徂徠先生答問書 / 卷下
扨は大學に八條目と申事、無之事に候。子細は在明明德。在親民。在止於至善。と前に有之候。在格物と後に有之候。然れば格物一條にて濟申事に候。夫故物格而后知。至知至而意誠と言て天下平迄、順流直下の文勢に候。然れば格物の一條にて事濟候間、此上に誠意正心修身等の工夫は無之事に候。是文面の儘に見候時如此に御座候。扨又明明德於天下と云註に、使天下之人皆有以明其明德と有之候。心を平にして御覽可被成候。堯舜の世也共、如此事世界に有べき事共不被存候。殊に朱子の說にも、既に大學小學を分て、大學は庶人の悉學ぶ事と不被申候、こゝに至り候ては、又天下の人に皆大學の敎を施すと相見え申候。此等の所御疑は無御座候哉。且又孟子に學校の事を說候次に、人倫明於上庶民親於下と有之候。然れば親民は新民と不改がよく候。殊に新民の文字は、書經の面革命の事に候。大學の敎は平日の事に候。是等の所齟齬甚敷候。
新字:扨は大学に八条目と申事、無之事に候。子細は在明明徳。在親民。在止於至善。と前に有之候。在格物と後に有之候。然れば格物一条にて済申事に候。夫故物格而后知。至知至而意誠と言て天下平迄、順流直下の文勢に候。然れば格物の一条にて事済候間、此上に誠意正心修身等の工夫は無之事に候。是文面の儘に見候時如此に御座候。扨又明明徳於天下と云註に、使天下之人皆有以明其明徳と有之候。心を平にして御覧可被成候。堯舜の世也共、如此事世界に有べき事共不被存候。殊に朱子の説にも、既に大学小学を分て、大学は庶人の悉学ぶ事と不被申候、こゝに至り候ては、又天下の人に皆大学の教を施すと相見え申候。此等の所御疑は無御座候哉。且又孟子に学校の事を説候次に、人倫明於上庶民親於下と有之候。然れば親民は新民と不改がよく候。殊に新民の文字は、書経の面革命の事に候。大学の教は平日の事に候。是等の所齟齬甚敷候。
書き下し
扨は大学に八条目と申事、無之事に候。子細は在明明徳。在親民。在止於至善。と前に有之候。在格物と後に有之候。然れば格物一条にて済申事に候。夫故物格而后知。至知至而意誠と言て天下平迄、順流直下の文勢に候。然れば格物の一条にて事済候間、此上に誠意正心修身等の工夫は無之事に候。是文面の儘に見候時如此に御座候。扨又明明徳於天下と云註に、使天下之人皆有以明其明徳と有之候。心を平にして御覧可被成候。堯舜の世也共、如此事世界に有べき事共不被存候。殊に朱子の説にも、既に大学小学を分て、大学は庶人の悉学ぶ事と不被申候、こゝに至り候ては、又天下の人に皆大学の教を施すと相見え申候。此等の所御疑は無御座候哉。且又孟子に学校の事を説候次に、人倫明於上庶民親於下と有之候。然れば親民は新民と不改がよく候。殊に新民の文字は、書経の面革命の事に候。大学の教は平日の事に候。是等の所齟齬甚敷候。
現代語訳
さて『大学』に八条目ということは、ないことです。その子細は、「明徳を明らかにするに在り。民を親しむに在り。至善に止まるに在り」と前にあります。「物に格るに在り」と後にあります。そうであれば格物の一条で済むことです。それゆえ「物格りて后に知至る。知至りて后に意誠なり」と言って天下平らかなりまで、流れのまま一気に下る文勢です。そうであれば格物の一条で事が済むので、このうえに誠意・正心・修身などの工夫はないのです。これは文面のままに見るとこのとおりです。さてまた「明徳を天下に明らかにす」という句の注に、「天下の人をして皆其の明徳を明らかにする有らしむ」とあります。心を平らにしてご覧なさい。堯・舜の世であっても、このようなことが世界にあるとは思われません。ことに朱子の説でも、すでに大学と小学を分けて、大学は庶民がことごとく学ぶものとは言っていないのに、ここに至っては、また天下の人にみな大学の教えを施すように見えます。こうした点にお疑いはないでしょうか。また『孟子』に学校のことを説いた次に「人倫上に明らかにして、庶民下に親しむ」とあります。そうであれば「親民」は「新民」と改めないのがよいのです。ことに「新民」の文字は、『書経』では革命のことです。『大学』の教えは平日のことです。これらの点の食い違いははなはだしいのです。
解説
この章句が説くこと
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