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徂徠先生答問書 / 卷下

古の書に有之候太公望より以下孫子吳子韓信諸葛孔明李靖が類は、此方にても兵家者流には是等は師とし尊び候事に候。されども此人々も別に武道といふ事を被立候事は無之候。事の起り、吾國の俗說に文武二道と申詞有之候。是は中古より公家武家とて家別れ候より、公家の傳へ候藝を文道と覺え、武家の傳へ候藝を武道と名付候俗說迄の事に候。詩歌も弓馬も藝にて候を、文盲なるものゝ道と名付け申習はし候にて候。され共武官家を世々し候得ば、一種の風俗自然に出來り候。大抵勇を尙び死をいとはず、恥を知り信を重んじ、むさときたなく候事を男子のせざる事と立候習はし、源平の時分此通りに候。それより世久しく戰國になり候故、世皆軍中の法令を以て國を治め候。其後天下一統しても、何れも文盲にて古を稽へ文德に返る事をしらず、太平の今に至るまで、官職も軍中の役割を其儘に用ひ、政治も軍中の法令を改めず候。是によりて武威を以てひしぎつけ、何事も簡易徑直なる筋を貴び候事を武家の治めと立て、是吾邦に古より傳はり候武道に候などゝ文盲なるものゝ存候にて御座候。

新字:古の書に有之候太公望より以下孫子呉子韓信諸葛孔明李靖が類は、此方にても兵家者流には是等は師とし尊び候事に候。されども此人々も別に武道といふ事を被立候事は無之候。事の起り、吾国の俗説に文武二道と申詞有之候。是は中古より公家武家とて家別れ候より、公家の伝へ候芸を文道と覚え、武家の伝へ候芸を武道と名付候俗説迄の事に候。詩歌も弓馬も芸にて候を、文盲なるものゝ道と名付け申習はし候にて候。され共武官家を世々し候得ば、一種の風俗自然に出来り候。大抵勇を尚び死をいとはず、恥を知り信を重んじ、むさときたなく候事を男子のせざる事と立候習はし、源平の時分此通りに候。それより世久しく戦国になり候故、世皆軍中の法令を以て国を治め候。其後天下一統しても、何れも文盲にて古を稽へ文徳に返る事をしらず、太平の今に至るまで、官職も軍中の役割を其儘に用ひ、政治も軍中の法令を改めず候。是によりて武威を以てひしぎつけ、何事も簡易径直なる筋を貴び候事を武家の治めと立て、是吾邦に古より伝はり候武道に候などゝ文盲なるものゝ存候にて御座候。

書き下し

古の書に有之候太公望より以下孫子呉子韓信諸葛孔明李靖が類は、此方にても兵家者流には是等は師とし尊び候事に候。されども此人々も別に武道といふ事を被立候事は無之候。事の起り、吾国の俗説に文武二道と申詞有之候。是は中古より公家武家とて家別れ候より、公家の伝へ候芸を文道と覚え、武家の伝へ候芸を武道と名付候俗説迄の事に候。詩歌も弓馬も芸にて候を、文盲なるものゝ道と名付け申習はし候にて候。され共武官家を世々し候得ば、一種の風俗自然に出来り候。大抵勇を尚び死をいとはず、恥を知り信を重んじ、むさときたなく候事を男子のせざる事と立候習はし、源平の時分此通りに候。それより世久しく戦国になり候故、世皆軍中の法令を以て国を治め候。其後天下一統しても、何れも文盲にて古を稽へ文徳に返る事をしらず、太平の今に至るまで、官職も軍中の役割を其儘に用ひ、政治も軍中の法令を改めず候。是によりて武威を以てひしぎつけ、何事も簡易径直なる筋を貴び候事を武家の治めと立て、是吾邦に古より伝はり候武道に候などゝ文盲なるものゝ存候にて御座候。

現代語訳

昔の書にある太公望以下、孫子・呉子・韓信・諸葛孔明・李靖の類は、こちらでも兵家の流れの者たちが師として尊んでいます。けれどもこの人々も、別に武道というものを立てたことはありません。事の起こりは、我が国の俗説に「文武二道」という言葉があることです。これは中古から公家と武家とに家が分かれたことから、公家の伝える芸を文道と覚え、武家の伝える芸を武道と名付けた、俗説までのことです。詩歌も弓馬も芸であるのを、文字を知らない者が「道」と名付けて言い習わしたのです。けれども武官の家を代々継いでいれば、一種の風俗が自然にできてきます。たいてい勇を尊び死をいとわず、恥を知り信義を重んじ、だらしなく汚いことは男子のしないことと立てる習わしで、源平の時代はこの通りでした。それから長い間戦国の世になったので、世はみな軍中の法令で国を治めました。その後天下が統一されても、誰もが文字を知らず、古を考えて文徳に立ち返ることを知らず、太平の今に至るまで、官職も軍中の役割をそのまま用い、政治も軍中の法令を改めていません。このため武威によって押さえつけ、何事も簡単で手っ取り早い筋を尊ぶことを武家の治め方と立て、これこそ我が国に古くから伝わる武道だなどと、文字を知らない者が思っているのです。

解説

徂徠は「文武二道」という言い方そのものを、公家と武家の家芸の区別から生まれた俗説だと断じる。源平の武士には勇・恥・信を重んじる美しい気風があったが、戦国の世に軍中の法令で国を治める習慣ができ、太平の世になっても官職も政治も軍隊式のまま改められていないという。これは徂徠が『政談』などで繰り返した幕政批判の核心でもある。創業期や危機の時の軍隊式の管理を、平時の組織になっても続けていないかを問い直す一節として読める。

この章句が説くこと

文武武士道風俗政治源平組織

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