徂徠先生答問書 / 卷下
しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の說盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下國家はおのづから治まると思取より、事は替れ共佛老の意地に陷候。釋迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして國天下も持不申身故、其道專ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は德を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書經も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も德を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道傳はる時は、聖賢在世のごとく天下國家平治なすべき樣を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相繼で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も學玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只德を以て天下を治むる事計を會得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好學との玉ひ、博く學び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は學者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の眞實なるを不知也。
新字:しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の説盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下国家はおのづから治まると思取より、事は替れ共仏老の意地に陥候。釈迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして国天下も持不申身故、其道専ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は徳を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書経も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も徳を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道伝はる時は、聖賢在世のごとく天下国家平治なすべき様を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相継で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も学玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只徳を以て天下を治むる事計を会得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好学との玉ひ、博く学び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は学者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の真実なるを不知也。
書き下し
しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の説盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下国家はおのづから治まると思取より、事は替れ共仏老の意地に陥候。釈迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして国天下も持不申身故、其道専ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は徳を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書経も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も徳を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道伝はる時は、聖賢在世のごとく天下国家平治なすべき様を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相継で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も学玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只徳を以て天下を治むる事計を会得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好学との玉ひ、博く学び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は学者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の真実なるを不知也。
現代語訳
ところが後世の儒者は見識が低く器量が小さく、何事も我が身一つのこととして受けとめるので、心法や理屈の説が盛んになり、今日の修行によって聖人になろうと求めるのです。聖人になれれば天下国家は自然に治まると思い込むところから、形は違っても仏教や老荘の心持ちに陥っています。釈迦は乞食の身の上で、家もなく妻子もなく、まして国や天下も持たない身ですから、その道はもっぱら我が身一つのことです。このあたりが聖人の道の大きな分かれ目です。帝嚳以前は徳によって天下を治められました。堯・舜に至って初めて道を建てられたので、孔子も「堯舜を祖述す」と言い、また『書経』も堯舜から始まるのは、我が道の元祖だからです。堯・舜も徳で天下を治めようとされたのなら、道を建てるには及ばなかったはずです。聖人や賢者がいない世であっても、この道が伝わっていれば、聖賢が世にいるときと同じように天下国家を平らかに治められるようにと工夫なさって建てられたもので、禹・湯・文王・武王・周公が相継いで修補されたのです。それゆえ孔子も学ばなければ道を知ることはできなかったのに、宋儒はただ徳で天下を治めることばかりを会得して、道というものを知りません。そのため孔子が「学を好む」と言われ、博く学ばれたことの解釈がはっきりせず、あるいは謙遜の言葉だと言い、あるいは学者を励ます言葉だなどとごまかしているのです。これは自分の考えで聖人を推し量り、聖人の言葉の真実を知らないのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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老子 第1章道たる可く道も、常の道に非ず。名たる可く名づくるも、常の名に非ず。名無くして天地の始まり、名有りて萬物の母。故に常に欲無くして以てその妙を観、常に欲有りて以てその窮を観。此二つは、同じく出でて異なる名、同じく之を玄と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。
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論語・微子篇柳下恵、士師と為り、三たび黜けらる。人曰く、「子未だ以て去る可からざるか。」曰く、「道を直くして人に事うれば、焉くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」
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孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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うひ山ぶみ・第二十一段そもそも此道は、天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道なるが、ひとり皇国に伝はれるを、其道は、いかなるさまの道ぞといふに、
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