童子問 / 卷上
問。先生說易知易行者是。而難知難行者非。安知難知難行者之眞是。而易知易行者之非是乞申論究。曰。中庸曰。道也者。不可須臾離也。可離非道也。道之眞是眞非。實判於此。不可須臾離者。堯舜孔子之道是已。若佛老之道。有之而無益干天下。無之而無損干天下。皆可得而離焉。豈足謂之道邪。老莊之說。盛干戰國秦漢之際。浮屠之法。後漢永平八年始來于漢土。唐虞三代之時皆無之。然天下泰平。黎民壽考。治皆及數百年。時不以無二氏。而害其治也。秦皇漢武唐玄宗宋徽宗最信道敎。然政治日壞。國俗日隳。佛法盛干晉宋齊梁陳隋。延及唐宋。六朝之間亂亡相尋。時不以有二氏。而救其亂也。唐宋雖頗小康。本非關佛法。亦不足爲太平。則豈非有之而無益于天下無之而無損于天下乎。若堯舜孔子之道。一日離之。則天下君臣父子夫婦昆弟朋友皆失其所。豈非不可須臾離之道乎。其眞是眞非亦判然矣。
新字:問。先生説易知易行者是。而難知難行者非。安知難知難行者之真是。而易知易行者之非是乞申論究。曰。中庸曰。道也者。不可須臾離也。可離非道也。道之真是真非。実判於此。不可須臾離者。堯舜孔子之道是已。若仏老之道。有之而無益干天下。無之而無損干天下。皆可得而離焉。豈足謂之道邪。老荘之説。盛干戦国秦漢之際。浮屠之法。後漢永平八年始来于漢土。唐虞三代之時皆無之。然天下泰平。黎民寿考。治皆及数百年。時不以無二氏。而害其治也。秦皇漢武唐玄宗宋徽宗最信道教。然政治日壊。国俗日隳。仏法盛干晋宋斉梁陳隋。延及唐宋。六朝之間乱亡相尋。時不以有二氏。而救其乱也。唐宋雖頗小康。本非関仏法。亦不足為太平。則豈非有之而無益于天下無之而無損于天下乎。若堯舜孔子之道。一日離之。則天下君臣父子夫婦昆弟朋友皆失其所。豈非不可須臾離之道乎。其真是真非亦判然矣。
書き下し
問ふ、先生は易知易行なる者を是とし、難知難行なる者を非と説く。安んぞ難知難行なる者の真に是にして、易知易行なる者の是に非ざることを知らんや。乞ふ、申ねて論究せよ。曰く、中庸に曰く、「道なる者は、須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり」と。道の真是真非は、実に此に判る。須臾も離るべからざる者は、堯舜孔子の道是れのみ。仏老の道の若きは、之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無し。皆得て離るべし。豈に之を道と謂ふに足らんや。老荘の説は、戦国秦漢の際に盛んなり。浮屠の法は、後漢永平八年に始めて漢土に来たる。唐虞三代の時には皆之無し。然れども天下泰平にして、黎民寿考し、治皆数百年に及ぶ。時に二氏無きを以て其の治を害せざるなり。秦皇・漢武・唐の玄宗・宋の徽宗は最も道教を信ず。然れども政治日に壊れ、国俗日に隳る。仏法は晋・宋・斉・梁・陳・隋に盛んにして、延いて唐宋に及ぶ。六朝の間、乱亡相尋ぐ。時に二氏有るを以て其の乱を救はざるなり。唐宋頗る小康なりと雖も、本仏法に関はるに非ず、亦太平と為すに足らず。則ち豈に之有りて天下に益無く、之無くして天下に損無きに非ずや。堯舜孔子の道の若きは、一日之を離るれば、則ち天下の君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友、皆其の所を失ふ。豈に須臾も離るべからざるの道に非ずや。其の真是真非も亦判然たり。
現代語訳
問う。先生は、知りやすく行いやすいものを是とし、知りにくく行いにくいものを非と説かれる。しかし、知りにくく行いにくいものこそ真に正しく、知りやすく行いやすいものは正しくない、ということがないとどうして言えようか。どうか重ねて論じ究めていただきたい。答える。『中庸』に「道というものは、ほんのわずかの間も離れることのできないものである。離れることのできるものは道ではない」とある。道の真の是非は、まさにここで分かれる。わずかの間も離れることのできないものは、堯・舜・孔子の道だけである。仏教や老荘の道のようなものは、あっても天下に益がなく、なくても天下に損がない。どれも離れようと思えば離れられる。どうしてそれを道と呼ぶに足りようか。老荘の説は戦国・秦・漢の頃に盛んになった。仏教は後漢の永平八年に初めて中国に伝わった。唐虞(堯舜)や夏殷周三代の時代には、どちらもなかった。それでも天下は太平で、民は長寿を保ち、治世はみな数百年に及んだ。その時代、道仏二家がないからといって治世が損なわれることはなかったのである。秦の始皇帝・漢の武帝・唐の玄宗・宋の徽宗は、最も道教を信じた。しかし政治は日に日に壊れ、国の風俗は日に日に崩れた。仏教は晋・宋・斉・梁・陳・隋に盛んになり、唐・宋にまで及んだ。六朝の間は乱と滅亡が相次いだ。その時代、二家があるからといって乱を救うことはなかったのである。唐・宋はかなり小康を得たとはいえ、もともと仏教のおかげではないし、太平と呼ぶにも足りない。してみると、あっても天下に益がなく、なくても天下に損がない、ということではないか。堯・舜・孔子の道のようなものは、一日でもこれから離れれば、天下の君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友がみなその在るべき所を失う。