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徂徠先生答問書 / 卷中

一御身は主君へ被差上、無物と被思召候由、是は今時はやり申候理窟に候得共、聖人の道に無之儀に候。畢竟阿諛逢迎の只中と可被思召候。宋儒も忠の字を見誤り如此解し申候。忠と申候は、總て人の事を吾身の事の如くに存じ少も如在無之事に候、是にて忠臣之道に餘蘊無御座候。尤義に依て命を棄候事も、吾身の事の如くに存候內にて相濟申事に候。畢竟聖人の道は國家を治め候道故、忠の立樣世俗の了簡とは違申候。其分れ所は、上より下に任せ候と、下より上に任せ候にて分れ申事にて御座候。今の世の風俗にて、上より打まかすると申事無御座候故、臣たる者皆其日ぐらしの日用取の了簡の樣に成行、重き役人も月番切の仕のきにて、跡の事には構不申候は、其職に有ながら尸位素餐と申物に候。身はなき物と存候しるし如是にて御座候。

新字:一御身は主君へ被差上、無物と被思召候由、是は今時はやり申候理窟に候得共、聖人の道に無之儀に候。畢竟阿諛逢迎の只中と可被思召候。宋儒も忠の字を見誤り如此解し申候。忠と申候は、総て人の事を吾身の事の如くに存じ少も如在無之事に候、是にて忠臣之道に余蘊無御座候。尤義に依て命を棄候事も、吾身の事の如くに存候内にて相済申事に候。畢竟聖人の道は国家を治め候道故、忠の立様世俗の了簡とは違申候。其分れ所は、上より下に任せ候と、下より上に任せ候にて分れ申事にて御座候。今の世の風俗にて、上より打まかすると申事無御座候故、臣たる者皆其日ぐらしの日用取の了簡の様に成行、重き役人も月番切の仕のきにて、跡の事には構不申候は、其職に有ながら尸位素餐と申物に候。身はなき物と存候しるし如是にて御座候。

書き下し

一御身は主君へ被差上、無物と被思召候由、是は今時はやり申候理窟に候得共、聖人の道に無之儀に候。畢竟阿諛逢迎の只中と可被思召候。宋儒も忠の字を見誤り如此解し申候。忠と申候は、総て人の事を吾身の事の如くに存じ少も如在無之事に候、是にて忠臣之道に余蘊無御座候。尤義に依て命を棄候事も、吾身の事の如くに存候内にて相済申事に候。畢竟聖人の道は国家を治め候道故、忠の立様世俗の了簡とは違申候。其分れ所は、上より下に任せ候と、下より上に任せ候にて分れ申事にて御座候。今の世の風俗にて、上より打まかすると申事無御座候故、臣たる者皆其日ぐらしの日用取の了簡の様に成行、重き役人も月番切の仕のきにて、跡の事には構不申候は、其職に有ながら尸位素餐と申物に候。身はなき物と存候しるし如是にて御座候。

現代語訳

我が身は主君に差し上げたもので、無いものとお考えだとのこと。これは今どき流行している理屈ですが、聖人の道にはないことです。結局は、へつらい迎合のただ中だとお考えください。宋儒も忠の字を見誤ってこのように解釈しています。忠というのは、すべて人の事を我が身の事のように思って、少しも手抜かりのないことです。これで忠臣の道に余すところはございません。もっとも、義によって命を捨てることも、我が身の事のように思う中で済むことです。結局、聖人の道は国家を治める道ですから、忠の立て方が世俗の考えとは違います。その分かれ目は、上から下に任せるか、下から上に任せるかにあるのでございます。今の世の風俗では、上から任せきるということがございませんので、臣下たる者は皆その日暮らしの日雇いのような考えになってゆき、重い役人も月番(月ごとの当番)限りの勤め逃れで、後の事には構いません。これはその職にありながら尸位素餐(位にいて禄を食むだけ)というものです。身は無いものと思うことの表れがこれでございます。

解説

主君に身を捧げて我が身は無いものと思う、という当時流行の忠義観を、徂徠はへつらいだと退ける。忠とは他人の事を我が事のように引き受け、手抜かりなく務めることだという。分かれ目は、上が下に任せきるかどうかにある。任されない臣下は日雇いのような心になり、重役も当番の間だけ無難に過ごして後のことに構わなくなる。滅私奉公を美徳とする組織ほど、実は誰も責任を引き受けない。権限を任せてこそ当事者意識が生まれるという、今の組織論にも通じる洞察である。

この章句が説くこと

忠任せる職分君臣当事者宋儒

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