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政談 / 學問の事

偖又日本國中は相持なる道理にて、諸大名の家にて學問はやれば、學者の身上の片付あるによりて、善き學者も多く出來、御家の儒者も昏然と學問を勵むべきことなれは、十萬石以上の大名には其の在所に學校のやうなることを立させ度ことなり、大抵五百石ほどのもの入にて學校は出來することなり、松平民部大輔萩に學校のやうなることを立て、釋菜をもさせ扶持方等の料に五百石付置き、毎年書籍を求むる料に又五百石、合せて千石程のことにて家來に學問をさする故、今は彼の家中に學者多く出來したり、されども西國大名の習ひ、公儀を憚りて深く之をかくすなり、十萬石以上さへ右ほどのもの入は心安きことなり、上より仰付られは何れも出來すべし、又不被仰付とも仕形によりて自から何れも取立ることにもなるべし、兎角世に久しく絕えたる學問を取興すことなれば、餘ほど仰付なくては思ふやうには成がたかるべし、

新字:偖又日本国中は相持なる道理にて、諸大名の家にて学問はやれば、学者の身上の片付あるによりて、善き学者も多く出来、御家の儒者も昏然と学問を励むべきことなれは、十万石以上の大名には其の在所に学校のやうなることを立させ度ことなり、大抵五百石ほどのもの入にて学校は出来することなり、松平民部大輔萩に学校のやうなることを立て、釈菜をもさせ扶持方等の料に五百石付置き、毎年書籍を求むる料に又五百石、合せて千石程のことにて家来に学問をさする故、今は彼の家中に学者多く出来したり、されども西国大名の習ひ、公儀を憚りて深く之をかくすなり、十万石以上さへ右ほどのもの入は心安きことなり、上より仰付られは何れも出来すべし、又不被仰付とも仕形によりて自から何れも取立ることにもなるべし、兎角世に久しく絶えたる学問を取興すことなれば、余ほど仰付なくては思ふやうには成がたかるべし、

書き下し

偖又日本国中は相持なる道理にて、諸大名の家にて学問はやれば、学者の身上の片付あるによりて、善き学者も多く出来、御家の儒者も昏然と学問を励むべきことなれは、十万石以上の大名には其の在所に学校のやうなることを立させ度ことなり、大抵五百石ほどのもの入にて学校は出来することなり、松平民部大輔萩に学校のやうなることを立て、釈菜をもさせ扶持方等の料に五百石付置き、毎年書籍を求むる料に又五百石、合せて千石程のことにて家来に学問をさする故、今は彼の家中に学者多く出来したり、されども西国大名の習ひ、公儀を憚りて深く之をかくすなり、十万石以上さへ右ほどのもの入は心安きことなり、上より仰付られは何れも出来すべし、又不被仰付とも仕形によりて自から何れも取立ることにもなるべし、兎角世に久しく絶えたる学問を取興すことなれば、余ほど仰付なくては思ふやうには成がたかるべし、

現代語訳

さてまた、日本国中は持ちつ持たれつの道理であって、諸大名の家で学問が流行れば、学者の身の振り方の片付き先があるので、よい学者も多く出てきて、御家の儒者も懸命に(原文「昏然と」)学問に励むはずだから、十万石以上の大名にはその在所に学校のようなものを立てさせたいものである。おおよそ五百石ほどの物入りで学校はできるものである。松平民部大輔は萩に学校のようなものを立てて釈菜(孔子を祭る儀式)もさせ、扶持方などの費用に五百石を付けておき、毎年書籍を求める費用にまた五百石、合わせて千石ほどで家来に学問をさせているので、今はあの家中に学者が多く出てきた。しかし西国大名の習いで、公儀を憚って深くこれを隠している。十万石以上であれば、右ほどの物入りは容易なことである。上から仰せ付けられれば、どこもできるだろう。また仰せ付けられなくても、やり方によっては自然とどこも取り立てることになるだろう。とにかく世に久しく絶えていた学問を取り興すことなので、よほどの仰せ付けがなくては思うようにはなりにくいだろう。

解説

日本国中は持ちつ持たれつであり、諸大名の家で学問が盛んになれば学者の就職口が増え、よい学者が多く育ち、幕府の儒者も励むようになると徂徠は見る。そこで十万石以上の大名に学校を立てさせよと説き、萩の大名が千石ほどの費用で学校を営み、家中に学者が多く出た例を挙げる。学問の振興を一つの家の中だけで考えず、全国の人材の市場として捉えているのである。現代でも、業界全体で専門人材の育成と受け皿を整えることが、結局は自社の人材の質を高める近道となる。

この章句が説くこと

学校学問人材投資大名政談

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