これこそ、わずかの間も離れることのできない道ではないか。その真の是非もまた明らかである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上中庸に曰く、「君子の道は、諸を身に本づけ、諸を庶民に徴し、諸を三王に考へて謬らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質して疑ひ無く、百世以て聖人を俟ちて惑はず」と。言ふこころは、聖人の道は、之を己に求め、之を人に察し、之を往古に考へ、之を来世に推し、之を天地鬼神に徴して、皆合はざる所無し。山川草木・禽獣虫魚・蚑行喙息の微に至るまで、徴して合はざる無く、推して通ぜざる無し。天下の達道なるが故なり。夫の隠微の説・高妙の理の若きは、之を視れども見る所無く、之を聴けども聞く所無し。之を人倫風俗に求むれば皆悖る。見るべし、天地の間本来此の理無きことを。其の実是実非、断じて知るべきなり。
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『慎思録』巻之五孟子曰く、君子の言は、帯を下らずして、道存す、と。蓋し道は人に遠からず。性に率ふ、之を道と謂ふ。故に曰く、道なる者は、須臾も離るべからざるなり、と。身外の事に非ざるに由るなり。日用常行の間、至近の処にして、至道存す。此れ乃ち天理の流行発見する処なり。君子の道は、費にして隠なり。若し夫れ非常高遠の事に対して、以て至妙と為す者は、左太冲の所謂侈言験無く、麗なりと雖も経に非ずといふ者是れのみ。蓋し妙理を語ることは易し。一超直入、言下頓悟と雖も、亦為すべし。然れども真の悟りに非ざるのみ。
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『初学訓』巻之一中庸に、性にしたがふを道といふとは、性とは人の心に生れつきたる五性をいふ。仁の性にしたがへば、父子を親み、臣民をいつくしみ、万物を愛する、皆是仁の道なり。義の性にしたがへば、君につかへて、忠を尽し、身を忘れ、老人を敬ひ、賢人をたふとび、利を好まず、財を貪らず、行ふべきすぢめの宜しきをうしなはざるは、皆是義の道なり。礼の性にしたがへば、長幼貴賤のまじはりに次第あり、貴人と老いたるを敬ひ、賤しきと少きをあなどらず、よろづの作法正しく、則を失はざるは、皆是、礼の道なり。智の性にしたがへば、夫婦の別正しく、人の善悪と、万事の邪正をよく知り弁ふる類、皆是智の道なり。信の性にしたがへば、朋友のまじはり偽なく、万の事まことあり、始終ありて、約束たがはざる、皆是、信の道なり。此五性にしたがひて五倫を行ふを、道といふ。中庸に、性にしたがふを道といふはこれなり。
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『童子問』卷上問ふ、中庸は性・道・教を以て序と為す。今道を以て上と為し、教之に次ぎ、而して性を以て道を尽くし教を受くるの地と為す。其の措詞の次第、同じからざる者有るが若し。何ぞやと。曰く、本中庸の理と異なること無し。但だ註家錯説するのみ。中庸の言は、聖人の道は本人性の自然に循ひて、相離れず、諸子百家の自ら私し智を用ひて、人倫日用を遠ざけて以て道と為すが若きに非ざるを言ふなり。故に曰く、性に率ふ之を道と謂ふと。又曰く、離るべきは道に非ざるなりと。夫れ性とは、天の我に賦予して、人人の固より有する所なり。若し性に循ふと否とを論ぜずんば、則ち以て道の邪正を見ること無し。故に中庸先づ性を挙げて言を為すのみ。性を以て道より貴しと為すに非ざるなり。
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『慎思録』巻之三君子の道は、固より敢て物を離れず、又敢て物を逐はず。夫れ物を逐ふ者は、其の心を放ちて求むることを知らず、其の欲に徇ひて反ることを知らず。道を失ふ所以なり。物を離るる者は、倫理を去り人事を廃す。道を為す所以に非ざるなり。
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『童子問』卷下問ふ、古今異端の教へ、其の幾多なるを知らず。孰れか深しと為し、孰れか浅しと為す。何れか大と為し、何れか小と為す。其の間に亦稍是に近き者有りや、と。曰く、古より書を著し教へを立つる者、紛紛藉藉として、其の衆きに堪へず。然れども三大坎に過ぎず。其の高からず卑からず、平常にして易らざる、此れ一大坎たり。乃ち中庸の極にして、聖人の宗旨なり。此に高きこと一等なれば、則ち虚無と為る。老仏の学、是れのみ。此に卑きこと一等なれば、則ち功利と為る。申韓商鞅の徒、是れのみ。老仏以下、代異なり地殊なりて、交々出で迭ひに起こると雖も、此の二端に過ぎず。仮令百世の後、異端なる者出で、旧套に因らず、新説を創倡すとも、亦此の二端を出づること能はず。其の他区区たる半上落下の徒は、亦論ずるに足らず。趙孟静・林兆恩の若きは、乃ち近時の小異端なり。然れども三教を仮りて名と為すに過ぎず。故に其の学大いに譟がしきに至らず。亦笑ふべきなり。
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