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学則 / 学則五

聖人之道。猶和風甘雨邪。物得其養以生。生斯長。豈有窮已乎。君子以成德。小人以成俗。天下錯諸陶鈞之中。聖人之道爲爾。故君子錯身于斯。藏焉。脩焉。息焉。游焉。鄉道而行。中道而廢。德慧術知。於焉而出。博厚高明。於焉而至。日躋月烝。不知然而然。故曰。於我何有哉。譬諸植草木。枝葉華實。豈一一而傳之哉。所務本根之培已。棘猴玉楮。雖巧乎。非人人所能也。雖有巧人。亦不能周物也。

新字:聖人之道。猶和風甘雨邪。物得其養以生。生斯長。豈有窮已乎。君子以成徳。小人以成俗。天下錯諸陶鈞之中。聖人之道為爾。故君子錯身于斯。蔵焉。脩焉。息焉。游焉。郷道而行。中道而廃。徳慧術知。於焉而出。博厚高明。於焉而至。日躋月烝。不知然而然。故曰。於我何有哉。譬諸植草木。枝葉華実。豈一一而伝之哉。所務本根之培已。棘猴玉楮。雖巧乎。非人人所能也。雖有巧人。亦不能周物也。

書き下し

聖人の道は猶ほ和風甘雨のごときか。物其の養を得て以て生じ、生ずれば斯に長ず。豈に窮まり已むこと有らんや。君子は以て徳を成し、小人は以て俗を成す。天下を陶鈞の中に錯く。聖人の道、爾りと為す。故に君子は身を斯に錯き、焉に蔵し、焉に脩め、焉に息ひ、焉に游ぶ。道に郷ひて行き、中道にして廃す。徳慧術知、焉に於て出で、博厚高明、焉に於て至る。日に躋り月に烝み、然るを知らずして然り。故に曰く、我に於て何か有らんや、と。諸を草木を植うるに譬ふ。枝葉華実、豈に一一にして之を伝へんや。務むる所は本根の培ひのみ。棘猴玉楮、巧なりと雖も、人人の能くする所に非ざるなり。巧人有りと雖も、亦た物に周きこと能はざるなり。

現代語訳

聖人の道は、穏やかな風や恵みの雨のようなものであろう。物はその養いを受けて生まれ、生まれればそこで成長する。どうして行き詰まり止まることがあろうか。君子はそれによって徳を成し、庶民はそれによって良い風俗を成す。天下を陶工のろくろの上に置いて形づくるようなものである。聖人の道とはそういうものだ。だから君子はこの道の中に身を置き、ここに心を収め、ここで修め、ここで休み、ここで遊ぶ。道に向かって歩み、力尽きて途中で倒れるまで歩み続ける。徳や知恵や技術は、ここから生まれ、広く厚く高く明らかな境地は、ここに至る。日ごとに登り月ごとに進んで、自分ではそうと知らないうちにそうなっている。だから「私に何の働きがあろうか」(『論語』)と言うのである。草木を植えることにたとえよう。枝や葉や花や実を、一つひとつ伝えたりするだろうか。努めるのは根もとに土を寄せて培うことだけである。いばらの先に猿を彫ったり、玉で楮(こうぞ)の葉を作ったりするのは、巧みではあっても誰にでもできることではない。巧みな人がいたとしても、すべての物に行き渡らせることはできない。

解説

第五則で徂徠は、聖人の道を和風甘雨にたとえる。道は人を型にはめて削るものではなく、養って自然に育てるものであり、その中に身を置けば徳も知恵もいつの間にか生じてくる。枝葉を一つずつ教えるのでなく根を培えというのは、細部の技巧を一人ずつ仕込む教育への批判でもある。名人芸は万人に行き渡らないからである。ここでの「生」と「養」は、前則の「生ずるを竢つ」を受けている。人材育成でも、手取り足取りの指導より、育つ環境と風土をつくることが根本だという示唆になる。

この章句が説くこと

聖人道養う教育人材風土

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