導師導古典を学びたいすべての人に

弁名 / 學

讀書之道。以識古文辭識古言爲先。如宋諸老先生。其禀質聰敏。操志高邁。豈漢唐諸儒所能及哉。然自韓柳出而後文辭大變。而言古今殊矣。諸先生生於其後。以今文視古文。以今言視古言。故其用心雖勤。卒未得古之道者。職此之由。及於明滄溟先生。始倡古文辭。而士頗能讀古書如讀後世之書者亦有之。祇其所志。僅在丘明子長之間。而不及六經。豈不惜乎。然苟能遵其敎。而知古今文辭之所以殊。則古言可識。古義可明。而古聖人之道可得而言焉。學者其留意諸。

新字:読書之道。以識古文辞識古言為先。如宋諸老先生。其禀質聰敏。操志高邁。豈漢唐諸儒所能及哉。然自韓柳出而後文辞大変。而言古今殊矣。諸先生生於其後。以今文視古文。以今言視古言。故其用心雖勤。卒未得古之道者。職此之由。及於明滄溟先生。始倡古文辞。而士頗能読古書如読後世之書者亦有之。祇其所志。僅在丘明子長之間。而不及六経。豈不惜乎。然苟能遵其教。而知古今文辞之所以殊。則古言可識。古義可明。而古聖人之道可得而言焉。学者其留意諸。

書き下し

読書の道は、古文辞を識り古言を識るを以て先と為す。宋の諸老先生の如きは、其の稟質聡敏、操志高邁、豈に漢唐の諸儒の能く及ぶ所ならんや。然れども韓柳出でてより後、文辞大いに変じて、言に古今殊なり。諸先生は其の後に生れ、今文を以て古文を視、今言を以て古言を視る。故に其の心を用ふること勤むと雖も、卒に未だ古の道を得ざる者は、職として此に之れ由る。明の滄溟先生に及びて、始めて古文辞を倡ふ。而して士頗る能く古書を読むこと後世の書を読むが如き者も亦た之有り。祇だ其の志す所、僅かに丘明・子長の間に在りて、六経に及ばず。豈に惜しからずや。然れども苟くも能く其の教に遵ひて、古今文辞の殊なる所以を知らば、則ち古言識るべく、古義明らかにすべくして、古聖人の道得て言ふべし。学者其れ諸に留意せよ。

現代語訳

書物を読む道は、古文辞(古い文章の言い回し)を知り、古言(古い言葉)を知ることを先とする。宋の諸先生は、生まれつき聡明で志も高く、漢・唐の儒者たちの及ぶところではなかった。しかし韓愈・柳宗元が出てから文章は大きく変わり、言葉に古今の違いができた。諸先生はその後に生まれ、今の文章で古い文章を見、今の言葉で古い言葉を見た。だから心を尽くして勤めたのに、ついに古の道を得られなかったのは、もっぱらこのためである。明の李滄溟(李攀竜)先生に至って、初めて古文辞を唱えた。そして士人の中には、古書を後世の書を読むように楽に読める者も出てきた。ただその志は、左丘明(『左伝』)と司馬遷(『史記』)のあたりにとどまり、六経にまで及ばなかった。なんと惜しいことか。しかしもしその教えに従い、古今の文章が違う理由を知れば、古言を知ることができ、古義を明らかにでき、古の聖人の道を語ることができる。学ぶ者はこれに留意せよ。

解説

徂徠の方法論である古文辞学の宣言といえる一則である。宋儒の才能は認めつつ、韓愈・柳宗元以後に文体が変わり、言葉の意味が古今でずれたため、今の言葉で古典を読んで誤ったと診断する。そこで明の李攀竜らの古文辞運動に学び、それを六経にまで広げることを自らの課題とした。言葉の意味は時代とともに変わる。昔の契約書や社内文書を今の語感で読んで誤解することがあるように、文書が書かれた時代の言葉で読む姿勢は今も有効である。

この章句が説くこと

古文辞古言読書宋儒李攀竜六経

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る