徂徠先生答問書 / 卷下
一愼終追遠とは、先王制禮の意を說候語に候。今日受用の爲の語にては無之候。一御文章とも被遣候。皆宋學に候故直し可進樣無御座候。一蘐園隨筆は、不佞未熟の時の書に候。御用被成間敷候。仁齋闇齋などの書必々御覽被成間敷候。只々末を御捨候て本を御學候事專要に候。以上。
新字:一慎終追遠とは、先王制礼の意を説候語に候。今日受用の為の語にては無之候。一御文章とも被遣候。皆宋学に候故直し可進様無御座候。一蘐園随筆は、不佞未熟の時の書に候。御用被成間敷候。仁斎闇斎などの書必々御覧被成間敷候。只々末を御捨候て本を御学候事専要に候。以上。
書き下し
一慎終追遠とは、先王制礼の意を説候語に候。今日受用の為の語にては無之候。一御文章とも被遣候。皆宋学に候故直し可進様無御座候。一蘐園随筆は、不佞未熟の時の書に候。御用被成間敷候。仁斎闇斎などの書必々御覧被成間敷候。只々末を御捨候て本を御学候事専要に候。以上。
現代語訳
一、「終わりを慎み遠きを追う」とは、先王が礼を制定した意図を説いた語です。今日の自分の修養に用いるための語ではありません。一、ご文章もお送りいただきました。みな宋学ですので、直して差し上げようがありません。一、『蘐園随筆』は私が未熟な時の書です。お用いにならないでください。仁斎・闇斎などの書は必ずご覧にならないでください。ただただ末を捨てて本を学ばれることが肝要です。以上。
解説
短い三条をまとめた。『論語』の「慎終追遠」は先王が喪祭の礼を定めた意図を述べた語で、個人の心の修養の言葉ではないという。送られた文章は宋学に染まっていて添削しようがないと突き放し、自分の旧著『蘐園随筆』さえ未熟の書だから使うなと言う。伊藤仁斎や山崎闇斎の書も読むなと断じ、末を捨てて本を学べと結ぶ。過去の自分の考えさえ捨てる徂徠の潔さは、昔の成功体験や自説にこだわりがちな経営者にとって学ぶところが大きい。
この章句が説くこと
本末礼先王宋学学問仁斎
関連する章句
-
『五常訓』巻之四・礼一林放と云ひし人、世上の礼を行ふ者、かざり多く、ことわざしげくして、末をもはら務むるを、礼の本意にあらじと思ひて、礼の本を孔子に問ふ。凡万の事、まづ其本を得れば、其末おのづから出来るものなり。たとへば樹木の根本堅固なれば、千枝万葉皆これより出づるが如し。本をうしなひて、末のみをつとむれば、其実を失ふ。故に其つとむる事しげくして、其なすわざ小なり。しかるに、時の人のまよへるを悟り、礼の本に志あるを大なる問なりとて、先ほめ給ふ。さて答へてのたまふ意は、万の礼は、中を得るを貴ぶ。中は過不及なきなり。是礼の当然にて、至極せる道理なり。されども中に行ふ事ならずば、其本をつとむべし。万の事かざりのみにて、外の儀文華美にしておごらんよりは、唯ねがはくは倹を行ふべし。
-
『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼儀三百、威儀三千とて、およそ人の行ふべき大礼三百条、小礼三千条あり。是は其大槩をあげていへり。必三百三千に限るべからず。皆是つつしみ敬ふ心より出で、天理の程よき所にして、人事のしかるべき作法なり。つつしみ敬ふ心は、礼の本なり。三百三千の品は、礼の文なり。文とは外のあやなり。本なければ礼たたず。文なければ礼行はれず。故に礼は本をおもんず。文も亦そなはらずんばあるべからず。
-
孟子・告子章句下任人屋廬子に問ふ有りて曰く、「礼と食と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」「色と礼と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」曰く、「礼を以て食へば則ち飢ゑて死し、礼を以てせずして食へば則ち食を得んに、必ず礼を以てせんか。親迎すれば則ち妻を得ず、親迎せざれば則ち妻を得んに、必ず親迎せんか。」屋廬子対ふる能はず。明日鄒に之きて以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「是に答ふるに於いて何か有らん。其の本を揣らずして、其の末を斉しくせば、方寸の木も岑楼より高からしむべし。金は羽より重しとは、豈に一鉤の金と一輿の羽との謂ならんや。食の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に食重きのみならん。色の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に色重きのみならん。往きて之に応へて曰へ、『兄の臂を紾りて之が食を奪へば、則ち食を得、紾らざれば、則ち食を得ずんば、則ち将に之を紾らんとするか。東家の墻を逾えて其の処子を摟けば、則ち妻を得、摟かざれば、則ち妻を得ずんば、則ち将に之を摟かんとするか。』と。」
-
『文武訓』文訓上一士は農工商の上に居て、民ををさむる位あれば、一心を以て万事に通ぜずんばあるべからず。故に、古人字を作るに、士の字、下は一に从ひ、上は十に从ふ。一は一心なり、十は数の極なり。万事万物をすべていへり。しかれば農工商の一事一芸にかかはりては、万事の用にかなはず。故に、本を先にし末を後にし、先後の次第にしたがひて、広く事をまなび知るべし。読書学問するは本を勤むるなり。芸術をまなぶは末に達するなり。たとへば、草木の本幹立ちて枝葉しげるがごとし。本を本とし末を末として、本末かね備はるべし。学問は四書六経を専とし、史学と諸子に及ぶべし。芸術は六芸文武の法を学ぶべし。六芸は、貴賤ともに知らずしてかなはざる日用のわざなり。
-
『童子問』卷下問ふ、蔡氏の書伝に載する所の渾天儀の制。曰く、知らざるなり。問ふ、春秋の春王正月の弁。曰く、知らざるなり。童子云ふ、聞く、先生幼より心を経学に留むと。今此の二事に於て知らざる者は、何ぞや。曰く、学に本有り末有り。必ず知らざるべからざる者有り。知るを必せざる所に在る者有り。学術・政体・己を修め人を治むるの術のごときは、是れ本にして必ず知らざるべからず。其の他、進んでは以て人を治むるに足らず、退いては以て己を修むるに足らざる者は、之を知らずと雖も害無し。渾天儀の制は、是れ有司の掌る所。春王正月の弁も、亦学術に益無し。故に左氏も亦伝へず。大凡支干・孤虚・旺相・律呂・隔八相生の属、皆然り。之を陰陽数学を好む者に附して可なり。儒者の先務に非ず。今世の小子、学を為むるの法を知らず。区区として心を此れ等の細務に留む。甚だ不可なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る