徂徠先生答問書 / 卷下
然共小量なる人は何事も皆我一己の上に思ひ取り、ちいさく構へを拵へて有之候故、己が智分に似せて一色にて事濟候手近き術を好む物にて候。是によりて右の如なる小道共世界に出來り、是を好む人多御座候。是皆小量のなす所なれば、先王の代とてもかくのごときの類は可有之候。聖人とても如此の見識の世間にたえ候樣に被成候事は不能事に候。又それ〳〵に相應の得益も有之候故、是をたやし可申御料簡にも有之間敷候。尤國天下を治め候に、右の類の小道を用ひ候は害多き事に候得ば、たゞ下たるものゝ一己の好みにいたし候半事は、己が職分家業をさへ怠らず、孝悌忠信をさへ失ひ不申候はゞ、不苦事に御座候。其外の一藝一能も、學得候へば、皆一種の器をなして、治國の役人のひとつにはなり申候。茶湯立花棋象戯蹴鞠の類は無益なる事に候へ共、是をするはやむに勝れりと申事の有之候。總じて人はたゞあられぬ物にて候。心のよせ所なければ惡事をする物にて候故、小量なる人は孝悌忠信にて候。其外の儀は好みに任せ候事候。此方より御定め候て、小量の人の心を安んじ候道をきはめ被置度思召候は無詮事に候。何もかも手前の流義に被成度樣に相聞え候。此段國家を治め候て人の上に御立候には以の外成儀と存候。以上。
新字:然共小量なる人は何事も皆我一己の上に思ひ取り、ちいさく構へを拵へて有之候故、己が智分に似せて一色にて事済候手近き術を好む物にて候。是によりて右の如なる小道共世界に出来り、是を好む人多御座候。是皆小量のなす所なれば、先王の代とてもかくのごときの類は可有之候。聖人とても如此の見識の世間にたえ候様に被成候事は不能事に候。又それ〳〵に相応の得益も有之候故、是をたやし可申御料簡にも有之間敷候。尤国天下を治め候に、右の類の小道を用ひ候は害多き事に候得ば、たゞ下たるものゝ一己の好みにいたし候半事は、己が職分家業をさへ怠らず、孝悌忠信をさへ失ひ不申候はゞ、不苦事に御座候。其外の一芸一能も、学得候へば、皆一種の器をなして、治国の役人のひとつにはなり申候。茶湯立花棋象戯蹴鞠の類は無益なる事に候へ共、是をするはやむに勝れりと申事の有之候。総じて人はたゞあられぬ物にて候。心のよせ所なければ悪事をする物にて候故、小量なる人は孝悌忠信にて候。其外の儀は好みに任せ候事候。此方より御定め候て、小量の人の心を安んじ候道をきはめ被置度思召候は無詮事に候。何もかも手前の流義に被成度様に相聞え候。此段国家を治め候て人の上に御立候には以の外成儀と存候。以上。
書き下し
然共小量なる人は何事も皆我一己の上に思ひ取り、ちいさく構へを拵へて有之候故、己が智分に似せて一色にて事済候手近き術を好む物にて候。是によりて右の如なる小道共世界に出来り、是を好む人多御座候。是皆小量のなす所なれば、先王の代とてもかくのごときの類は可有之候。聖人とても如此の見識の世間にたえ候様に被成候事は不能事に候。又それ〳〵に相応の得益も有之候故、是をたやし可申御料簡にも有之間敷候。尤国天下を治め候に、右の類の小道を用ひ候は害多き事に候得ば、たゞ下たるものゝ一己の好みにいたし候半事は、己が職分家業をさへ怠らず、孝悌忠信をさへ失ひ不申候はゞ、不苦事に御座候。其外の一芸一能も、学得候へば、皆一種の器をなして、治国の役人のひとつにはなり申候。茶湯立花棋象戯蹴鞠の類は無益なる事に候へ共、是をするはやむに勝れりと申事の有之候。総じて人はたゞあられぬ物にて候。心のよせ所なければ悪事をする物にて候故、小量なる人は孝悌忠信にて候。其外の儀は好みに任せ候事候。此方より御定め候て、小量の人の心を安んじ候道をきはめ被置度思召候は無詮事に候。何もかも手前の流義に被成度様に相聞え候。此段国家を治め候て人の上に御立候には以の外成儀と存候。以上。
