徂徠先生答問書 / 卷下
一再往御尋の趣致承知候。學問の仕形道筋の儀は、先達の導なくしては路頭を誤り候事にて候。敎示の疑敷にいたり候ては幾度も御尋候が能御座候。兎角愚老存念を御問はし候て、夫にても御合點なく候はゞ、御工夫を被成御覽、又は合點ゆかずながらも暫く敎に順て御學御覽被成、兎角愚老が申所不是に極り候はヾ、御用不被成候事是正敷道理に候。枉て愚老が敎に御順候得と申事にては曾て無御座候。遠境蒙御尋候故、御志を感じ申入候迄の事に候。御兩所共に程朱の書ならでは今迄御覽不被成所へ申入候故御驚愕尤の事に候。今少博く書を御覽被置候はゞ、愚老不申入候共、程朱の書に御自身より少は疑付可有之候。左樣の所へ申入候はゞ、御會得も早く可有之候。憤悱啓發一隅三隅の章、孔門計にかぎらず、今日に至候ても敎法は只如此候。愚老が申進候趣大早計に候故の事と存候。
新字:一再往御尋の趣致承知候。学問の仕形道筋の儀は、先達の導なくしては路頭を誤り候事にて候。教示の疑敷にいたり候ては幾度も御尋候が能御座候。兎角愚老存念を御問はし候て、夫にても御合点なく候はゞ、御工夫を被成御覧、又は合点ゆかずながらも暫く教に順て御学御覧被成、兎角愚老が申所不是に極り候はヾ、御用不被成候事是正敷道理に候。枉て愚老が教に御順候得と申事にては曽て無御座候。遠境蒙御尋候故、御志を感じ申入候迄の事に候。御両所共に程朱の書ならでは今迄御覧不被成所へ申入候故御驚愕尤の事に候。今少博く書を御覧被置候はゞ、愚老不申入候共、程朱の書に御自身より少は疑付可有之候。左様の所へ申入候はゞ、御会得も早く可有之候。憤悱啓発一隅三隅の章、孔門計にかぎらず、今日に至候ても教法は只如此候。愚老が申進候趣大早計に候故の事と存候。
書き下し
一再往御尋の趣致承知候。学問の仕形道筋の儀は、先達の導なくしては路頭を誤り候事にて候。教示の疑敷にいたり候ては幾度も御尋候が能御座候。兎角愚老存念を御問はし候て、夫にても御合点なく候はゞ、御工夫を被成御覧、又は合点ゆかずながらも暫く教に順て御学御覧被成、兎角愚老が申所不是に極り候はヾ、御用不被成候事是正敷道理に候。枉て愚老が教に御順候得と申事にては曽て無御座候。遠境蒙御尋候故、御志を感じ申入候迄の事に候。御両所共に程朱の書ならでは今迄御覧不被成所へ申入候故御驚愕尤の事に候。今少博く書を御覧被置候はゞ、愚老不申入候共、程朱の書に御自身より少は疑付可有之候。左様の所へ申入候はゞ、御会得も早く可有之候。憤悱啓発一隅三隅の章、孔門計にかぎらず、今日に至候ても教法は只如此候。愚老が申進候趣大早計に候故の事と存候。
現代語訳
一、重ねてのお尋ねの趣、承知しました。学問の仕方や道筋のことは、先達の導きがなくては道を誤るものです。教えに疑わしいところがあれば、何度でもお尋ねになるのがよいのです。とにかく私の考えをお問いただしになって、それでもご合点がいかなければ、ご自分で工夫してご覧になるか、または合点がいかないながらもしばらく教えに従って学んでご覧になり、とにかく私の言うことが正しくないと決まったなら、お用いにならないのが正しい道理です。無理に私の教えに従えと言うのでは決してありません。遠方からお尋ねをいただいたので、お志に感じて申し上げたまでのことです。お二人とも程朱の書以外は今までご覧になっていないところへ申し上げたので、驚かれるのはもっともなことです。もう少し広く書物をご覧になっていれば、私が申し上げなくても、程朱の書にご自身で少しは疑いがついていたでしょう。そういうところへ申し上げたのなら、ご会得も早かったでしょう。「憤悱啓発」「一隅三隅」の章(自ら悩み求める者にだけ教え、一隅を挙げて三隅を返す者に教える)は、孔子の門だけに限らず、今日に至っても教え方はただこのとおりです。私の申し上げたことが、あまりに早計だったためのことと存じます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷上一前答にて、最前申入候趣も御疑とけ、其外兼々の御疑網共も散し候事多御入候由珍重存候。数年御学問の功積り候て、御疑共数多御蓄へ被置候故、右様の御得益有之候と相見え、御志の程感入候。総じて学問と申候物は、自身にわれと合点いたし候事にて御座候。孔門の教皆此通にて御座候。末世にいたり候ても、教方も学びかたも皆々如此に候。今時の講釈などは、一座の上にて能申取候を詮に仕候故、疑もつき不申、得益少く候。久敷承候へば、一種のこはぐるしき理窟たち候て、其害甚敷候。これにより候て、聖人の道は人情には遠き事に候今の世には合不申儀に候と人々存候様に罷成候。聖人の智は、智の至極に候故、聖人の道は、何れの世にてもなり申候事と申候儀を深く御信じ可被成候。左様に思召入候はゞ、尚又様々の疑出可申候。以上。
