徂徠先生答問書 / 卷中
又米にて豆にもなり、豆にて米にも用られ候樣にと申事に候はゞ、世界に左樣なる事は無之事に候。是皆聖人になり候はんと求めしより起り候妄說に候。聖人は聰明睿智の德を天よりうけ得て神明にひとしき人にて候を、何として人力を以てなり可申候哉。さる程に古より聖人になりたる人無御座候へば、妄說なる事明白に候。聖人の敎には聖人になれと申候事は無之候。聖人の敎に順ひて君子になり候事に候。宋儒の說は、佛法にて佛になり候と申候を能事と存じ、其眞似をいたしたる事にて候。宋儒の說には人欲淨盡て天理渾然なる人を聖人と立候へ共、其分にては聖人とは申されず候。己が心にて聖人はかくのごときと了簡をしてこしらへたて候は、雷又鬼などを繪がき候に相似候。見もせぬ物を推量にて繪がき候を誠と存候て、雷は大皷をたゝく、鬼は虎の皮の下帶をいたしたる物と存候兒女子の心と、宋儒の說に從ひて聖人を思ひやり申候と、左迄は違不申と存事に候。聖人の敎に順ひ候と、宋儒の敎に從候とにて、かやうほどの相違は出來申候。能々御思量可被成候。以上。
新字:又米にて豆にもなり、豆にて米にも用られ候様にと申事に候はゞ、世界に左様なる事は無之事に候。是皆聖人になり候はんと求めしより起り候妄説に候。聖人は聰明睿智の徳を天よりうけ得て神明にひとしき人にて候を、何として人力を以てなり可申候哉。さる程に古より聖人になりたる人無御座候へば、妄説なる事明白に候。聖人の教には聖人になれと申候事は無之候。聖人の教に順ひて君子になり候事に候。宋儒の説は、仏法にて仏になり候と申候を能事と存じ、其真似をいたしたる事にて候。宋儒の説には人欲浄尽て天理渾然なる人を聖人と立候へ共、其分にては聖人とは申されず候。己が心にて聖人はかくのごときと了簡をしてこしらへたて候は、雷又鬼などを絵がき候に相似候。見もせぬ物を推量にて絵がき候を誠と存候て、雷は大鼓をたゝく、鬼は虎の皮の下帯をいたしたる物と存候児女子の心と、宋儒の説に従ひて聖人を思ひやり申候と、左迄は違不申と存事に候。聖人の教に順ひ候と、宋儒の教に従候とにて、かやうほどの相違は出来申候。能々御思量可被成候。以上。
書き下し
又米にて豆にもなり、豆にて米にも用られ候様にと申事に候はゞ、世界に左様なる事は無之事に候。是皆聖人になり候はんと求めしより起り候妄説に候。聖人は聰明睿智の徳を天よりうけ得て神明にひとしき人にて候を、何として人力を以てなり可申候哉。さる程に古より聖人になりたる人無御座候へば、妄説なる事明白に候。聖人の教には聖人になれと申候事は無之候。聖人の教に順ひて君子になり候事に候。宋儒の説は、仏法にて仏になり候と申候を能事と存じ、其真似をいたしたる事にて候。宋儒の説には人欲浄尽て天理渾然なる人を聖人と立候へ共、其分にては聖人とは申されず候。己が心にて聖人はかくのごときと了簡をしてこしらへたて候は、雷又鬼などを絵がき候に相似候。見もせぬ物を推量にて絵がき候を誠と存候て、雷は大鼓をたゝく、鬼は虎の皮の下帯をいたしたる物と存候児女子の心と、宋儒の説に従ひて聖人を思ひやり申候と、左迄は違不申と存事に候。聖人の教に順ひ候と、宋儒の教に従候とにて、かやうほどの相違は出来申候。能々御思量可被成候。以上。
現代語訳
また、米でありながら豆にもなり、豆でありながら米にも用いられるようにということなら、世の中にそのようなことはありません。これはみな聖人になろうと求めたことから起こった妄説です。聖人は聡明睿智の徳を天から受けて神明に等しい人ですのに、どうして人の力でなれるでしょうか。そのため昔から聖人になった人はございませんので、妄説であることは明白です。聖人の教えには聖人になれということはありません。聖人の教えに従って君子になるのです。宋儒の説は、仏法で仏になるというのをよいことと思って、その真似をしたものです。宋儒の説では人欲が浄く尽きて天理が渾然となった人を聖人と立てますが、それだけでは聖人とは申せません。自分の心で聖人はこのようなものと考えてこしらえ立てるのは、雷や鬼などを絵に描くのに似ています。見もしないものを推量で描いたのを本当と思って、雷は太鼓をたたき、鬼は虎の皮のふんどしをしたものと思う子どもの心と、宋儒の説に従って聖人を思い描くのとは、それほど違わないと存じます。聖人の教えに従うのと、宋儒の教えに従うのとで、これほどの相違が生じるのです。