現代語訳
けれども度量の小さい人は、何事もみな自分一個の上に引き寄せて考え、小さく構えをこしらえているので、自分の知恵の分量に似合った、一色で事が済む手近な術を好むものです。このため右のような小さな道どもが世界に出てきて、これを好む人が多いのです。これはみな度量の小ささのなすところですから、先王の時代でもこのような類はあったでしょう。聖人でも、このような見識が世間から絶えるようになさることはできません。またそれぞれに相応の得るところもありますから、これを絶やそうというお考えもないでしょう。もっとも国天下を治めるのに右の類の小さな道を用いるのは害の多いことですが、ただ下の者が一個人の好みにするぶんには、自分の職分・家業さえ怠らず、孝悌忠信さえ失わなければ、差し支えありません。そのほかの一芸一能も、学び得れば、みな一種の器となって、治国の役人の一つにはなります。茶の湯・立花・将棋・蹴鞠の類は無益なことですが、「これをするのは何もしないよりましだ」ということがあります。総じて人はただ居られないものです。心の寄せ所がなければ悪事をするものですから、度量の小さい人には孝悌忠信です。そのほかのことは好みに任せることです。こちらから定めて、度量の小さい人の心を安んじる道を極めておきたいとお考えになるのは、詮のないことです。何もかも自分の流儀にしたいように聞こえます。これは国家を治めて人の上にお立ちになるには、もってのほかのことと存じます。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・秦誓啻に其の口より出づるが如きのみならず、是れ能く之を容る。以て我が子孫黎民を保つ、亦職に利有らんかな。人の技有るを、冒疾して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之に違ひて達せざらしむ、是れ容るる能はず。以て我が子孫黎民を保つ能はず、亦殆ふしと曰はんかな。
-
『講孟余話』梁惠王上 第七章是れを政の先務として、更に極論すべきは、仕ふる者・其の君を疾む者の欲する所なり。方今当路の人を見るに、大抵規模狭隘にして人を容るるの量なし。故に才学伎能の士ありと雖も、藩内の人に非ざれば断じて延見せず。況んや敢へて草廬を顧み、傲睨して蝨を捫るの談を聞かんや。故に天下の仕ふる者、吾が朝に立たんと欲するありと雖も、遂に其の入らんことを欲して門戸を閉づるが如きのみ。且つ艱難憂懼、国として是れなきはなし。或は国主徳を失ひ、奸臣路に当たる如き、是れが忠臣義士たる者、日夜感慨悲憤せざるはなし。吾苟も自ら治めて余りある時は、宜しく殷の湯の葛伯に於けるが如く、他国の非義無道は且つ諭し且つ誡め、奸臣害をなす如きは為めに是れを誅除し、務めて其の国の忠臣義士の憂鬱を伸べしむべし。
-
『徂徠先生答問書』卷中一疵物の使ひにくき由被仰下候。成程〳〵尤なる御不審と存候。人情世態に歴練不被成候故、其疵の害をなし候は、如何程の儀と申候程位御心に落不申候て、御気遣ひ止不申にて御座候。御学問未熟にて小量なる故と可被思召候。此関打不透に候内は国の治はなり不申事に候。疵物と申候は、たとへばくせ馬のごとくに候。彼がくせを致し申候時の取納の仕様合点不参候内は気遣にて被乗不申候。是も尤には候得共、坐ながらに其取納の仕様合点参る物にて無御座候。馬屋の者ばくらう抔に能くせ馬をのり候者有之候。一々に馬術鍛錬致したるにても無御座候。又何程馬術鍛錬いたし候共、馬も活物に候へばくせの程位たしかに知れ申候に極りたる物にても無御座候。只気遣の心つよく御座候故、とにかくに埓明不申にて候。押こなしのりつけ候へば、左迄の気遣はなき物と申候事合点参る物に候。三度も五度もなげられ候心得にて無御座候ては、くせ馬にはのられ不申候。
