して過され候。五倫といふ物も、是を立ざれば天下は平治ならぬ事故、聖人の立玉へるにて候。聖人の道は、至極の所天下国家平治の為に建立なされたる事に候。修身事の有之候も、身修まらざれば、下尊信せずして道行はれざるゆへ、君子脩身候。今日の学者も此所より見識を生じて、聖人の道は天下国家を治むる道といふ所より見開候へば六経は掌を指がごとく候。
書き下し
扨又天下国家を治むる仕様を道といふと申候事御合点不参候由、是又宋学に御泥候故左も可有之候。先我道之元祖は堯舜也。堯舜は天子なり。夫より後聖人と称し候は禹湯文武周公也。何れも皆天下国家を治たる人なり。孔子は此道を伝へ玉へる人也。故に聖人の道は専天下国家を治むる道にて、礼楽刑政の類皆道なり。論語に子游武城宰として絃歌の声したるを孔子笑玉へば、子游君子学道則愛人小人学道則易使と被申候を御覧候へ。分明に楽の事を道と被申候。孔門の直弟にて名目の違は有間敷候。宋儒の註解にては、此道字埓明不申候故、朱子は黙して過され候。五倫といふ物も、是を立ざれば天下は平治ならぬ事故、聖人の立玉へるにて候。聖人の道は、至極の所天下国家平治の為に建立なされたる事に候。修身事の有之候も、身修まらざれば、下尊信せずして道行はれざるゆへ、君子脩身候。今日の学者も此所より見識を生じて、聖人の道は天下国家を治むる道といふ所より見開候へば六経は掌を指がごとく候。
現代語訳
さてまた、天下国家を治める仕方を道というと申したことに合点がいかないとのこと、これも宋学になじんでおられるので、そうもあるでしょう。まず我が道の元祖は堯・舜です。堯・舜は天子です。それ以後、聖人と称されるのは禹・湯・文王・武王・周公です。いずれもみな天下国家を治めた人です。孔子はこの道を伝えられた人です。ゆえに聖人の道はもっぱら天下国家を治める道であって、礼・楽・刑・政の類がみな道なのです。『論語』で、子游が武城の宰(長官)となったとき、弦歌の声がするのを孔子が笑われると、子游が「君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使ひ易し」と申したところをご覧ください。はっきりと楽のことを道と言っています。孔子の直弟子で、言葉の取り違えがあるはずはありません。宋儒の注解ではこの「道」の字が片づかないので、朱子は黙って通り過ぎておられます。五倫というものも、これを立てなければ天下が平らかに治まらないので、聖人が立てられたのです。聖人の道は、究極のところ天下国家を平らかに治めるために建てられたものです。修身ということがあるのも、身が修まらなければ下の者が尊び信じず、道が行われないので、君子は身を修めるのです。今日の学者も、ここから見識を開き、聖人の道は天下国家を治める道だというところから見ていけば、六経は手のひらを指すように明らかになります。
解説
この章句が説くこと
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