徂徠先生答問書 / 卷下
一文字は中華人の言語に候。日本の言語とは詞のたちはに替有之候事に候。且又中華にても詞に古今の替有之候。宋儒の註解は失古言候。古言は其時代の書籍にて推候得ば知れ申候。後世の註解は違多候。依之老莊列の類も益有之候事に候。但六經は道にて候故、詞濟候ても道の合點不參候ては濟不申候。依之初學は左傳史記前漢書の類易解候て益多候。
新字:一文字は中華人の言語に候。日本の言語とは詞のたちはに替有之候事に候。且又中華にても詞に古今の替有之候。宋儒の註解は失古言候。古言は其時代の書籍にて推候得ば知れ申候。後世の註解は違多候。依之老荘列の類も益有之候事に候。但六経は道にて候故、詞済候ても道の合点不参候ては済不申候。依之初学は左伝史記前漢書の類易解候て益多候。
書き下し
一文字は中華人の言語に候。日本の言語とは詞のたちはに替有之候事に候。且又中華にても詞に古今の替有之候。宋儒の註解は失古言候。古言は其時代の書籍にて推候得ば知れ申候。後世の註解は違多候。依之老荘列の類も益有之候事に候。但六経は道にて候故、詞済候ても道の合点不参候ては済不申候。依之初学は左伝史記前漢書の類易解候て益多候。
現代語訳
一、文字は中国の人の言語です。日本の言語とは言葉の性質に違いがあります。そのうえ中国でも言葉には古今の違いがあります。宋儒の註解は古言を失っています。古言はその時代の書籍によって推し量れば分かります。後世の註解は誤りが多いのです。このため老子・荘子・列子の類も益があるのです。ただし六経は道ですから、言葉が分かっても道の合点がいかなくては済みません。そのため初学のうちは『左伝』『史記』『前漢書』の類が分かりやすくて益が多いのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷下一宋儒古言を失候ても道理は古今一般との儀、此御尋は無理の至極に候。古言を失候へば本文の義理違候。本文の義理違候を道理一般とは、あまりに贔負過と存候。一無点の書を読習候は、僧家の経読の如く致したるが能候哉の由、夫は如何様共可被成候。直読に成共、返り候て成とも、様々に可被成候。指当り一難事と思召の由、尤左様可有御座候。乍去点を御頼候分にては、御学問はいつ迄も同事に可有之候。只歴史又は五雑爼類の物にても。又は医書兵書の類にても、何にても兎角読易き物を御見習候が能御座候。一五代一覧を真字に御直し御覧可被成候由、夫もよく可有御座候得共、左候はヾ先歴史御覧可被成候。歴史御覧なく、只今の通の材木にて真字に御直しは何の益も有之間敷候。
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『学則』答屈景山書足下既に文章を以て怪しまる。不佞乃ち旁ら経術を引きて以て之に復す。是れ足下の怪しみ且つ我を尤むる者、将に愈〻益〻甚だしからんとす。亦た唯人心の面の如き、各〻見る所を陳ぶるのみ。初めより未だ嘗て足下と争はず。亦た豈に必ずしも足下をして信ぜしめんことを求めんや。且つ古言は簡にして文、今言は質にして冗なり。雅言の俚言に於ける、華言の倭言に於ける、亦た猶ほ是くの如きか。夫れ華言の訳すべき者は意のみ。意の言ふべき者は理のみ。其の文采粲然たる者は、得て訳すべからず。故に宋文の俚言・倭言と、其の冗長脆弱の相肖たる、亦た必ず古文辞に従事して、而る後に倭人の疾を医すべし。是れ来喩の云ふ所、適〻不佞の意と同じきなり。
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『徂徠先生答問書』卷下被仰下候筋にて相考候得ば、只今迄専宋学を被成候と相見え候。学問の仕形宋朝に至候て別に一流出来候て、古聖人の教法と各別に罷成候。依是宋朝の窠窟に落候ては、学問の進候事曽て有之間敷候。四書五経の新註大全等、宋儒の語録類、詩文にては東坡山谷三体詩瀛奎律髄の類、歴史にては通鑑綱目の書法発明等、皆損友と可被思召候。経学は古註、歴史は左伝国語史記前漢書、文章は楚辞文選韓柳迄は不苦候。惣て漢以前の書籍は、老荘列の類も益人之知見候。是も林希逸解は悪敷候。詩は唐詩選唐詩品彙、是等を益友と可被思召候。明朝の李空同何大復李于鱗王元美詩文宜敷候得共、是は遠境書籍有之間敷存候。先有增右の通と可被思召候。
