童子問 / 卷下
問。何古昔人材之多。而後世之尠耶。曰。一則達。多岐則迷。後世之不能成人材者。爲其多岐也夫學也者。所以成德達材也。學者內無名利之膠。外無他事之擾。衣食於此。寢處於此。立則見其參於前。在輿則見其倚於衡。積而又積。不知老之將至。心心念念。專一於此焉。則何不成德達材之有。舜人也。我亦人也。雖堯舜之事業。孔孟之學術。亦豈遠乎哉。昔韓幹好畫馬。所見之馬。皆莫非其師。夫然後。能造其妙。冠絕古今。古人之於道藝。皆然。後之學者。則不然。己之所期。父兄朋友之所責。不過利名兩者。有用之事不講。有用之書不讀。守無益之章句。鶩無益之空文。記無益之故事。一切以狗時好。邀名譽。旁蹊多岐。用志不專。而於大學問大事業。則付之度外。藉令有數十卷著述。行于世。亦兒戯耳。行將就澌滅。何益。其所求之名與利。亦皆供兒女子之仰歎耳。何所成人材邪。少有智慮者。其可不知所取捨哉。
新字:問。何古昔人材之多。而後世之尠耶。曰。一則達。多岐則迷。後世之不能成人材者。為其多岐也夫学也者。所以成徳達材也。学者内無名利之膠。外無他事之擾。衣食於此。寝処於此。立則見其参於前。在輿則見其倚於衡。積而又積。不知老之将至。心心念念。専一於此焉。則何不成徳達材之有。舜人也。我亦人也。雖堯舜之事業。孔孟之学術。亦豈遠乎哉。昔韓幹好画馬。所見之馬。皆莫非其師。夫然後。能造其妙。冠絶古今。古人之於道芸。皆然。後之学者。則不然。己之所期。父兄朋友之所責。不過利名両者。有用之事不講。有用之書不読。守無益之章句。鶩無益之空文。記無益之故事。一切以狗時好。邀名誉。旁蹊多岐。用志不専。而於大学問大事業。則付之度外。藉令有数十巻著述。行于世。亦児戯耳。行将就澌滅。何益。其所求之名与利。亦皆供児女子之仰嘆耳。何所成人材邪。少有智慮者。其可不知所取捨哉。
書き下し
問ふ、何ぞ古昔は人材の多くして、後世は之れ尠きや、と。曰く、一なれば則ち達し、岐多ければ則ち迷ふ。後世の人材を成すこと能はざる者は、其の岐多きが為なり。夫れ学なる者は、徳を成し材を達する所以なり。学者内に名利の膠無く、外に他事の擾無く、此に衣食し、此に寝処し、立てば則ち其の前に参ずるを見、輿に在れば則ち其の衡に倚るを見、積みて又積み、老の将に至らんとするを知らず、心心念念、此に専一ならば、則ち何ぞ徳を成し材を達せざることの之れ有らん。舜も人なり、我も亦人なり。堯舜の事業、孔孟の学術と雖も、亦豈に遠からんや。昔韓幹馬を画くことを好み、見る所の馬、皆其の師に非ざるは莫し。夫れ然る後、能く其の妙を造し、古今に冠絶す。古人の道芸に於けるや、皆然り。後の学者は則ち然らず。己の期する所、父兄朋友の責むる所、利名の両者に過ぎず。有用の事は講ぜず、有用の書は読まず。無益の章句を守り、無益の空文に鶩せ、無益の故事を記し、一切時好に狗ひ、名誉を邀へ、旁蹊多岐にして、志を用ふること専らならず。而して大学問・大事業に於ては、則ち之を度外に付す。藉令数十巻の著述有りて世に行はるるも、亦児戯のみ。行々将に澌滅に就かんとす。何の益かあらん。其の求むる所の名と利とも、亦皆児女子の仰歎に供するのみ。何の人材を成す所あらんや。少しく智慮有る者は、其れ取捨する所を知らざるべけんや。
現代語訳
問う。どうして昔は人材が多く、後世は少ないのか。答える。一つに絞れば達し、道が多く分かれれば迷う。後世に人材が育たないのは、分かれ道が多いからである。そもそも学問とは、徳を成し才能を伸ばすためのものである。学ぶ者が、内には名声や利益への執着がなく、外には他の用事の煩いもなく、ここで衣食し、ここで寝起きし、立てば道が目の前に並ぶのが見え、車に乗れば道が横木に寄りかかっているのが見えるほどになり、積んだうえにまた積み、老いが迫るのも気づかず、一念一念この道に専一であれば、徳を成し才能を伸ばせないということがどうしてあろうか。舜も人であり、私も人である。堯舜の事業、孔孟の学術といっても、どうして遠いことがあろうか。昔、韓幹は馬を描くことを好み、目にする馬で自分の師としない馬はなかった。