徂徠先生答問書 / 卷下
古聖人の恩如此廣大無邊たる事にて、是等の人は聖人の恩とも不存候は、あまり德の至極に廣大なるは天地とひとしく、天地日月の恩を人知らざるごとくに候。德合天地曰帝とは是等の儀を申候。是等の所よく思召入候はヾ、道は當行の理などゝ申候は、舌の長き儘に聖人へ印可を出したるに罷成と申處思召可被當候。如此人の性相應に建立なされたる事を、子思は率性之謂道と被仰候。修道之謂敎と申候は、道を學び候上の事に候。道は廣大無邊にて、是を學ばんと存候ても、中〳〵手に入不申候故、道を取こなして學び易きやうに節目を立玉へるを敎と申候。國天下を治むるを敎と申候事は先名目の相違に候。六經論語の內に無之事に候。宋儒の例の理學にて、治めも畢竟敎也と道理を以て推ていひたる口上に候。理は聞ゆる樣なれ共、宋儒の理窟と申物に候。古書には無之事に候。敎といふ詞は、いづく迄も學に對する敎と可被思召候。
新字:古聖人の恩如此広大無辺たる事にて、是等の人は聖人の恩とも不存候は、あまり徳の至極に広大なるは天地とひとしく、天地日月の恩を人知らざるごとくに候。徳合天地曰帝とは是等の儀を申候。是等の所よく思召入候はヾ、道は当行の理などゝ申候は、舌の長き儘に聖人へ印可を出したるに罷成と申処思召可被当候。如此人の性相応に建立なされたる事を、子思は率性之謂道と被仰候。修道之謂教と申候は、道を学び候上の事に候。道は広大無辺にて、是を学ばんと存候ても、中〳〵手に入不申候故、道を取こなして学び易きやうに節目を立玉へるを教と申候。国天下を治むるを教と申候事は先名目の相違に候。六経論語の内に無之事に候。宋儒の例の理学にて、治めも畢竟教也と道理を以て推ていひたる口上に候。理は聞ゆる様なれ共、宋儒の理窟と申物に候。古書には無之事に候。教といふ詞は、いづく迄も学に対する教と可被思召候。
書き下し
古聖人の恩如此広大無辺たる事にて、是等の人は聖人の恩とも不存候は、あまり徳の至極に広大なるは天地とひとしく、天地日月の恩を人知らざるごとくに候。徳合天地曰帝とは是等の儀を申候。是等の所よく思召入候はヾ、道は当行の理などゝ申候は、舌の長き儘に聖人へ印可を出したるに罷成と申処思召可被当候。如此人の性相応に建立なされたる事を、子思は率性之謂道と被仰候。修道之謂教と申候は、道を学び候上の事に候。道は広大無辺にて、是を学ばんと存候ても、中〳〵手に入不申候故、道を取こなして学び易きやうに節目を立玉へるを教と申候。国天下を治むるを教と申候事は先名目の相違に候。六経論語の内に無之事に候。宋儒の例の理学にて、治めも畢竟教也と道理を以て推ていひたる口上に候。理は聞ゆる様なれ共、宋儒の理窟と申物に候。古書には無之事に候。教といふ詞は、いづく迄も学に対する教と可被思召候。
現代語訳
古の聖人の恩はこのように広大無辺なので、こうした人々が聖人の恩とも思わないのは、徳があまりに広大で天地に等しいために、人が天地日月の恩を知らないのと同じことです。「徳、天地に合するを帝と曰ふ」とはこうしたことを言うのです。このあたりをよくお考えになれば、道は当行の理などと言うのは、舌の長いのにまかせて聖人に印可を出したことになる、という点に思い当たられるでしょう。このように人の性に相応して建てられたことを、子思は「性に率ふ、之を道と謂ふ」と言われたのです。「道を修むる、之を教と謂ふ」というのは、道を学ぶうえでのことです。道は広大無辺で、これを学ぼうと思ってもなかなか手に入らないので、道をかみくだいて学びやすいように節目を立てられたものを教というのです。国天下を治めることを教というのは、まず名目の取り違えです。六経や『論語』の中にはないことです。宋儒のいつもの理学で、治めることも結局は教だと道理で推して言った口上です。理屈は通るようでも、宋儒の理屈というものです。古い書物にはないことです。「教」という言葉は、どこまでも「学」に対する「教」とお考えください。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、屈原。曰く、道を知らず。漁父の辞に曰く、世人皆濁り、我独り清めり。衆人皆酔ひ、我独り醒めたりと。是れ屈子の自ら其の禍を取る所以にして、子蘭の讒、懐王の不明の能く為す所に非ざるなり。禹曰く、愚夫愚婦も、一能く予に勝ると。孔子曰く、斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なりと。豈に天下を以て皆濁り皆酔へりと為すべけんや。中庸に曰く、上に居りて驕らず、下と為りて倍かず。国道有れば、其の言以て興すに足り、国道無ければ、其の黙以て容るるに足ると。此れ学問の成る所、道徳の熟する所にして、屈子の能く及ぶ所に非ず。