よくよくお考えください。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之二・為学下一楊子曰学者所以求為君子也。言ふ意は、学問をするは何の為ぞや。君子とならんが為なり。君子とは有徳人を云ふ。君子の字義は、易の正義に、人の君となりて万民を子のごとくする徳ある人をいへり。賤くして下にありても、其徳あれば君子と称す君子となるとは人となるなり。学ばざる人は云ふにたらず。学んでも君子とならずんば、学ばざるに同じくして、人と生れたるかひなし。君子となる事容易からず。しかれども、志を立ておこたらずんば、必其功あるべし。古語にも、志あるものは其事つひに成るといへり。学は終身のことなり。一息もいまだ残れる内は、此志怠るべからず。是人の一生の間のつとめなり。
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『初学訓』巻之三一善を行ふに、愛敬の心を本とすべし。其人に随ひて、愛敬に厚薄有るべし。一学問するに、道を知らんことを以て心とし、善を行ひて、人を愛し助くるを以て事とすべし。是、学問の要とする所、本を務むるなり。其目的は、君子とならんことを期するを以て志とすべし。然らずして、才学のみに心を用ひ、是を以て、みづから誇り、人を侮る故、書を読まざる時より、心ざま、かへつて悪しくなりもて行けり。是、君子となることを好まずして、小人となることを学ぶなり。書を読むによつて、かへつて小人となるは口をし。もし如斯ならば、学問すれば人品悪しくなると、俗人のいへるも宜なり。かかる学問は、せざるに如かず。されども、それによつて学問せざるは、たとへば噎によつて食せざるが如し。食は日用の物なり。むせたるは、食する人の過なり。
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
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『格言聯璧』敦品類・秀才と做りては處子の如くす小人の上に事ふるや、必ず諂ひ必ず媚び、其の下を待つや、必ず傲りて以て忽せにす。 朝に立ちて是れ好き舍人ならざるは、家に居りしより是れ好き處士ならざればなり。 平素是れ好き處士ならざるは、則ち小さき時是れ好き學生ならざればなり。 秀才と做りては處子の如く、人を怕るるを要す。
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『学則』答屈景山書夫れ学問なる者は君子の事なり。君子は争ふ所無し。争へば斯ち徳を害す。問ふ者は弟子の事なり。弟子の礼を秉りて訟ふる者の鬩ぎを用ふ。鬩げば斯ち礼を害す。徳と礼とを害する者は、君子由らざるなり。孟子の弁を好みて楊墨を闢けしより、其の時の已むを得ざるに由ると雖も、亦た古の道に非ざるなり。不佞窃かに焉を惜しむ。爾後、稷下の市学、田巴一日に千人を服す。流風の扇ぐ所、是非蜂涌し、百世に紛呶たり。悲しいかな。彼の浮屠の勘弁有るが若きは、則ち亦た訟へを聴く者の道なり。儒の黠き者、陰かに其の術を操り、以て人を窺ひて自ら憙ぶ。乃ち名教の罪人なり。
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『益軒家訓』聖学須勤凡人たるものは、聖人の教を貴び受け、強く志を立て、人の道を学び知り、勤め行ひて君子とならん事を思ひ、常に心にかけて怠るべからず。これ聖学に志すの道なり。其学問の法は、書を読み古を考へ、人に問ひ己におもひ、人の諫いましめを聴用ひ、常に我が身を顧て、我が愚なる事を知り、わが不善なる事を知り、わが過を改めて善にうつるべし。君子の過ちや日月の食の如し、過つや人皆之を見、更むるや人皆之を仰ぐ。また小人の過つや、かならず文る。過をはぢて蔽ひかくすは小人の心なり、甚卑し。古語に聖人に非ずんば誰か能く過ち無からん、過ちて能く改むる、善焉より大なるは莫しといへり。仮にも我を智ありとし、善也と思ふべからず。わが身のちからをたのみて、人を愚なりとし、侮るべからず。諫を拒ぎ、我を是とすべからず。
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