史記 / 孟子荀卿列伝
有之。」後淳于髡見,壹語連三日三夜無倦。惠王欲以卿相位待之,髡因謝去。於是送以安車駕駟,束帛加璧,黃金百鎰。終身不仕。慎到,趙人。田駢、接子,齊人。環淵,楚人。皆學黃老道德之術,因發明序其指意。故慎到著十二論,環淵著上下篇,而田駢、接子皆有所論焉。騶奭者,齊諸騶子,亦頗采騶衍之術以紀文。於是齊王嘉之,自如淳于髡以下,皆命曰列大夫,為開第康莊之衢,高門大屋,尊寵之。覽天下諸侯賓客,言齊能致天下賢士也。
新字:有之。」後淳于髡見,壱語連三日三夜無倦。恵王欲以卿相位待之,髡因謝去。於是送以安車駕駟,束帛加璧,黄金百鎰。終身不仕。慎到,趙人。田駢、接子,斉人。環淵,楚人。皆学黄老道徳之術,因発明序其指意。故慎到著十二論,環淵著上下篇,而田駢、接子皆有所論焉。騶奭者,斉諸騶子,亦頗采騶衍之術以紀文。於是斉王嘉之,自如淳于髡以下,皆命曰列大夫,為開第康荘之衢,高門大屋,尊寵之。覧天下諸侯賓客,言斉能致天下賢士也。
書き下し
これ有り」と。後に淳于髡見え、壹たび語りて連ぬること三日三夜にして倦むこと無し。恵王、卿相の位を以てこれを待たんと欲す、髡因りて謝して去る。是に於いて送るに安車駕駟、束帛に璧を加へ、黄金百鎰を以てす。終身仕へず。慎到は趙人。田駢・接子は斉人。環淵は楚人。皆黄老道徳の術を学び、因りてその指意を発明して序す。故に慎到は十二論を著し、環淵は上下篇を著し、而して田駢・接子は皆論ずる所有り。騶奭なる者は、斉の諸騶子にして、また頗る騶衍の術を采りて以て文を紀す。是に於いて斉王これを嘉し、淳于髡より以下の如き、皆命じて列大夫と曰ひ、為に第を康荘の衢に開き、高門大屋、これを尊寵す。天下諸侯の賓客に覧せて、斉は能く天下の賢士を致すと言ふなり。
現代語訳
「そのとおりだった。」その後、淳于髡は恵王に会うと、ひとたび語り出すと三日三晩続けても飽きることがなかった。恵王は卿や宰相の位で彼を遇しようとしたが、淳于髡は辞退して去った。そこで恵王は、四頭立ての座って乗れる車と、束ねた絹に璧を添えたもの、黄金百鎰を贈って送り出した。淳于髡は生涯仕官しなかった。慎到は趙の人である。田駢と接子は斉の人である。環淵は楚の人である。みな黄帝・老子の道徳の学を学び、その趣旨を明らかにして論じた。そこで慎到は十二論を著し、環淵は上下篇を著し、田駢と接子もそれぞれ論じたものがあった。騶奭は斉の騶子の一人で、騶衍の学説を大いに取り入れて文章を記した。そこで斉王は彼らをほめたたえ、淳于髡以下の人々をみな列大夫(官職に就かずに大夫の待遇を受ける者)に任じ、四方に通じる大通りに屋敷を開いて、高い門と大きな家を与え、尊び寵愛した。こうして天下の諸侯やその賓客に見せつけ、斉は天下の賢者を招き寄せることができると誇ったのである。
解説
関連する章句
-
史記 孟子荀卿列伝淳于髡(こん)は斉人なり。博聞彊記にして、学ぶに主とする所無し。その諫説は、晏嬰の人と為りを慕ふなり、然れども意を承け色を観るを務めと為す。客に髡を梁の恵王に見えしむる有り。恵王左右を屏け、独り坐して再びこれに見ゆるも、終に言無きなり。恵王これを怪しみ、以て客を譲めて曰く、「子の淳于先生を称するや、管・晏も及ばずと。寡人に見ゆるに及びて、寡人未だ得る有らず。豈に寡人は為に言ふに足らざるか。何の故ぞや」と。客以て髡に謂ふ。髡曰く、「固よりなり。吾前に王に見えしとき、王の志は駆逐に在り。後にまた王に見えしとき、王の志は音声に在り。吾是を以て黙然たり」と。客具に以て王に報ず、王大いに駭きて、曰く、「嗟乎、淳于先生は誠に聖人なり。前に淳于先生の来たるや、人に善馬を献ずる者有り、寡人未だ視るに及ばずして、会々先生至る。後に先生の来たるや、人に謳ふ者を献ずる有り、未だ試みるに及ばずして、また会々先生来たる。寡人人を屏くと雖も、然れども私心は彼に在り、
-
