徂徠先生答問書 / 卷中
一前書に申進候通、道を御存知なく候故、深遠の思慮無御座、只指當り候鼻の先にて物を御直し候半と思召候。人は活物にて候。夫故に國家を治候も、人を敎訓いたし候も、又は我心我身を治め候も、木にて人形など割見候ごとくにはならぬ物に候。醫者の病を治し候も同事に候。見えわたりたる上にて、咳を止め瀉を止め、熱をもさまし、食をも進め、積塊をも退候半と存候は下手の仕事に候。道を存候醫者は左樣には無御座候。故に聖人の道を大道術と申候。國家を治候も、直に善惡邪正を正し、見えわたりたる上にてさつぱりと仕候事にては無御座候。俗人の思ひかけぬ所より仕かけを致し候て、覺えず知らず自然と直り候樣に仕事に候。人才を養候も同事に候。世に詐術と申物御座候を嫌ひ候より、術の沙汰消失候て、宋儒の說のごとくに成行申事に御座候。兎角に後世の諸說を御用不被成、六經論語の間を御熟讀被成候はゞ、自然と御會得可被成候。以上。
新字:一前書に申進候通、道を御存知なく候故、深遠の思慮無御座、只指当り候鼻の先にて物を御直し候半と思召候。人は活物にて候。夫故に国家を治候も、人を教訓いたし候も、又は我心我身を治め候も、木にて人形など割見候ごとくにはならぬ物に候。医者の病を治し候も同事に候。見えわたりたる上にて、咳を止め瀉を止め、熱をもさまし、食をも進め、積塊をも退候半と存候は下手の仕事に候。道を存候医者は左様には無御座候。故に聖人の道を大道術と申候。国家を治候も、直に善悪邪正を正し、見えわたりたる上にてさつぱりと仕候事にては無御座候。俗人の思ひかけぬ所より仕かけを致し候て、覚えず知らず自然と直り候様に仕事に候。人才を養候も同事に候。世に詐術と申物御座候を嫌ひ候より、術の沙汰消失候て、宋儒の説のごとくに成行申事に御座候。兎角に後世の諸説を御用不被成、六経論語の間を御熟読被成候はゞ、自然と御会得可被成候。以上。
書き下し
一前書に申進候通、道を御存知なく候故、深遠の思慮無御座、只指当り候鼻の先にて物を御直し候半と思召候。人は活物にて候。夫故に国家を治候も、人を教訓いたし候も、又は我心我身を治め候も、木にて人形など割見候ごとくにはならぬ物に候。医者の病を治し候も同事に候。見えわたりたる上にて、咳を止め瀉を止め、熱をもさまし、食をも進め、積塊をも退候半と存候は下手の仕事に候。道を存候医者は左様には無御座候。故に聖人の道を大道術と申候。国家を治候も、直に善悪邪正を正し、見えわたりたる上にてさつぱりと仕候事にては無御座候。俗人の思ひかけぬ所より仕かけを致し候て、覚えず知らず自然と直り候様に仕事に候。人才を養候も同事に候。世に詐術と申物御座候を嫌ひ候より、術の沙汰消失候て、宋儒の説のごとくに成行申事に御座候。兎角に後世の諸説を御用不被成、六経論語の間を御熟読被成候はゞ、自然と御会得可被成候。以上。
現代語訳
前の書状で申し上げたとおり、道をご存じないので深く遠い思慮がなく、ただ差し当たる鼻の先で物事を直そうとお考えになっています。人は生き物です。それゆえ国家を治めるのも、人を教え導くのも、また自分の心と身を治めるのも、木で人形などを割って見るようにはいかないものです。医者が病を治すのも同じです。目に見えたところで、咳を止め、下痢を止め、熱も冷まし、食も進め、積塊(腹のしこり)も退けようと思うのは下手の仕事です。道を知る医者はそうではございません。ゆえに聖人の道を大道術と申すのです。国家を治めるのも、直接に善悪邪正を正し、目に見えたところでさっぱりと片づけることではございません。俗人の思いもかけないところから仕掛けをして、知らず知らずのうちに自然と直るようにすることです。人材を養うのも同じです。世に詐術というものがあるのを嫌うことから、術の話が消え失せて、宋儒の説のようになってゆくのでございます。とにかく後世の諸説をお用いにならず、六経と『論語』をご熟読なされば、自然とご会得なされるでしょう。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学則』学則六舜衆より選びて皐陶を挙ぐ。其の四凶を誅するは、称する所に非ざるなり。聖人の世には弃材無く、弃物無し。堯舜の民、比屋封ずべし。豈に皆公侯の材ならんや。亦た愍みて之を宥すに非ず、其の治に裨有るを謂ふなり。邇言を察し、芻蕘に采る。其の人豈に皆賢ならんや。毒は疾を已し、苓も時有りてか帝たり。它山の石は玉を攻む。不善人は善人の資なり。是れ聖人の其の大を成す所以なり。故に善悪皦皦たれば、先王の封疆朘り、邪正闇闇たれば、仲尼の区域削らる。皆儒者の罪なり。是の故に諸子百家九流の言、以て仏老の頗に及ぶまで、皆道の裂なり。亦た人情より出でざる者有る莫し。故に至言有り。夫れ聖人の道は人の情を尽くすのみ。爾らずんば、何を以てか能く治めて之を安んぜんや。
