徂徠先生答問書 / 卷中
一鬼神有無の事御尋候。古今の間此論やかましく候。何れも理窟にて候。理窟は申次第の物に候間信用成不申候。聖人の經書の趣は、成程鬼神はある物と相見え申候。宋儒は理氣陰陽を以て樣々と被申候得共、それは宋儒の了簡と申物にて聖人の御詞には無之候。宋儒の說に從ひ候て見候へば、畢竟鬼神はなき物と申に成申候。此段聖人の敎と相違に候間信用難仕御座候。聖人の書には鬼神を治むる道御座候て、それにて鬼神は世界の利益になり害には成不申候。是にて相濟候事に候。佛老巫覡の說に鬼神の治め樣有之候へ共、國家を治むる道に害有之候。聖人の書と違申候へば、君子の信用すべき事に無之候。冥々之中を見ぬき候て、鬼神はいかやうの物に候と申候事を存候事は人のならぬ事に候。たとひ存候ても、聖人の敎の外に別に鬼神の治樣あるまじく候得ば、曾て不入事にて御座候。以上。
新字:一鬼神有無の事御尋候。古今の間此論やかましく候。何れも理窟にて候。理窟は申次第の物に候間信用成不申候。聖人の経書の趣は、成程鬼神はある物と相見え申候。宋儒は理気陰陽を以て様々と被申候得共、それは宋儒の了簡と申物にて聖人の御詞には無之候。宋儒の説に従ひ候て見候へば、畢竟鬼神はなき物と申に成申候。此段聖人の教と相違に候間信用難仕御座候。聖人の書には鬼神を治むる道御座候て、それにて鬼神は世界の利益になり害には成不申候。是にて相済候事に候。仏老巫覡の説に鬼神の治め様有之候へ共、国家を治むる道に害有之候。聖人の書と違申候へば、君子の信用すべき事に無之候。冥々之中を見ぬき候て、鬼神はいかやうの物に候と申候事を存候事は人のならぬ事に候。たとひ存候ても、聖人の教の外に別に鬼神の治様あるまじく候得ば、曽て不入事にて御座候。以上。
書き下し
一鬼神有無の事御尋候。古今の間此論やかましく候。何れも理窟にて候。理窟は申次第の物に候間信用成不申候。聖人の経書の趣は、成程鬼神はある物と相見え申候。宋儒は理気陰陽を以て様々と被申候得共、それは宋儒の了簡と申物にて聖人の御詞には無之候。宋儒の説に従ひ候て見候へば、畢竟鬼神はなき物と申に成申候。此段聖人の教と相違に候間信用難仕御座候。聖人の書には鬼神を治むる道御座候て、それにて鬼神は世界の利益になり害には成不申候。是にて相済候事に候。仏老巫覡の説に鬼神の治め様有之候へ共、国家を治むる道に害有之候。聖人の書と違申候へば、君子の信用すべき事に無之候。冥々之中を見ぬき候て、鬼神はいかやうの物に候と申候事を存候事は人のならぬ事に候。たとひ存候ても、聖人の教の外に別に鬼神の治様あるまじく候得ば、曽て不入事にて御座候。以上。
現代語訳
鬼神の有無のことをお尋ねになりました。古今の間、この論はやかましいものです。いずれも理屈です。理屈は言いようしだいのものですから信用できません。聖人の経書の趣旨では、なるほど鬼神はあるものと見えます。宋儒は理気陰陽でいろいろと言われますが、それは宋儒の考えというもので、聖人のお言葉ではありません。宋儒の説に従って見ると、結局鬼神は無いものということになります。この点は聖人の教えと違いますので、信用しがたいのでございます。聖人の書には鬼神を治める道があり、それによって鬼神は世の利益になり、害にはなりません。これで済むことです。仏・老(道家)・巫覡(巫女や祈祷師)の説にも鬼神の治め方がありますが、国家を治める道に害があります。聖人の書と違いますので、君子の信用すべきことではありません。見えない世界を見抜いて、鬼神はどのようなものかと知ることは、人にはできないことです。たとえ知ったとしても、聖人の教えのほかに別の鬼神の治め方はあるはずがありませんので、まったく必要のないことでございます。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
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