徂徠先生答問書 / 卷上
一民の父母と申候語は、下を治め候には相叶候得共、上に仕ゆる道、其外一切の事にわたり候ては漏候事多御座候由、御不審の趣致承知候。乍慮外御利發に候故、指當り候理窟を能御取廻し被仰遣候。然共被任御利發候て御工夫をば不被成候と存候。如斯理の當候儘に御捌被成候はゞ指支候事も無御座候得共、一生只世上の利發と申物にて御暮候て、學問の御昇進は有間敷候。此段乍慮外笑止なる御儀に存候。遠境御尋被仰下候程の御志に候はゞ、卒度御工夫も被成可被成御覽儀と存候に尤と御聞受被成候儀は御用被成、又尤と御聞受不被成候儀は早速に御不審被仰聞候は、畢竟御手前の知見を定規に御立被成候故に候。然ば何を申遣候ても、今迄の御知見の上に毫髪も御得益有間敷存候間、御對は不仕候。以上。
新字:一民の父母と申候語は、下を治め候には相叶候得共、上に仕ゆる道、其外一切の事にわたり候ては漏候事多御座候由、御不審の趣致承知候。乍慮外御利発に候故、指当り候理窟を能御取廻し被仰遣候。然共被任御利発候て御工夫をば不被成候と存候。如斯理の当候儘に御捌被成候はゞ指支候事も無御座候得共、一生只世上の利発と申物にて御暮候て、学問の御昇進は有間敷候。此段乍慮外笑止なる御儀に存候。遠境御尋被仰下候程の御志に候はゞ、卒度御工夫も被成可被成御覧儀と存候に尤と御聞受被成候儀は御用被成、又尤と御聞受不被成候儀は早速に御不審被仰聞候は、畢竟御手前の知見を定規に御立被成候故に候。然ば何を申遣候ても、今迄の御知見の上に毫髪も御得益有間敷存候間、御対は不仕候。以上。
書き下し
一民の父母と申候語は、下を治め候には相叶候得共、上に仕ゆる道、其外一切の事にわたり候ては漏候事多御座候由、御不審の趣致承知候。乍慮外御利発に候故、指当り候理窟を能御取廻し被仰遣候。然共被任御利発候て御工夫をば不被成候と存候。如斯理の当候儘に御捌被成候はゞ指支候事も無御座候得共、一生只世上の利発と申物にて御暮候て、学問の御昇進は有間敷候。此段乍慮外笑止なる御儀に存候。遠境御尋被仰下候程の御志に候はゞ、卒度御工夫も被成可被成御覧儀と存候に尤と御聞受被成候儀は御用被成、又尤と御聞受不被成候儀は早速に御不審被仰聞候は、畢竟御手前の知見を定規に御立被成候故に候。然ば何を申遣候ても、今迄の御知見の上に毫髪も御得益有間敷存候間、御対は不仕候。以上。
現代語訳
一、「民の父母」という言葉は、下を治めるには当てはまるが、上に仕える道やそのほか一切の事にわたっては漏れることが多い、とのご不審の趣、承知いたしました。失礼ながら、ご利発でいらっしゃるので、さしあたっての理屈をうまく取り回して仰せ遣わされました。しかし、ご利発に任せて、ご自分では工夫をなさっていないと存じます。このように理の当たるままにさばかれれば差し支えることもありませんが、一生ただ世間でいう利発というものでお暮らしになり、学問の上達はないでしょう。この点、失礼ながら気の毒なことと存じます。遠方からお尋ねくださるほどのお志であれば、少しはご自分で工夫もなさって試してごらんになるべきだと存じますのに、もっともだと聞き入れたことは採用し、もっともだと聞き入れなかったことはすぐにご不審を言ってこられるのは、結局ご自分の知見を物差しにしておられるからです。それなら、何を申し上げても、今までのご知見の上に毛筋ほどの益もないでしょうから、お答えはいたしません。以上。
解説
この章句が説くこと
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人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
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