徂徠先生答問書 / 卷下
且又道は聖人の建立し玉へりといふ事、先道の內にも、おも立たる事は五倫にて候。五倫の內に、父子の愛は天性に候。兄に悌を行ふといふは、幼少より父母のひた物に敎るゆへにこそ存候へ、敎なき者は曾て兄を敬する事は不存候。夫婦の倫は、伏義の立玉へる道なり。洪荒の世は只畜類の如くにこそ候へ。まして君臣朋友の道に至りては、聖人の立玉へるによりてこそ人是を存候へ。然共聖人甚深廣大の智を以て、人の生れつき相應に建立し玉ひて、是にて人間界といふ物は立候事故、道を學ばぬ人も、今程五倫はたれ〳〵も大體は存知候事に罷成候所より見候へば、生つきたる物の樣に候。たとへば五穀を耕すといふは、神農の建立し玉へる事也。宮室を作り衣服を織り出す事は、黄帝の建立し玉へる事也。是又人の性相應に建立し玉へる事故、今は世界に遍滿して天地自然とある事の樣に人々存知候。五倫の道も其如くに候。
新字:且又道は聖人の建立し玉へりといふ事、先道の内にも、おも立たる事は五倫にて候。五倫の内に、父子の愛は天性に候。兄に悌を行ふといふは、幼少より父母のひた物に教るゆへにこそ存候へ、教なき者は曽て兄を敬する事は不存候。夫婦の倫は、伏義の立玉へる道なり。洪荒の世は只畜類の如くにこそ候へ。まして君臣朋友の道に至りては、聖人の立玉へるによりてこそ人是を存候へ。然共聖人甚深広大の智を以て、人の生れつき相応に建立し玉ひて、是にて人間界といふ物は立候事故、道を学ばぬ人も、今程五倫はたれ〳〵も大体は存知候事に罷成候所より見候へば、生つきたる物の様に候。たとへば五穀を耕すといふは、神農の建立し玉へる事也。宮室を作り衣服を織り出す事は、黄帝の建立し玉へる事也。是又人の性相応に建立し玉へる事故、今は世界に遍満して天地自然とある事の様に人々存知候。五倫の道も其如くに候。
書き下し
且又道は聖人の建立し玉へりといふ事、先道の内にも、おも立たる事は五倫にて候。五倫の内に、父子の愛は天性に候。兄に悌を行ふといふは、幼少より父母のひた物に教るゆへにこそ存候へ、教なき者は曽て兄を敬する事は不存候。夫婦の倫は、伏義の立玉へる道なり。洪荒の世は只畜類の如くにこそ候へ。まして君臣朋友の道に至りては、聖人の立玉へるによりてこそ人是を存候へ。然共聖人甚深広大の智を以て、人の生れつき相応に建立し玉ひて、是にて人間界といふ物は立候事故、道を学ばぬ人も、今程五倫はたれ〳〵も大体は存知候事に罷成候所より見候へば、生つきたる物の様に候。たとへば五穀を耕すといふは、神農の建立し玉へる事也。宮室を作り衣服を織り出す事は、黄帝の建立し玉へる事也。是又人の性相応に建立し玉へる事故、今は世界に遍満して天地自然とある事の様に人々存知候。五倫の道も其如くに候。
現代語訳
また、道は聖人が建てられたものだということについて。まず道の中でも主要なものは五倫です。五倫のうち、父子の愛は天性です。兄に悌(従い敬うこと)を行うというのは、幼いころから父母がひたすら教えるからこそ知っているのであって、教えのない者は兄を敬うことなど知りません。夫婦の倫は伏羲が立てられた道です。太古の世は、ただ獣と同じようなものでした。まして君臣・朋友の道に至っては、聖人が立てられたからこそ人はこれを知っているのです。けれども聖人は非常に深く広大な知恵によって、人の生まれつきに相応するように建てられ、これによって人間界というものが成り立っているので、道を学ばない人でも今では五倫は誰でもおおよそ知っているようになっており、そこから見ると生まれつき備わったもののように見えるのです。たとえば五穀を耕すことは神農が始められたことです。家を建て衣服を織り出すことは黄帝が始められたことです。これもまた人の性に相応して作られたので、今では世界に満ちわたり、天地自然にあることのように人々は思っています。五倫の道もそれと同じです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷上一再三被仰聞候趣致承知候。如何様にも只今迄の御学問邪魔に成候て御了簡も付不申と存候。前書申進候趣は、数百年来の儒者の誤候処にて御座候得ば、容易には御得心も出来申間敷候間。今一往根元の処より具に可申述候。堯舜禹湯文武を古の聖人と申候。皆古の人君にて御座候。道と申候は、天下国家を平治可被成候為に、聖人の建立被成候道にて候。是を天地自然の道と見申候事は、元老荘の説より起り申候事にて、儒書には無之事に候。尤聖人の広大甚深なる智慧にて、人情物理にさかはぬ様に御立候へば、無理なる事は毫髪も無之候へども、聖人出給はぬ以前より、天地に自然と備はり有之候道理にて今日の人も我心に立帰り求め候へば、をのづから見え申候事と説候は誤りにて候。
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『徂徠先生答問書』卷下扨又天下国家を治むる仕様を道といふと申候事御合点不参候由、是又宋学に御泥候故左も可有之候。先我道之元祖は堯舜也。堯舜は天子なり。夫より後聖人と称し候は禹湯文武周公也。何れも皆天下国家を治たる人なり。孔子は此道を伝へ玉へる人也。故に聖人の道は専天下国家を治むる道にて、礼楽刑政の類皆道なり。論語に子游武城宰として絃歌の声したるを孔子笑玉へば、子游君子学道則愛人小人学道則易使と被申候を御覧候へ。分明に楽の事を道と被申候。孔門の直弟にて名目の違は有間敷候。宋儒の註解にては、此道字埓明不申候故、朱子は黙して過され候。五倫といふ物も、是を立ざれば天下は平治ならぬ事故、聖人の立玉へるにて候。聖人の道は、至極の所天下国家平治の為に建立なされたる事に候。修身事の有之候も、身修まらざれば、下尊信せずして道行はれざるゆへ、君子脩身候。今日の学者も此所より見識を生じて、聖人の道は天下国家を治むる道といふ所より見開候へば六経は掌を指がごとく候。
