徂徠先生答問書 / 卷下
被仰下候筋にて相考候得ば、只今迄專宋學を被成候と相見え候。學問の仕形宋朝に至候て別に一流出來候て、古聖人の敎法と各別に罷成候。依是宋朝の窠窟に落候ては、學問の進候事曾て有之間敷候。四書五經の新註大全等、宋儒の語錄類、詩文にては東坡山谷三體詩瀛奎律髓の類、歷史にては通鑑綱目の書法發明等、皆損友と可被思召候。經學は古註、歷史は左傳國語史記前漢書、文章は楚辭文選韓柳迄は不苦候。惣て漢以前の書籍は、老莊列の類も益人之知見候。是も林希逸解は惡敷候。詩は唐詩選唐詩品彙、是等を益友と可被思召候。明朝の李空同何大復李于鱗王元美詩文宜敷候得共、是は遠境書籍有之間敷存候。先有增右の通と可被思召候。
新字:被仰下候筋にて相考候得ば、只今迄専宋学を被成候と相見え候。学問の仕形宋朝に至候て別に一流出来候て、古聖人の教法と各別に罷成候。依是宋朝の窠窟に落候ては、学問の進候事曽て有之間敷候。四書五経の新註大全等、宋儒の語録類、詩文にては東坡山谷三体詩瀛奎律髄の類、歴史にては通鑑綱目の書法発明等、皆損友と可被思召候。経学は古註、歴史は左伝国語史記前漢書、文章は楚辞文選韓柳迄は不苦候。惣て漢以前の書籍は、老荘列の類も益人之知見候。是も林希逸解は悪敷候。詩は唐詩選唐詩品彙、是等を益友と可被思召候。明朝の李空同何大復李于鱗王元美詩文宜敷候得共、是は遠境書籍有之間敷存候。先有增右の通と可被思召候。
書き下し
被仰下候筋にて相考候得ば、只今迄専宋学を被成候と相見え候。学問の仕形宋朝に至候て別に一流出来候て、古聖人の教法と各別に罷成候。依是宋朝の窠窟に落候ては、学問の進候事曽て有之間敷候。四書五経の新註大全等、宋儒の語録類、詩文にては東坡山谷三体詩瀛奎律髄の類、歴史にては通鑑綱目の書法発明等、皆損友と可被思召候。経学は古註、歴史は左伝国語史記前漢書、文章は楚辞文選韓柳迄は不苦候。惣て漢以前の書籍は、老荘列の類も益人之知見候。是も林希逸解は悪敷候。詩は唐詩選唐詩品彙、是等を益友と可被思召候。明朝の李空同何大復李于鱗王元美詩文宜敷候得共、是は遠境書籍有之間敷存候。先有增右の通と可被思召候。
現代語訳
仰せの筋から考えますと、今までもっぱら宋学をなさってきたと見えます。学問の仕方は宋の時代に至って別に一流ができて、古の聖人の教え方とは別物になりました。このため宋の時代の型の穴に落ちては、学問が進むことは決してないでしょう。四書五経の新註(朱子の注)や『大全』など、宋儒の語録の類、詩文では蘇東坡・黄山谷・『三体詩』・『瀛奎律髄』の類、歴史では『通鑑綱目』の書法・発明などは、みな損友とお思いください。経学は古註、歴史は『左伝』『国語』『史記』『前漢書』、文章は『楚辞』『文選』、韓愈・柳宗元までは差し支えありません。総じて漢以前の書籍は、老子・荘子・列子の類も人の知見を益します。これも林希逸の解釈はよくありません。詩は『唐詩選』『唐詩品彙』、これらを益友とお思いください。明の李空同(李夢陽)・何大復(何景明)・李于鱗(李攀竜)・王元美(王世貞)の詩文もよろしいのですが、これは遠方には書籍がないでしょう。まずはおおよそ右の通りとお思いください。
解説
この章句が説くこと
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