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『弁名』學読書の道は、古文辞を識り古言を識るを以て先と為す。宋の諸老先生の如きは、其の稟質聡敏、操志高邁、豈に漢唐の諸儒の能く及ぶ所ならんや。然れども韓柳出でてより後、文辞大いに変じて、言に古今殊なり。諸先生は其の後に生れ、今文を以て古文を視、今言を以て古言を視る。故に其の心を用ふること勤むと雖も、卒に未だ古の道を得ざる者は、職として此に之れ由る。明の滄溟先生に及びて、始めて古文辞を倡ふ。而して士頗る能く古書を読むこと後世の書を読むが如き者も亦た之有り。祇だ其の志す所、僅かに丘明・子長の間に在りて、六経に及ばず。豈に惜しからずや。然れども苟くも能く其の教に遵ひて、古今文辞の殊なる所以を知らば、則ち古言識るべく、古義明らかにすべくして、古聖人の道得て言ふべし。学者其れ諸に留意せよ。
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『徂徠先生答問書』卷下一申残候趣有之候故又申入候。惣て学問の道は文章の外無之候。古人の道は書籍に有之候。書籍は文章に候。能文章を会得して、書籍の儘済し候て我意を少も雑え不申候得ば、古人の意は、明に候。聖人の道は聖人の教法に順はずして可得様曽て無之候。其教法は書籍に有之候故つまる所是又文章に帰し申候。然る所文章も字義も時代に随て致展転候所眼の付所にて候に、後世儒者我物ずきを立候故、道徳は尊く文章は卑き事なりと思ひとり、文章を軽看致し候より、右の所に心付不申、右の所に心付不申候故、古聖人の教法見え分れ不申、我知見にて聖人の道を会得せんとする故皆自己流に罷成候。宋学の輩は識見益鄙陋にて、程朱陽明吾国にて闇斎仁斎等の末師を信ずる事孔子よりも甚敷候。たとへて申候はゞ、仏者の輩釈迦の説をば不用して、深く法然日蓮を信ずるがごとくに候。教に古今なく、道にも古今なく候。聖人の道にて今日の国天下も治り候事に候。外に仕形は無之候。聖人の教にて今日の人も才徳を成就候事に候。是又外に仕形無之候。
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『徂徠先生答問書』卷中殊に理窟より外に君子の風儀風俗といふ物のある事は是よりならでは会得なりがたく候。後世の詩文章は皆是を祖述いたし、殊に時代近候故会得成易き節多く候故、右の心持にて学候へば、其益多御座候、殊更吾邦にて学問をいたし候は、聖人と申候も唐人経書と申候も唐人言葉にて候故、文字をよく会得不仕候ては聖人の道は難得候。文字を会得仕候事は、古の人の書を作り候ときの心持に成不申候得ば済不申儀故。詩文章を作り不申候得ば会得難成事多御座候。経書計学候人は中々文字のこなれ無御座候故、道理あらくこはくるしく御座候事にて候。依是日本の学者には詩文章殊に肝要なる事にて御座候。此方の和歌抔も同趣に候共、何となく只風俗の女々しく候は、聖人なき国故と被存候。足下抔の上には右に申候程の事無御座候得共、只風雅と申候事を御存候はゞ。是計にても君子の心位を御失ひなく、人の上に御すはり候には其益不少候。総て理学の薫習世に久敷候故、人多く無用の用と申事不被存候て、事々迫切緊急に成行き聖人の道に背き候事共多く御座候。御心を可被付候。以上。
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