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『徂徠先生答問書』卷下右只今迄の思召と替候故、定て驚愕可被成候。依之、子細を申進候。吾道の元祖は堯舜に候。堯舜は人君にて候。依之聖人の道は専ら国天下を治め候道に候。道と申候は、事物当行の理にても無之、天地自然の道にても無之、聖人の建立被成候道にて、道といふは国天下を治候仕様に候。扨聖人の教は専礼楽にて風雅文采なる物に候。心法理窟の沙汰は曽て無之事に候。宋儒以来わざを捨て理窟を先とし風雅文采をはらひ捨て野鄙に罷成候。天子之道なる事を忘れ候より、専道理を説候て人を喩候事を第一に仕候。是より理非邪正の争盛に罷成候。議論一定してかたの極まり候事に成候故、何程学候ても知見の進み広まる事は曽て無之、只片口にぜうのこわき事に罷成候。是皆教法の違にて候。孔門の教とは天地雲泥に候。扨は文章も宋儒の文章は真にてかき候仮名物に候故、文章も鄙俚浅露に罷成候。如此の書籍に心を染候得ば、漢以前三代の書籍は済不申物に候。此差別当分は御合点参間敷候得ば、申進候も不入事の様に候得共御深志故申進候。
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『徂徠先生答問書』卷下古聖人の恩如此広大無辺たる事にて、是等の人は聖人の恩とも不存候は、あまり徳の至極に広大なるは天地とひとしく、天地日月の恩を人知らざるごとくに候。徳合天地曰帝とは是等の儀を申候。是等の所よく思召入候はヾ、道は当行の理などゝ申候は、舌の長き儘に聖人へ印可を出したるに罷成と申処思召可被当候。如此人の性相応に建立なされたる事を、子思は率性之謂道と被仰候。修道之謂教と申候は、道を学び候上の事に候。道は広大無辺にて、是を学ばんと存候ても、中〳〵手に入不申候故、道を取こなして学び易きやうに節目を立玉へるを教と申候。国天下を治むるを教と申候事は先名目の相違に候。六経論語の内に無之事に候。宋儒の例の理学にて、治めも畢竟教也と道理を以て推ていひたる口上に候。理は聞ゆる様なれ共、宋儒の理窟と申物に候。古書には無之事に候。教といふ詞は、いづく迄も学に対する教と可被思召候。
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『徂徠先生答問書』卷下しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の説盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下国家はおのづから治まると思取より、事は替れ共仏老の意地に陥候。釈迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして国天下も持不申身故、其道専ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は徳を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書経も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も徳を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道伝はる時は、聖賢在世のごとく天下国家平治なすべき様を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相継で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も学玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只徳を以て天下を治むる事計を会得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好学との玉ひ、博く学び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は学者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の真実なるを不知也。
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『五常訓』巻之一・総論一五常の性にしたがひて、私欲の煩なく、唯其自然に打任すれば、人倫にまじはりて、其性の善あらはれ、人倫の道行はる。中庸に、性にしたがふを道と云ふ、是なり。此性にしたがひ行へば、親には孝し、君には忠し、夫婦正しく、兄弟むつまじく、朋友に信あり、万の善、皆これより出づ。国家を治め、天下を平かにするも、皆是五常の性にしたがひて、行ひ出せるなり。ここを以て人道たつ。聖人の聖人たるも、亦五常の性にしたがへばなり。天下の道理は、五常の外に出でず。
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