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学則 / 学則六

舜選於衆。擧皐陶。其誅四凶。非所稱也。聖人之世。無弃材。無弃物。堯舜之民。比屋可封。豈皆公侯之材哉。亦非愍而宥之。謂其有裨乎治也。察邇言。采芻蕘。其人豈皆賢邪。毒已疾。苓有時乎帝。它山之石攻玉。不善人善人之資。是聖人之所以成其大也。故善惡皦皦。先王之封疆朘矣。邪正闇闇。仲尼之區域削矣。皆儒者之罪也。是故諸子百家九流之言。以及佛老之頗。皆道之裂已。亦莫有不由人情出焉。故有至言。夫聖人之道。盡人之情已矣。不爾。何以能治而安之哉。

新字:舜選於衆。挙皐陶。其誅四凶。非所称也。聖人之世。無弃材。無弃物。堯舜之民。比屋可封。豈皆公侯之材哉。亦非愍而宥之。謂其有裨乎治也。察邇言。采芻蕘。其人豈皆賢邪。毒已疾。苓有時乎帝。它山之石攻玉。不善人善人之資。是聖人之所以成其大也。故善悪皦皦。先王之封疆朘矣。邪正闇闇。仲尼之区域削矣。皆儒者之罪也。是故諸子百家九流之言。以及仏老之頗。皆道之裂已。亦莫有不由人情出焉。故有至言。夫聖人之道。尽人之情已矣。不爾。何以能治而安之哉。

書き下し

舜衆より選びて皐陶を挙ぐ。其の四凶を誅するは、称する所に非ざるなり。聖人の世には弃材無く、弃物無し。堯舜の民、比屋封ずべし。豈に皆公侯の材ならんや。亦た愍みて之を宥すに非ず、其の治に裨有るを謂ふなり。邇言を察し、芻蕘に采る。其の人豈に皆賢ならんや。毒は疾を已し、苓も時有りてか帝たり。它山の石は玉を攻む。不善人は善人の資なり。是れ聖人の其の大を成す所以なり。故に善悪皦皦たれば、先王の封疆朘り、邪正闇闇たれば、仲尼の区域削らる。皆儒者の罪なり。是の故に諸子百家九流の言、以て仏老の頗に及ぶまで、皆道の裂なり。亦た人情より出でざる者有る莫し。故に至言有り。夫れ聖人の道は人の情を尽くすのみ。爾らずんば、何を以てか能く治めて之を安んぜんや。

現代語訳

舜は多くの人の中から選んで皐陶を登用した(『論語』)。四凶(四人の悪人)を誅したことは、称賛されるべき点ではない。聖人の世には、捨てられる人材もなく、捨てられる物もない。堯・舜の民は、どの家も諸侯に封じてよいほどだったというが、皆が公侯の器であったはずはない。かといって、哀れんで大目に見たのでもない。それぞれが治世の役に立ったということである。(舜は)身近な言葉をよく察し、草刈りや木こりの意見にも耳を傾けた。その人たちが皆賢者だったわけではない。毒も病を治し、豬苓のような下等な薬も時には主薬となる。よその山の石でも玉を磨ける。善からぬ人も善人にとっての資となる(『老子』)。これが聖人が大きなことを成し遂げるゆえんである。だから善悪をくっきり区別すれば、先王の領土は狭まり、邪と正とを厳しく言い立てれば、孔子の領域は削られる。これはみな儒者の罪である。それゆえ諸子百家・九流の言説、さらには仏教や老荘の偏った説までも、すべて道の裂け目から出たものであり、どれも人情から出ていないものはない。だから、そこにも至言がある。そもそも聖人の道とは、人の情を尽くすことにほかならない。そうでなければ、どうして天下を治め、安んじることができようか。

解説

聖人の世に弃材なしという徂徠の人材観の中心である。堯舜の民がみな公侯の器だったわけではなく、それぞれが治世の役に立ったのだと読み、毒も薬になり他山の石も玉を磨くと例を重ねる。善悪をくっきり分けるほど先王の道は狭まるとして、諸子百家や仏老さえ道の裂け目から出た人情の言葉と認める。『老子』の不善人は善人の資を引くのも大胆である。聖人の道は人情を尽くすことだという結論は、多様な人材を排除せず適所で生かす組織づくりの原則として読める。

この章句が説くこと

人材聖人適材適所人情道諸子百家

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