徂徠先生答問書 / 卷下
一申殘候趣有之候故又申入候。惣て學問の道は文章の外無之候。古人の道は書籍に有之候。書籍は文章に候。能文章を會得して、書籍の儘濟し候て我意を少も雜え不申候得ば、古人の意は、明に候。聖人の道は聖人の敎法に順はずして可得樣曾て無之候。其敎法は書籍に有之候故つまる所是又文章に歸し申候。然る所文章も字義も時代に隨て致展轉候所眼の付所にて候に、後世儒者我物ずきを立候故、道德は尊く文章は卑き事なりと思ひとり、文章を輕看致し候より、右の所に心付不申、右の所に心付不申候故、古聖人の敎法見え分れ不申、我知見にて聖人の道を會得せんとする故皆自己流に罷成候。宋學の輩は識見益鄙陋にて、程朱陽明吾國にて闇齋仁齋等の末師を信ずる事孔子よりも甚敷候。たとへて申候はゞ、佛者の輩釋迦の說をば不用して、深く法然日蓮を信ずるがごとくに候。敎に古今なく、道にも古今なく候。聖人の道にて今日の國天下も治り候事に候。外に仕形は無之候。聖人の敎にて今日の人も才德を成就候事に候。是又外に仕形無之候。
新字:一申残候趣有之候故又申入候。惣て学問の道は文章の外無之候。古人の道は書籍に有之候。書籍は文章に候。能文章を会得して、書籍の儘済し候て我意を少も雑え不申候得ば、古人の意は、明に候。聖人の道は聖人の教法に順はずして可得様曽て無之候。其教法は書籍に有之候故つまる所是又文章に帰し申候。然る所文章も字義も時代に随て致展転候所眼の付所にて候に、後世儒者我物ずきを立候故、道徳は尊く文章は卑き事なりと思ひとり、文章を軽看致し候より、右の所に心付不申、右の所に心付不申候故、古聖人の教法見え分れ不申、我知見にて聖人の道を会得せんとする故皆自己流に罷成候。宋学の輩は識見益鄙陋にて、程朱陽明吾国にて闇斎仁斎等の末師を信ずる事孔子よりも甚敷候。たとへて申候はゞ、仏者の輩釈迦の説をば不用して、深く法然日蓮を信ずるがごとくに候。教に古今なく、道にも古今なく候。聖人の道にて今日の国天下も治り候事に候。外に仕形は無之候。聖人の教にて今日の人も才徳を成就候事に候。是又外に仕形無之候。
書き下し
一申残候趣有之候故又申入候。惣て学問の道は文章の外無之候。古人の道は書籍に有之候。書籍は文章に候。能文章を会得して、書籍の儘済し候て我意を少も雑え不申候得ば、古人の意は、明に候。聖人の道は聖人の教法に順はずして可得様曽て無之候。其教法は書籍に有之候故つまる所是又文章に帰し申候。然る所文章も字義も時代に随て致展転候所眼の付所にて候に、後世儒者我物ずきを立候故、道徳は尊く文章は卑き事なりと思ひとり、文章を軽看致し候より、右の所に心付不申、右の所に心付不申候故、古聖人の教法見え分れ不申、我知見にて聖人の道を会得せんとする故皆自己流に罷成候。宋学の輩は識見益鄙陋にて、程朱陽明吾国にて闇斎仁斎等の末師を信ずる事孔子よりも甚敷候。たとへて申候はゞ、仏者の輩釈迦の説をば不用して、深く法然日蓮を信ずるがごとくに候。教に古今なく、道にも古今なく候。聖人の道にて今日の国天下も治り候事に候。外に仕形は無之候。聖人の教にて今日の人も才徳を成就候事に候。是又外に仕形無之候。
現代語訳
一、言い残したことがありますので、また申し上げます。総じて学問の道は文章のほかにはありません。古人の道は書籍にあります。書籍は文章です。よく文章を会得して、書籍のままに理解し、自分の考えを少しも交えなければ、古人の意は明らかです。聖人の道は、聖人の教え方に従わずに得られることは決してありません。その教え方は書籍にあるので、つまるところこれもまた文章に帰着します。ところが文章も字義も時代に従って移り変わるところが、目の付けどころであるのに、後世の儒者は自分の好みを立てるので、道徳は尊く文章は卑しいものだと思い込み、文章を軽く見たことから、右の点に気づかず、右の点に気づかないので、古の聖人の教え方が見分けられず、自分の知見で聖人の道を会得しようとするので、みな自己流になってしまいました。宋学の輩は識見がますます卑しく狭く、程子・朱子・王陽明、我が国では闇斎・仁斎らの末の師を信じることが孔子よりも甚だしいのです。たとえて言えば、仏者の輩が釈迦の説を用いずに、深く法然・日蓮を信じるようなものです。教えに古今の別はなく、道にも古今の別はありません。聖人の道によって今日の国天下も治まるのです。ほかに仕方はありません。聖人の教えによって今日の人も才徳を成就するのです。これもまたほかに仕方はありません。
解説
この章句が説くこと
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