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『徂徠先生答問書』序余既に業を徂徠先生に受くるを以てや、従遊する者時時多く先生の伝ふる所如何と問ふ。唯だ是れ後世岐多く、由る所を知らず。瞽者に相無くんば、倀倀として何くにか之かん。社友根伯修の私かに録する所の者有り。蓋し先生の遠人に答ふる所の書なり。伯修親しく先生の塾中に在り、見る所毎に輒ち旁より之を私し、以て帳中に秘す。余既に探りて之を得、遂に相与に挍して之を梓人に授く。其の文辞の修飾せざる者は、之を先生に請はざればなり。之を請はずと雖も、既にす。亦た先生の成事を咎めざるを恃むなり。此の書や緒言なりと雖も、亦た一隅を挙ぐるの道なり。学者乃ち三隅を以て反さば、則ち先生の学の由る所を知らん。先生の学の由る所を知れば、則ち先生の奉承する所、六籍の載する所、先王聖人の道なるを知らん。此れを本を知ると謂ふ。先生の著す所、辨道・辨名・論語徴の諸書有れども、未だ行はれず。其の詳は今具さには列せずと云ふ。享保甲辰春三月、平安服元喬序す。
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『徂徠先生答問書』卷下一学問仕様の事御尋被仰下候。此段中々書中にては被申尽不申事に候。遠境投贄の義従来何方へも一切御断申入候儀此故に候。其元へは多年の御深志承及候故任御望今更御答に致迷惑候。先は遠境より伝授は難成事是事理の当然に候。依是孔門之諸子も何も被致従学候事に候。その子細は、其門に入候得ば門風と申事有之。様々の事にて其風儀に染候所より思致過半候事に候。従古師友と申事有之、師教よりは朋友の切磋にて知見を博め学問は進候事に候。当時大名高位の稽古埒明不申候事、よき師をば引付学被申候得共、位貴候故朋友無之。依是何芸も不致成就事是明証に候。朋友に交り門風に染候事是第一の事に候。然れば遠境にて伝授難成事顕然に候。然共御深志に御座候間、其師友の代に成申事可申進候。責ては是にて成とも可被償御志候。其師友の代に成申儀は書籍にて候。損友を遠け益友を近付候事取友の道に候。然ば損の参候書籍は目に総て御覧有間敷候。益に成候書籍に御心を可被染候。是より外に別に師友の代に成候事無之候。
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『徂徠先生答問書』卷上一民の父母と申候語は、下を治め候には相叶候得共、上に仕ゆる道、其外一切の事にわたり候ては漏候事多御座候由、御不審の趣致承知候。乍慮外御利発に候故、指当り候理窟を能御取廻し被仰遣候。然共被任御利発候て御工夫をば不被成候と存候。如斯理の当候儘に御捌被成候はゞ指支候事も無御座候得共、一生只世上の利発と申物にて御暮候て、学問の御昇進は有間敷候。此段乍慮外笑止なる御儀に存候。遠境御尋被仰下候程の御志に候はゞ、卒度御工夫も被成可被成御覧儀と存候に尤と御聞受被成候儀は御用被成、又尤と御聞受不被成候儀は早速に御不審被仰聞候は、畢竟御手前の知見を定規に御立被成候故に候。然ば何を申遣候ても、今迄の御知見の上に毫髪も御得益有間敷存候間、御対は不仕候。以上。
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『学則』與平子彬書足下疇昔の論、不佞一一了了たり。然れども句を逐ひて之が弁を為さず、特に其の根由を発して、以て足下をして之を思はしむ。足下乃ち不佞を達せずと謂ふ。又た何ぞ思はざるや。不佞の達せざるに非ざるなり。足下の達せざるなり。引く所の経文、其の義皆差へり。行くゆく将に之を知らんとす。故に復た弁ぜず。足下曰く、已むを得ざるのみと。亦た思はざるのみ。思へば則ち已まん。悠悠たる天地、何の急遽か有りて足下乃ち爾る。不備。
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『徂徠先生答問書』卷下夫故門弟子への教も皆其通に候。但し愚老は博く書を見置候故、右のごとく経書の本文計を詠候て会得致し申候。博く書を御覧不被成候ては。いつ迄も朱註にて御覧なれ候旧見はなれ申間敷候。博く外の書を見候事、経書に不干渉事の様に可思召候得共、無用の用と申事有之、思はぬ所より得益はある物に候。
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