徂徠先生答問書 / 序
以余既受業徂徠先生也。從遊者時時多問先生所傳如何。唯是後世多岐。不知所由。瞽者無相。倀倀何之。有社友根伯修所私錄者。蓋先生所答遠人書也。伯修親在先生塾中。每所見輙從旁私之。以秘乎帳中。余既探而得之。遂相與挍而授之梓人。其文辭不修飾者。不請之先生也。雖不請之。既之。亦恃先生之不咎成事也。此書也雖緒言也。亦擧一隅之道也。學者乃以三隅反。則知先生之學之所由也。知先生之學之所由也。則知先生所奉承。六籍所載。先王聖人之道也。此謂知本。先生所著。有辨道辨名論語徵諸書未行也。其詳今不具列云。享保甲辰春三月。平安服元喬序。
新字:以余既受業徂徠先生也。従遊者時時多問先生所伝如何。唯是後世多岐。不知所由。瞽者無相。倀倀何之。有社友根伯修所私録者。蓋先生所答遠人書也。伯修親在先生塾中。毎所見輙従旁私之。以秘乎帳中。余既探而得之。遂相与挍而授之梓人。其文辞不修飾者。不請之先生也。雖不請之。既之。亦恃先生之不咎成事也。此書也雖緒言也。亦挙一隅之道也。学者乃以三隅反。則知先生之学之所由也。知先生之学之所由也。則知先生所奉承。六籍所載。先王聖人之道也。此謂知本。先生所著。有弁道弁名論語徴諸書未行也。其詳今不具列云。享保甲辰春三月。平安服元喬序。
書き下し
余既に業を徂徠先生に受くるを以てや、従遊する者時時多く先生の伝ふる所如何と問ふ。唯だ是れ後世岐多く、由る所を知らず。瞽者に相無くんば、倀倀として何くにか之かん。社友根伯修の私かに録する所の者有り。蓋し先生の遠人に答ふる所の書なり。伯修親しく先生の塾中に在り、見る所毎に輒ち旁より之を私し、以て帳中に秘す。余既に探りて之を得、遂に相与に挍して之を梓人に授く。其の文辞の修飾せざる者は、之を先生に請はざればなり。之を請はずと雖も、既にす。亦た先生の成事を咎めざるを恃むなり。此の書や緒言なりと雖も、亦た一隅を挙ぐるの道なり。学者乃ち三隅を以て反さば、則ち先生の学の由る所を知らん。先生の学の由る所を知れば、則ち先生の奉承する所、六籍の載する所、先王聖人の道なるを知らん。此れを本を知ると謂ふ。先生の著す所、辨道・辨名・論語徴の諸書有れども、未だ行はれず。其の詳は今具さには列せずと云ふ。享保甲辰春三月、平安服元喬序す。
現代語訳
私は徂徠先生に学んだので、付き合う人々がしばしば、先生の伝える教えはどのようなものかと尋ねてくる。ただ後世は道が多くに分かれて、どこに拠ればよいか分からない。目の見えない者に手引きがなければ、さまよってどこへ行けようか。同門の友、根伯修(根本武夷)がひそかに書き留めたものがある。それは先生が遠方の人に答えた書簡である。伯修は先生の塾に親しく出入りし、目にするたびにそばから写し取って、帳の中に秘めていた。私はそれを探し出して手に入れ、ともに校訂して版木屋に渡した。文章に手を入れていないのは、先生にお願いしていないからである。お願いしてはいないが、もう出してしまった。済んだことは咎めないという先生の度量を頼みにしているのである。この書は糸口の言葉にすぎないが、一隅を挙げて示す道である。学ぶ者が残りの三隅を自分で考えて返すなら、先生の学問の拠って立つ所が分かるだろう。それが分かれば、先生が謹んで受け継ぐのは、六経に載る先王・聖人の道であることが分かるだろう。これを根本を知るという。先生の著書には『辨道』『辨名』『論語徴』などがあるが、まだ世に出ていない。その詳細はここには並べない。享保甲辰(享保九年)春三月、京の服元喬(服部南郭)が序す。
解説
この章句が説くこと
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