墨子 / 魯問
魯君之嬖人死,魯君為之誄,魯人因説而用之。子墨子聞之,曰:「誄者,道死人之志也。今因説而用之,是猶以來首從服也。」魯陽文君謂子墨子曰:「有語我以忠臣者,令之俯則俯,令之仰則仰,處則静,呼則應,可謂忠臣乎?」子墨子曰:「令之俯則俯,令之仰則仰,是似景也。處則静,呼則應,是似響也。君将何得於景與響哉?若以翟之所謂忠臣者,上有過則微之以諌,己有善則訪之上,而無敢以告外,匡其邪而入其善,尚而無下比,以美善在上而怨讐在下,安樂在上而憂慼在臣。此翟之謂忠臣者也。」
新字:魯君之嬖人死,魯君為之誄,魯人因説而用之。子墨子聞之,曰:「誄者,道死人之志也。今因説而用之,是猶以来首従服也。」魯陽文君謂子墨子曰:「有語我以忠臣者,令之俯則俯,令之仰則仰,処則静,呼則応,可謂忠臣乎?」子墨子曰:「令之俯則俯,令之仰則仰,是似景也。処則静,呼則応,是似響也。君将何得於景与響哉?若以翟之所謂忠臣者,上有過則微之以諌,己有善則訪之上,而無敢以告外,匡其邪而入其善,尚而無下比,以美善在上而怨讐在下,安楽在上而憂慼在臣。此翟之謂忠臣者也。」
書き下し
魯君の嬖人、死す。魯君、之が為に誄す。魯人、因りて説びて之を用う。子墨子、之を聞きて曰く、「誄なる者は、死人の志を道うなり。今、説びて之を用うるに因るは、是れ猶お來首を以て服に從うがごときなり」と。魯陽文君、子墨子に謂いて曰く、「我に忠臣を語る者有り。之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぎ、處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ず。忠臣と謂う可きか」と。子墨子曰く、「之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぐは、是れ景に似たり。處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ずるは、是れ響に似たり。君、将た何をか景と響とに得んや。翟の所謂る忠臣なる者を以てせば、上に過ち有れば則ち之を微にして以て諌め、己に善有れば則ち之を上に訪ねて、敢えて以て外に告ぐる無く、其の邪を匡して其の善に入り、尚びて下に比する無く、美善を上に在らしめて怨讐を下に在らしめ、安樂を上に在らしめて憂慼を臣に在らしむ。此れ翟の忠臣と謂う者なり」と。
現代語訳
魯君の寵臣が死んだ。魯君はその人のために誄を作り、魯の人々は喜んでそれを用いた。墨子がこれを聞いて言った。「誄とは死んだ人の志を述べるものだ。いま喜ばれるからといって用いるのは、頭を後ろに向けたまま服に従うようなものだ」。魯陽文君が墨子に言った。「私に忠臣について語った者がいる。俯けと言えば俯き、仰げと言えば仰ぎ、いろと言えば静かにしていて、呼べば応える。忠臣と言えるだろうか」。墨子が言った。「俯けと言えば俯き、仰げと言えば仰ぐのは、影のようなものです。いろと言えば静かにしていて、呼べば応えるのは、こだまのようなものです。君は影とこだまから何を得られましょう。私の言う忠臣とは、上に過ちがあれば人目につかぬように諌め、自分に善い考えがあれば上に相談し、あえて外に漏らさず、その邪を正して善に導き、上を尊んで下と徒党を組まず、美点と善は上にあるようにして怨みは下が引き受け、安らぎは上にあるようにして憂いは臣が引き受ける。これが私の言う忠臣です」。
解説
この章句が説くこと
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