説苑・尊賢十三年、諸侯兵を挙げて以て斉を伐たんとす。斉王之を聞き、惕然として恐れ、其の群臣大夫を召して告げて曰く、「智有らば寡人の為に之を用いよ」と。是に於いて博士淳于髡天を仰ぎて大笑して応えず。王復た之を問うに、又大笑して応えず。三たび笑いて応えず。王艴然として色を作して悦ばず曰く、「先生寡人の語を以て戯れと為すか」と。対えて曰く、「臣敢えて大王の語を以て戯れと為すに非ざるなり。臣は臣の隣の田を祠るを笑うなり。一奩の飯、一壺の酒、三鮒魚を以て、祝いて曰く、『蟹堁なる者は禾に宜しく、洿邪なる者は百車、之を後世に伝えて、洋洋として余り有れ』と。臣は其の鬼に賜うこと薄くして之に請うこと厚きを笑うなり」と。是に於いて王乃ち淳于髡を立てて上卿と為し、之に千金、革車百乗を賜い、諸侯の事を平ぐるに与らしむ。諸侯之を聞き、立ちどころに其の兵を罷め、其の士卒を休め、遂に敢えて斉を攻めず。此れ淳于髡の力に非ざらんや。
-
史記 孟子荀卿列伝荀卿は趙人。年五十にして始めて来たりて斉に游学す。騶衍の術は迂大にして閎弁、奭や文具はるも施し難し。淳于髡は久しく与に処れば、時に善言を得る有り。故に斉人頌して曰く、「天を談ずるは衍、竜を雕るは奭、轂を炙るは過(か)髡」と。田駢の属皆已に斉の襄王の時に死し、而して荀卿最も老師たり。斉尚ほ列大夫の欠を修む、而して荀卿三たび祭酒と為る。斉人或ひと荀卿を讒す、荀卿乃ち楚に適く、而して春申君以て蘭陵の令と為す。春申君死して荀卿廃せられ、因りて蘭陵に家す。李斯嘗て弟子と為り、已にして秦に相たり。荀卿は濁世の政、亡国乱君の相属き、大道を遂げずして巫祝を営み、禨祥を信じ、鄙儒の小拘、荘周等の如きのまた猾稽にして俗を乱すを嫉み、是に於いて儒・墨・道徳の行事の興壊を推し、序列して数万言を著して卒す。因りて蘭陵に葬る。
-
史記 孟子荀卿列伝故に武王は仁義を以て紂を伐ちて王たり、伯夷は餓ゑて周の粟を食まず。衛の霊公陳を問ひて、孔子答へず。梁の恵王謀りて趙を攻めんと欲し、孟軻は大王の邠を去るを称す。此れ豈に意有りて世俗に阿りて茍合せんとするのみならんや。方枘を持して圜鑿に内れんと欲す、それ能く入らんや。或ひと曰く、伊尹は鼎を負ひて湯を勉めて以て王たらしめ、百里奚は牛を車下に飯ひて繆公用ひて霸たり、先づ合ふことを作して、然る後にこれを大道に引く。騶衍はその言軌せずと雖も、儻しくはまた牛鼎の意有らんか。騶衍と斉の稷下の先生、淳于髡・慎到・環淵・接子・田駢・騶奭の徒の如きより、各々書を著して治乱の事を言ひ、以て世主に干む、豈に勝げて道ふべけんや。
-
戦国策・淳于髡一日而見七人於宣王淳于髡一日にして七人を宣王に見(まみ)えしむ。王曰く、「子來れ、寡人聞く、千里にして一士は、是れ肩を比べて立つがごとく、百世にして一聖は、隨踵して至るが若し、と。今子一朝にして七士を見えしむれば、則ち士も亦た衆(おお)からずや。」淳于髡曰く、「然らず。夫れ鳥は翼を同じくする者にして聚居し、獸は足を同じくする者にして俱に行く。今柴葫・桔梗を沮澤に求むれば、則ち累世に一を得ず。之を睪黍・梁父の陰に及ぼせば、則ち車に郄(みた)して載するのみ。夫れ物各おの疇有り、今髡は賢者の疇なり。王士を髡に求むるは、譬へば水を河に挹(く)み、火を燧に取るがごとし。髡將に復た之を見えしめんとす、豈に特(た)だ七士のみならんや。」
-
説苑・復恩楚魏晋陽に会し、将に以て斉を伐たんとす、斉王之を患ひ、人をして淳于髡を召さしめて曰く、「楚魏謀りて斉を伐たんと欲す、願はくは先生と寡人と共に之を憂へん」と。淳于髡大いに笑ひて応ぜず、王後に之に問ふも、又復た大いに笑ひて応ぜず、三たび問ふも応ぜず、王怫然として色を作して曰く、「先生寡人の国を以て戯と為すか」と。淳于髡対へて曰く、「臣敢へて王の国を以て戯と為さざるなり、臣鄰の田を祠るを笑ふ、奩飯を以て一鮒魚に与ふ、其の祝に曰く、下田洿邪なるも、穀百車を得ん、蟹堁の者は禾に宜しからん、と。臣其の祠る所以の者少くして求むる所の者多きを笑ふなり」と。王善しと曰ひ、之に千金、革車百乗を賜ひ、立てて上卿と為す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る