学則 / 與平子彬書
足下疇昔之論。不佞一一了了。然不逐句爲之辨。特發其根由。以使足下思之。足下乃謂不佞不達。又何弗思也。非不佞之不達也。足下之不達也。所引經文。其義皆差。行將知之。故不復辨。足下曰。不得已已。亦不思已。思則已矣。悠悠天地。有何急遽足下乃爾。不備。
新字:足下疇昔之論。不佞一一了了。然不逐句為之弁。特発其根由。以使足下思之。足下乃謂不佞不達。又何弗思也。非不佞之不達也。足下之不達也。所引経文。其義皆差。行将知之。故不復弁。足下曰。不得已已。亦不思已。思則已矣。悠悠天地。有何急遽足下乃爾。不備。
書き下し
足下疇昔の論、不佞一一了了たり。然れども句を逐ひて之が弁を為さず、特に其の根由を発して、以て足下をして之を思はしむ。足下乃ち不佞を達せずと謂ふ。又た何ぞ思はざるや。不佞の達せざるに非ざるなり。足下の達せざるなり。引く所の経文、其の義皆差へり。行くゆく将に之を知らんとす。故に復た弁ぜず。足下曰く、已むを得ざるのみと。亦た思はざるのみ。思へば則ち已まん。悠悠たる天地、何の急遽か有りて足下乃ち爾る。不備。
現代語訳
あなたの以前の議論は、私には一つ一つはっきりとわかっている。しかし一句ずつ反論することはせず、ただその根本の原因を示して、あなた自身に考えてもらおうとしたのである。ところがあなたは、私が(あなたの論を)理解していないと言う。どうして考えてみないのか。理解していないのは私ではなく、あなたのほうである。あなたが引いた経書の文は、どれも意味を取り違えている。いずれあなた自身がそれに気づくだろう。だからもう反論はしない。あなたは「(論じずには)やむを得ないのだ」と言うが、それも考えていないだけだ。考えればやめられるはずである。悠々たる天地の間で、何をそんなに急ぐことがあって、あなたはそのようにするのか。意を尽くさないが、これにて。
解説
この章句が説くこと
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『酔古堂剣掃』集醒・意は筆の先に在り意は筆の先に在り、庖羲に向ひて細かに易畫を叅ず。慧は牙の後に生ず、恍として顏氏の冷やかに書齋に坐するがごとし。
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『講孟余話』告子上 第十九章五穀は種の美なる者なり。人の性は性の善なる者なり。聖学は学の美なる者なり。人の性を以て聖の学を学ぶは、此の上もなきことにて、善の善と云ふべし。今の人も鳥獣にも非ず、木石にも非ず、二目一口上頭下趾の人なり。今の学ぶ所の四書五経は、皆聖人の学なり。然るに善の善に至らざるは、熟の一字を闕く故なり。熟とは口にて読み、読みて熟せざれば心にて思ひ、思ひて熟せざれば行ふ。行ふて又思ひ、思ひて又読む。誠に然らば善の善たること疑ひなし。
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論語・為政篇子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
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