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徂徠先生答問書 / 卷中

殊に理窟より外に君子の風儀風俗といふ物のある事は是よりならでは會得なりがたく候。後世の詩文章は皆是を祖述いたし、殊に時代近候故會得成易き節多く候故、右の心持にて學候へば、其益多御座候、殊更吾邦にて學問をいたし候は、聖人と申候も唐人經書と申候も唐人言葉にて候故、文字をよく會得不仕候ては聖人の道は難得候。文字を會得仕候事は、古の人の書を作り候ときの心持に成不申候得ば濟不申儀故。詩文章を作り不申候得ば會得難成事多御座候。經書計學候人は中々文字のこなれ無御座候故、道理あらくこはくるしく御座候事にて候。依是日本の學者には詩文章殊に肝要なる事にて御座候。此方の和歌抔も同趣に候共、何となく只風俗の女々しく候は、聖人なき國故と被存候。足下抔の上には右に申候程の事無御座候得共、只風雅と申候事を御存候はゞ。是計にても君子の心位を御失ひなく、人の上に御すはり候には其益不少候。總て理學の薰習世に久敷候故、人多く無用の用と申事不被存候て、事々迫切緊急に成行き聖人の道に背き候事共多く御座候。御心を可被付候。以上。

新字:殊に理窟より外に君子の風儀風俗といふ物のある事は是よりならでは会得なりがたく候。後世の詩文章は皆是を祖述いたし、殊に時代近候故会得成易き節多く候故、右の心持にて学候へば、其益多御座候、殊更吾邦にて学問をいたし候は、聖人と申候も唐人経書と申候も唐人言葉にて候故、文字をよく会得不仕候ては聖人の道は難得候。文字を会得仕候事は、古の人の書を作り候ときの心持に成不申候得ば済不申儀故。詩文章を作り不申候得ば会得難成事多御座候。経書計学候人は中々文字のこなれ無御座候故、道理あらくこはくるしく御座候事にて候。依是日本の学者には詩文章殊に肝要なる事にて御座候。此方の和歌抔も同趣に候共、何となく只風俗の女々しく候は、聖人なき国故と被存候。足下抔の上には右に申候程の事無御座候得共、只風雅と申候事を御存候はゞ。是計にても君子の心位を御失ひなく、人の上に御すはり候には其益不少候。総て理学の薫習世に久敷候故、人多く無用の用と申事不被存候て、事々迫切緊急に成行き聖人の道に背き候事共多く御座候。御心を可被付候。以上。

書き下し

殊に理窟より外に君子の風儀風俗といふ物のある事は是よりならでは会得なりがたく候。後世の詩文章は皆是を祖述いたし、殊に時代近候故会得成易き節多く候故、右の心持にて学候へば、其益多御座候、殊更吾邦にて学問をいたし候は、聖人と申候も唐人経書と申候も唐人言葉にて候故、文字をよく会得不仕候ては聖人の道は難得候。文字を会得仕候事は、古の人の書を作り候ときの心持に成不申候得ば済不申儀故。詩文章を作り不申候得ば会得難成事多御座候。経書計学候人は中々文字のこなれ無御座候故、道理あらくこはくるしく御座候事にて候。依是日本の学者には詩文章殊に肝要なる事にて御座候。此方の和歌抔も同趣に候共、何となく只風俗の女々しく候は、聖人なき国故と被存候。足下抔の上には右に申候程の事無御座候得共、只風雅と申候事を御存候はゞ。是計にても君子の心位を御失ひなく、人の上に御すはり候には其益不少候。総て理学の薫習世に久敷候故、人多く無用の用と申事不被存候て、事々迫切緊急に成行き聖人の道に背き候事共多く御座候。御心を可被付候。以上。

現代語訳

とりわけ、理屈のほかに君子の風儀・風俗というものがあることは、これによらなければ会得しがたいのです。後世の詩文章はみなこの『詩経』を受け継いで述べたもので、特に時代が近いので会得しやすい点が多くありますから、右のような心がまえで学べば、その益は多いのです。ことに我が国で学問をする場合、聖人といっても唐の人、経書といっても唐の言葉ですから、文字をよく会得しなければ聖人の道は得がたいのです。文字を会得することは、昔の人が書を作ったときの心持ちにならなければ済まないことなので、詩文章を自分で作らなければ会得できないことが多いのです。経書ばかり学ぶ人はなかなか文字がこなれていないので、道理の捉え方が粗く硬く、窮屈なものになります。このため日本の学者には詩文章がとりわけ肝要なのです。こちらの和歌なども同じ趣旨ですが、なんとなく風俗が女々しいのは、聖人のいない国だからだと思われます。あなた方の身の上には、右に申したほどのことはなくとも、ただ「風雅」ということをご存じになれば、それだけでも君子の心の位を失わず、人の上にお座りになるのに少なからぬ益があります。総じて理学(朱子学)の染みつきが世に長いので、人の多くは「無用の用」ということを知らず、何事もせっぱつまって急なものになり、聖人の道に背くことが多いのです。お心をお付けください。以上。

解説

後半で徂徠は、詩文を学ぶ二つ目の理由を語る。経書は中国の古い言葉で書かれており、自ら詩文を作って古人の心持ちになってみなければ、文字の真意はつかめない。これは古文辞学と呼ばれる徂徠の方法の核心である。さらに、理屈一辺倒の朱子学が「無用の用」を見失わせ、世の中をせかせかと余裕のないものにしたと批判する。成果に直結しない読書や芸術を削りがちな現代の職場でも、風雅を知る余裕こそが人の上に立つ者の器を広げることを思い出させる。

この章句が説くこと

風雅無用の用古文辞文字理学学問

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