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『講孟余話』公孫丑上 第五章此の章仁政を論ずること甚だ詳かなり。大意、天下の士・商旅・農民皆我が国を慕ひ来る如くする事なり。五者の中尤も要とする所は、又士の其の朝に立つことを願ふ如くするに在り、故に此の条を以て第一に置くなり。政に任ずる者、胸に手を措きて思惟すべし。
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『徂徠先生答問書』卷中一経済の儀何角と御穿鑿被仰聞候。但法と人との差別御勘弁被成候哉無心元存候。成程被仰下候ごとく、法もよき法有之候。とくと不仕法も有之候。依之法の吟味もなくて不叶事に候得共、経済を談候人、多くは只仕形の善悪計を吟味仕候は、道を不存候過にて候。苟非其人道不虚行と申事有之候。法よりは人猶肝要にて御座候。たとひ法は悪敷候共、人能候へば相応の利益は有之物に候。法計の吟味仕候て人悪鋪候へば何の用にも立不申候。又人に随て法は違候物に候。法は先王の法ほど吟味つまり候事は無之候へども、王莽王安石が周礼は毒を天下に流し申候。経済の法計を御穿鑿被成候て、人の僉議無之候は、白人医者の名方を集め候類にて候。
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『弁道』第三則道とは統名なり。礼楽刑政凡そ先王の建つる所の者を挙げて、合はせて之に命くるなり。礼楽刑政を離れて別に所謂道なる者有るに非ざるなり。曰ふが如し、「賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文武の道有らざること莫し」と。又た武城の絃歌の如き、孔子に牛刀の誚り有り、而して子游君子小人の道を学ぶを引く。見るべきのみ。孔安国の註に、「道は礼楽を謂ふなり」と。古時の言語、漢儒猶ほ其の伝を失はざるかな。
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『学則』学則五聖人の道は猶ほ和風甘雨のごときか。物其の養を得て以て生じ、生ずれば斯に長ず。豈に窮まり已むこと有らんや。君子は以て徳を成し、小人は以て俗を成す。天下を陶鈞の中に錯く。聖人の道、爾りと為す。故に君子は身を斯に錯き、焉に蔵し、焉に脩め、焉に息ひ、焉に游ぶ。道に郷ひて行き、中道にして廃す。徳慧術知、焉に於て出で、博厚高明、焉に於て至る。日に躋り月に烝み、然るを知らずして然り。故に曰く、我に於て何か有らんや、と。諸を草木を植うるに譬ふ。枝葉華実、豈に一一にして之を伝へんや。務むる所は本根の培ひのみ。棘猴玉楮、巧なりと雖も、人人の能くする所に非ざるなり。巧人有りと雖も、亦た物に周きこと能はざるなり。
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『管子』五輔曰く、然らば則ち人を得るの道は、之を利するに如くは莫し。之を利するの道は、之を教うるに政を以てするに如くは莫し。故に善く政を為す者は、田疇墾かれて國邑實ち、朝廷閒かにして官府治まり、公法行われて私曲止み、倉廩實ちて囹圄空しく、賢人進みて奸民退く。其の君子は中正を上びて諂諛を下し、其の士民は武勇を貴びて利を得るを賤しみ、其の庶人は耕農を好みて飲食を惡む。是に於いて財用足りて飲食薪菜饒かなり。是の故に上は必ず寛裕にして解舍有り、下は必ず聽從して疾怨せず、上下和同して禮義有り。故に處りて安く動きて威あり、戰いて勝ち守りて固し、是を以て一戰して諸侯を正す。
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