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『童子問』卷中問ふ、上達の時、畢竟如何。曰く、中庸に曰く、富貴に素しては富貴に行ひ、貧賤に素しては貧賤に行ひ、夷狄に素しては夷狄に行ひ、患難に素しては患難に行ふ。君子入るとして自得せざる無しと。此れ是れ上達の功験なり。蓋し学者の道に進むや、其の初め学問と日用と扞格齟齬して、相入ること能はず。真積力久しくして、自ら得る所有るに及べば、則ち向に之を視て以て遠しと為せし者、今始めて近きを得、向に之を視て以て難しと為せし者、今始めて易きを得。漸次に近前し、学問に非ざれば楽しまず、学問に非ざれば言はず。其の愈々熟するに及べば、殆ど布帛菽粟の須臾も離るべからざるが如し。子女臧獲の賤、米塩柴薪の細に至るまで、大凡耳目に接し、日用に施す者、総べて是れ道に非ざる莫し。俗の外に道無く、道の外に俗無し。而して一点の俗気と雖も、亦著け得ず。此れ是れ上達の光景なり。
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『童子問』卷上問ふ、先生は易知易行なる者を是とし、難知難行なる者を非と説く。安んぞ難知難行なる者の真に是にして、易知易行なる者の是に非ざることを知らんや。乞ふ、申ねて論究せよ。曰く、中庸に曰く、「道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり」と。道の真是真非は、実に此に判る。須臾も離るべからざる者は、堯舜孔子の道是れのみ。仏老の道の若きは、之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無し。皆得て離るべし。豈に之を道と謂ふに足らんや。老荘の説は、戦国秦漢の際に盛んなり。浮屠の法は、後漢永平八年に始めて漢土に来たる。唐虞三代の時には皆之無し。然れども天下泰平にして、黎民寿考し、治皆数百年に及ぶ。時に二氏無きを以て其の治を害せざるなり。秦皇・漢武・唐の玄宗・宋の徽宗は最も道教を信ず。然れども政治日に壊れ、国俗日に隳る。仏法は晋・宋・斉・梁・陳・隋に盛んにして、延いて唐宋に及ぶ。六朝の間、乱亡相尋ぐ。時に二氏有るを以て其の乱を救はざるなり。唐宋頗る小康なりと雖も、本仏法に関はるに非ず、亦太平と為すに足らず。則ち豈に之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無きに非ずや。堯舜孔子の道の若きは、一日之を離るれば、則ち天下の君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友、皆其の所を失ふ。豈に須臾も離るべからざるの道に非ずや。其の真是真非も亦判然たり。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『童子問』卷上中庸に曰く、「君子の道は、諸を身に本づけ、諸を庶民に徴し、諸を三王に考へて謬らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質して疑ひ無く、百世以て聖人を俟ちて惑はず」と。言ふこころは、聖人の道は、之を己に求め、之を人に察し、之を往古に考へ、之を来世に推し、之を天地鬼神に徴して、皆合はざる所無し。山川草木・禽獣虫魚・蚑行喙息の微に至るまで、徴して合はざる無く、推して通ぜざる無し。天下の達道なるが故なり。夫の隠微の説・高妙の理の若きは、之を視れども見る所無く、之を聴けども聞く所無し。之を人倫風俗に求むれば皆悖る。見るべし、天地の間本来此の理無きことを。其の実是実非、断じて知るべきなり。
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