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学則 / 答屈景山書

足下既以文章見怪。不佞乃旁引經術以復之。是足下之怪且尤我者。將愈益甚已。亦唯人心如面。各陳所見耳。初未嘗與足下爭。亦豈必求俾足下信邪。且古言簡而文。今言質而冗。雅言之於俚言也。華言之於倭言也。亦猶如是歟。夫華言之可譯者。意耳。意之可言者。理耳。其文采粲然者。不可得而譯矣。故宋文之與俚言倭言。其冗長脆弱之相肖。亦必從事古文辭。而後可醫倭人之疾。是來喩所云。適與不佞意同也。

新字:足下既以文章見怪。不佞乃旁引経術以復之。是足下之怪且尤我者。将愈益甚已。亦唯人心如面。各陳所見耳。初未嘗与足下争。亦豈必求俾足下信邪。且古言簡而文。今言質而冗。雅言之於俚言也。華言之於倭言也。亦猶如是歟。夫華言之可訳者。意耳。意之可言者。理耳。其文采粲然者。不可得而訳矣。故宋文之与俚言倭言。其冗長脆弱之相肖。亦必従事古文辞。而後可医倭人之疾。是来喩所云。適与不佞意同也。

書き下し

足下既に文章を以て怪しまる。不佞乃ち旁ら経術を引きて以て之に復す。是れ足下の怪しみ且つ我を尤むる者、将に愈〻益〻甚だしからんとす。亦た唯人心の面の如き、各〻見る所を陳ぶるのみ。初めより未だ嘗て足下と争はず。亦た豈に必ずしも足下をして信ぜしめんことを求めんや。且つ古言は簡にして文、今言は質にして冗なり。雅言の俚言に於ける、華言の倭言に於ける、亦た猶ほ是くの如きか。夫れ華言の訳すべき者は意のみ。意の言ふべき者は理のみ。其の文采粲然たる者は、得て訳すべからず。故に宋文の俚言・倭言と、其の冗長脆弱の相肖たる、亦た必ず古文辞に従事して、而る後に倭人の疾を医すべし。是れ来喩の云ふ所、適〻不佞の意と同じきなり。

現代語訳

あなたは文章のことで不審に思われたのに、私は傍ら経学を引き合いに出してお答えした。これではあなたの不審と私へのとがめは、いっそうひどくなるだろう。ただ人の心は顔のように違うのだから、それぞれ見るところを述べるだけである。はじめからあなたと争うつもりはないし、どうしてあなたに信じさせようとまで求めようか。それに、古の言葉は簡潔で文彩があり、今の言葉は素朴で冗長である。雅言と俗語、中国語と日本語の関係も、やはりこのようなものだろうか。そもそも中国語のうち翻訳できるのは意味だけであり、意味のうち言葉にできるのは理だけである。その文彩が鮮やかに輝くところは翻訳できない。だから宋の文と俗語・日本語とは、冗長でもろい点が似通っている。やはり古文辞に取り組んでこそ、日本人の病を治すことができる。この点はお手紙でおっしゃることと、ちょうど私の考えが同じである。

解説

徂徠は、経学を持ち出したことで相手の不審をかえって深めたかもしれないと断りつつ、争うつもりはないと繰り返す。続く言語論は徂徠らしい。古語は簡潔で文彩があり、今の言葉は冗長である。翻訳で移せるのは意味と理だけで、言葉の彩りは移せない。宋文が俗語や日本語と同じく冗長で弱いのはそのためで、古文辞を学んでこそ日本人の漢文の病は治ると言う。漢文を中国語として読もうとした『訳文筌蹄』の立場とも通じる。翻訳や要約で失われるものを意識することは、情報を扱う仕事の基本である。

この章句が説くこと

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