徂徠先生答問書 / 卷下
軍者抔と申候者、儒書のかたはしを學び、乾元剛健の德などゝ申樣なる事を取つけ、戰國名將の上に附會し、或は武道はすなはち神道也といひ、向上に建立し候得ば、何とやらんさもあるべきやうに聞え候得共、是皆戰國以來の事にて、源平の時代まではいまだなき事にて候。治世久敷續き、風俗移り候得ば、結句此頃は源平の時分の武士の風俗は衰へ候て、只戰國の時に附添たる風俗のかた計世にさかんに候。所詮武と申候字は戡亂也と訓し候事にて、亂逆を靜め候を武と申候。されば武の本意は民を安ずる仁心より逆亂を靜めて國土を安んじ候爲にて是則聖人の道の一端にて候。治まる時は文を用ひ、亂るゝ時は武を用ひ、只一箇の道にて、道に文道武道と申事は無之候。
新字:軍者抔と申候者、儒書のかたはしを学び、乾元剛健の徳などゝ申様なる事を取つけ、戦国名将の上に附会し、或は武道はすなはち神道也といひ、向上に建立し候得ば、何とやらんさもあるべきやうに聞え候得共、是皆戦国以来の事にて、源平の時代まではいまだなき事にて候。治世久敷続き、風俗移り候得ば、結句此頃は源平の時分の武士の風俗は衰へ候て、只戦国の時に附添たる風俗のかた計世にさかんに候。所詮武と申候字は戡乱也と訓し候事にて、乱逆を静め候を武と申候。されば武の本意は民を安ずる仁心より逆乱を静めて国土を安んじ候為にて是則聖人の道の一端にて候。治まる時は文を用ひ、乱るゝ時は武を用ひ、只一箇の道にて、道に文道武道と申事は無之候。
書き下し
軍者抔と申候者、儒書のかたはしを学び、乾元剛健の徳などゝ申様なる事を取つけ、戦国名将の上に附会し、或は武道はすなはち神道也といひ、向上に建立し候得ば、何とやらんさもあるべきやうに聞え候得共、是皆戦国以来の事にて、源平の時代まではいまだなき事にて候。治世久敷続き、風俗移り候得ば、結句此頃は源平の時分の武士の風俗は衰へ候て、只戦国の時に附添たる風俗のかた計世にさかんに候。所詮武と申候字は戡乱也と訓し候事にて、乱逆を静め候を武と申候。されば武の本意は民を安ずる仁心より逆乱を静めて国土を安んじ候為にて是則聖人の道の一端にて候。治まる時は文を用ひ、乱るゝ時は武を用ひ、只一箇の道にて、道に文道武道と申事は無之候。
現代語訳
軍学者などという者は、儒書の片端を学んで「乾元剛健の徳」などというようなことを取り付けて戦国の名将の上にこじつけ、あるいは「武道はすなわち神道である」と言って高尚なものに仕立てるので、何となくもっともらしく聞こえますが、これはみな戦国以来のことで、源平の時代まではまだなかったことです。治世が長く続いて風俗が移ったので、かえってこの頃は源平の時代の武士の風俗は衰え、ただ戦国の時に付き添った風俗のほうばかりが世に盛んです。結局「武」という字は「戡乱(乱を平定する)」と訓じるもので、乱逆を鎮めることを武というのです。ですから武の本意は、民を安んずる仁の心から逆乱を鎮めて国土を安んずるためのもので、これはすなわち聖人の道の一端です。治まっている時は文を用い、乱れる時は武を用いる、ただ一つの道であって、道に文道・武道という区別はありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
-
論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
-
論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
-
論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
-
論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
-
論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る