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徂徠先生答問書 / 卷中

一御氣質惡敷候由、殊の外氣の毒に思召候由被仰下候。己が非を知ると申候は能事に候得共、餘りに氣質を氣の毒に存候事は不宜儀に存候。氣質は天より禀得、父母よりうみ付候事に候。氣質を變化すると申候事は宋儒の妄說にて、ならぬ事を人に責候無理の至に候。氣質は何としても變化はならぬ物にて候、米はいつ迄も米、豆はいつまでも豆にて候。只氣質を養ひ候て、其生れ得たる通りを成就いたし候が學問にて候。たとへば米にても豆にても、その天性のまゝに實いりよく候樣にこやしを致したて候ごとくに候。しいなにては用に立不申候。されば世界の爲にも、米は米にて用にたち、豆は豆にて用に立申候、米は豆にはならぬ物に候。豆は米にはならぬ物に候。宋儒の說のごとく氣質を變化して渾然中和に成候はゞ、米ともつかず豆ともつかぬ物に成たきとの事に候や。それは何の用にも立申間敷候。

新字:一御気質悪敷候由、殊の外気の毒に思召候由被仰下候。己が非を知ると申候は能事に候得共、余りに気質を気の毒に存候事は不宜儀に存候。気質は天より禀得、父母よりうみ付候事に候。気質を変化すると申候事は宋儒の妄説にて、ならぬ事を人に責候無理の至に候。気質は何としても変化はならぬ物にて候、米はいつ迄も米、豆はいつまでも豆にて候。只気質を養ひ候て、其生れ得たる通りを成就いたし候が学問にて候。たとへば米にても豆にても、その天性のまゝに実いりよく候様にこやしを致したて候ごとくに候。しいなにては用に立不申候。されば世界の為にも、米は米にて用にたち、豆は豆にて用に立申候、米は豆にはならぬ物に候。豆は米にはならぬ物に候。宋儒の説のごとく気質を変化して渾然中和に成候はゞ、米ともつかず豆ともつかぬ物に成たきとの事に候や。それは何の用にも立申間敷候。

書き下し

一御気質悪敷候由、殊の外気の毒に思召候由被仰下候。己が非を知ると申候は能事に候得共、余りに気質を気の毒に存候事は不宜儀に存候。気質は天より禀得、父母よりうみ付候事に候。気質を変化すると申候事は宋儒の妄説にて、ならぬ事を人に責候無理の至に候。気質は何としても変化はならぬ物にて候、米はいつ迄も米、豆はいつまでも豆にて候。只気質を養ひ候て、其生れ得たる通りを成就いたし候が学問にて候。たとへば米にても豆にても、その天性のまゝに実いりよく候様にこやしを致したて候ごとくに候。しいなにては用に立不申候。されば世界の為にも、米は米にて用にたち、豆は豆にて用に立申候、米は豆にはならぬ物に候。豆は米にはならぬ物に候。宋儒の説のごとく気質を変化して渾然中和に成候はゞ、米ともつかず豆ともつかぬ物に成たきとの事に候や。それは何の用にも立申間敷候。

現代語訳

ご自分の気質が悪いことを、ことのほか気に病んでおられるとのこと、お申し越しくださいました。自分の非を知るのはよいことですが、あまりに気質を気に病むのはよくないことと存じます。気質は天から受け、父母から生みつけられたものです。気質を変化させるというのは宋儒の妄説で、できないことを人に求める無理の極みです。気質はどうしても変化はできないもので、米はいつまでも米、豆はいつまでも豆です。ただ気質を養って、その生まれつきのとおりを成就するのが学問です。たとえば、米でも豆でも、その天性のままに実入りがよいように肥やしをして育てるようなものです。しいな(実の入らない籾)では役に立ちません。ですから世の中のためにも、米は米として役に立ち、豆は豆として役に立つのです。米は豆にはならず、豆は米にはならないものです。宋儒の説のように気質を変化させて渾然とした中和になるなら、米ともつかず豆ともつかないものになりたいということでしょうか。それは何の役にも立たないでしょう。

解説

自分の気質の悪さを気に病む家老に、徂徠は気質は変えられないと言い切る。朱子学は学問で気質を変化させ、偏りのない中和に至ることを説いたが、徂徠はそれを妄説とする。米はいつまでも米、豆は豆であり、学問とは生まれつきを養って実入りよく育てることだという。米とも豆ともつかぬ人間は何の役にも立たない。短所をならして平均的な人材を作るより、それぞれの持ち味を伸ばして適所で生かせという考えは、今日の強みを生かす人材育成の発想と重なる。

この章句が説くこと

気質学問人材宋儒強み教育

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