そうして初めてその妙所に達し、古今に並ぶ者がないほどになった。昔の人が道や芸に向かう態度はみなこうであった。後の学者はそうではない。自分が目ざすこと、父兄や友人が求めることは、利益と名声の二つにすぎない。役に立つことは研究せず、役に立つ書物は読まない。無益な章句を守り、無益で空疎な文章に走り、無益な故事を覚え、何もかも時の流行に従い、名誉を求め、脇道や分かれ道ばかりで、志を一つに注がない。そして大きな学問や大きな事業は度外視してしまう。たとえ数十巻の著述があって世に出回っても、子どもの遊びにすぎない。やがて消え去ってしまうだろう。何の益があろうか。その求める名声と利益も、みな女子どもに感心されるのに役立つだけである。どうして人材を成すことがあろうか。少しでも思慮のある者なら、何を取り何を捨てるべきかを知らないでいられようか。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之六時の艱危を済ふには、須らく才志兼備の者を用ゐるべし。人才無ければ則ち事を済し得ず。然り而して志無ければ、則ち才有りと雖も、事を済すこと能はず。志有れば、則ち事を済すに力有りて、才も亦生ず。朱子曰く、張子の程先生に於けるや、其の至る所を論ずれば、窃かに意ふに、其れ猶ほ伯夷・伊尹の孔子に於けるがごときかと。又曰く、横渠の学は、乃ち是れ致曲なりと。篤信謂へらく、張子の学ぶ所は極めて厳密にして、道の一隅を得たりと謂ふべきなり。是れ其の致曲の処、未だ二程の具体に如かざるなり。是れ乃ち猶ほ伯夷・伊尹の孔子に於けるがごときか。
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史記 孟子荀卿列伝これ有り」と。後に淳于髡見え、壹たび語りて連ぬること三日三夜にして倦むこと無し。恵王、卿相の位を以てこれを待たんと欲す、髡因りて謝して去る。是に於いて送るに安車駕駟、束帛に璧を加へ、黄金百鎰を以てす。終身仕へず。慎到は趙人。田駢・接子は斉人。環淵は楚人。皆黄老道徳の術を学び、因りてその指意を発明して序す。故に慎到は十二論を著し、環淵は上下篇を著し、而して田駢・接子は皆論ずる所有り。騶奭なる者は、斉の諸騶子にして、また頗る騶衍の術を采りて以て文を紀す。是に於いて斉王これを嘉し、淳于髡より以下の如き、皆命じて列大夫と曰ひ、為に第を康荘の衢に開き、高門大屋、これを尊寵す。天下諸侯の賓客に覧せて、斉は能く天下の賢士を致すと言ふなり。
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『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段答ふ、汝は徳と云ふことを、曾て知らずと見へたり。加様なる疑はしきことを、問ひ定めらるゝは、左もあるべきことなり。其学者は、徳に至るの学問にはあらず、文字芸者と云ふ者なり。曰く、然らば書物を読む外に、学問と云ふことありや。
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『慎思録』巻之四衆人の人為る、草木禽獣の物為ると、其の生けるときは則ち異なりて、其の死するときは則ち同じ。何となれば則ち、衆人は下愚なりと雖も、其の生ける時は亦た皆五品の交はり、四民の業有り。且つ衣食の養、屋室の安有り。誠に禽獣と同じからず。其の既に死するに迨んでは、一たび腐壊に帰し、徳行の人に遺す無く、令名の世に伝はる無く、一時に漸く尽きて余り無し。草木禽獣と異なること無し。人為る者、豈に之を恥づることを知らざるべけんや。如し之を恥ぢば、学を為すに如くは無し。学びて得る有れば、則ち徳沢功名後世に流れて滅びず、虚生せずと為す。此れ君子の没後、衆人及び禽獣草木に異なる所以なり。
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