-
尚書・仲虺之誥人を用ゐて惟れ己のごとく、
-
史記 項羽本紀其の後に最(あつ)まりて、郎中騎楊喜、騎司馬呂馬童、郎中呂勝・楊武各々其の一体を得たり。五人共に其の体を会するに、皆是なり。故に其の地を分かちて五と為し、呂馬童を封じて中水侯と為し、王翳を封じて杜衍侯と為し、楊喜を封じて赤泉侯と為し、楊武を封じて呉防侯と為し、呂勝を封じて涅陽侯と為す。項王已に死し、楚の地皆漢に降る、独り魯のみ下らず。漢乃ち天下の兵を引きて之を屠らんと欲す、其の礼義を守り、主の為に節に死するが為に、乃ち項王の頭を持ちて魯に視(しめ)す、魯の父兄乃ち降る。始め、楚の懐王初めて項籍を封じて魯公と為す、其の死するに及びて、魯最後に下る、故に魯公の礼を以て項王を穀城に葬る。漢王為に哀を発し、之に泣きて去る。諸々の項氏の枝属、漢王皆誅せず。乃ち項伯を封じて射陽侯と為す。桃侯・平皋侯・玄武侯は皆項氏なり、姓劉氏を賜ふ。太史公曰く、吾之を周生に聞く、曰く「舜の目は蓋し重瞳子なり」と、又聞く項羽も亦重瞳子なりと。羽豈に其の苗裔ならんや。何ぞ興ることの暴かなるや。夫れ秦其の政を失ひ、陳渉難を首め、豪傑蠭起し、相与に并び争ふこと、勝げて数ふべからず。
-
史記 晋世家二月辛丑、咎犯秦・晋の大夫と郇に盟ふ。壬寅、重耳晋の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝し、即位して晋君と為る。是を文公と為す。群臣皆往く。懐公圉高梁に奔る。戊申、人をして懐公を殺さしむ。懐公の故の大臣呂省・郤芮本より文公に附かず。文公立ち、誅せられんことを恐れ、乃ち其の徒と謀りて公宮を焼き、文公を殺さんと欲す。文公知らず。始め嘗て文公を殺さんと欲せし宦者履鞮其の謀を知り、以て文公に告げて、前の罪を解かんと欲し、文公に見えんことを求む。文公見えず、人をして譲めしめて曰く、「蒲城の事、女予が袪を斬る。其の後我狄君に従ひて猟す。女恵公の為に来たりて我を殺さんことを求む。恵公女と期するに三日にして至れとす。而るに女一日にして至る。何ぞ速やかなるや。女其れ之を念へ」と。宦者曰く、「臣は刀鋸の余なり。敢て二心を以て君に事へ主に倍かず。故に罪を君に得たり。君已に国に反る。其れ蒲・翟無からんや。且つ管仲鉤を射て、桓公以て覇たり。今刑余の人事を以て告ぐるも君見えずんば、禍又且に及ばんとす」と。是に於て之に見ゆ。遂に呂・郤等を以て文公に告ぐ。文公呂・郤を召さんと欲す。呂・郤等は党多し。文公初めて国に入り、国人の己を売らんことを恐れ、乃ち微行を為し、秦の繆公に王城に会す。国人知る莫し。三月己丑、呂・郤等果たして反し、公宮を焚くも、文公を得ず。文公の衛徒与に戦ふ。呂・郤等兵を引きて奔らんと欲す。秦の繆公呂・郤等を誘ひ、之を河上に殺す。晋国復して文公帰るを得たり。夏、夫人を秦に迎ふ。秦の文公に妻す所の者卒に夫人と為る。秦三千人を送りて衛と為し、以て晋の乱に備ふ。文公政を修め、恵みを百姓に施す。従亡の者及び功臣を賞し、大なる者は邑を封じ、小なる者は爵を尊くす。未だ尽くは賞を行はざるに、周の襄王弟帯の難を以て出でて鄭の地に居り、来たりて急を晋に告ぐ。晋初めて定まり、兵を発せんと欲するも、他の乱の起こらんことを恐る。是を以て従亡を賞するに未だ隠者介子推に至らず。推も亦た禄を言はず、禄も亦た及ばず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る