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徂徠先生答問書 / 卷下

朱子の新註を除候て、聖經の堂奧に入べき樣なき由被仰下候。是は朱子の註にて能濟候と思召候故に候。文面の解は、右に申候ごとく明德格物の類、其外悉古言に違候得ば、聖經のはしごに可成樣無之候。道理の捌は、右申候ごとく理氣本然氣質天理人欲等、皆古聖人の敎に無之事に候。修行の仕形は、知行を分ち格物致知誠意正心持敬などゝて、是又古聖人の敎に無之事に候へば、聖經のはしごに可成樣曾て無之候。左申候はヾ茫然として取入べき樣なく可被思召候。只先本文計にて淺く御心得被差置、左傳史記漢書の類、左迄深き義理に無之事計の書を御覽被成候がよく御座候。左樣被成候內に文字に御なれ候て、文面の義理御取習可被成候。其後六經を御覽被成候はゞ、本文計にても能濟物に候。

新字:朱子の新註を除候て、聖経の堂奥に入べき様なき由被仰下候。是は朱子の註にて能済候と思召候故に候。文面の解は、右に申候ごとく明徳格物の類、其外悉古言に違候得ば、聖経のはしごに可成様無之候。道理の捌は、右申候ごとく理気本然気質天理人欲等、皆古聖人の教に無之事に候。修行の仕形は、知行を分ち格物致知誠意正心持敬などゝて、是又古聖人の教に無之事に候へば、聖経のはしごに可成様曽て無之候。左申候はヾ茫然として取入べき様なく可被思召候。只先本文計にて浅く御心得被差置、左伝史記漢書の類、左迄深き義理に無之事計の書を御覧被成候がよく御座候。左様被成候内に文字に御なれ候て、文面の義理御取習可被成候。其後六経を御覧被成候はゞ、本文計にても能済物に候。

書き下し

朱子の新註を除候て、聖経の堂奥に入べき様なき由被仰下候。是は朱子の註にて能済候と思召候故に候。文面の解は、右に申候ごとく明徳格物の類、其外悉古言に違候得ば、聖経のはしごに可成様無之候。道理の捌は、右申候ごとく理気本然気質天理人欲等、皆古聖人の教に無之事に候。修行の仕形は、知行を分ち格物致知誠意正心持敬などゝて、是又古聖人の教に無之事に候へば、聖経のはしごに可成様曽て無之候。左申候はヾ茫然として取入べき様なく可被思召候。只先本文計にて浅く御心得被差置、左伝史記漢書の類、左迄深き義理に無之事計の書を御覧被成候がよく御座候。左様被成候内に文字に御なれ候て、文面の義理御取習可被成候。其後六経を御覧被成候はゞ、本文計にても能済物に候。

現代語訳

朱子の新注を除いては、聖人の経書の奥深いところに入る方法がない、とお書きになりました。それは朱子の注で十分に理解できているとお考えだからです。文面の解釈については、先に申したとおり「明徳」「格物」の類をはじめ、ことごとく古い言葉の意味に違っていますから、経書へ登るはしごにはなりようがありません。道理の扱い方については、先に申したとおり理気・本然・気質・天理・人欲などは、どれも古の聖人の教えにはないものです。修行のやり方については、知と行を分け、格物・致知・誠意・正心・持敬などと言いますが、これもまた古の聖人の教えにはないことですから、経書へのはしごになることは決してありません。そう申すと、途方に暮れて手のつけようがないとお思いでしょう。ただ、まずは本文だけで浅く理解するにとどめておき、『左伝』『史記』『漢書』の類のような、それほど深い義理を含まない書物ばかりをご覧になるのがよいでしょう。そうしているうちに文字に慣れて、文面の意味の取り方を身につけられるはずです。その後で六経をご覧になれば、本文だけでも十分に理解できるものです。

解説

庄内藩の家老は、朱子の新注なしに経書の奥へは入れないと訴えた。徂徠は、新注は字義も理論も修行法も古の聖人の教えと食い違っているから、はしごにはならないと退ける。その代わりに勧めるのは、注に頼らず本文を浅く受け止め、『左伝』『史記』『漢書』のような叙事の書で古い文章そのものに慣れることである。古文辞学の入口がここにある。仕事でも、解説書を通してしか原典に触れない人は、解説者の枠組みから抜け出せない。まず一次資料そのものに慣れる回り道こそ近道になる。

この章句が説くこと

新注経書本文古言学問朱子

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