徂徠先生答問書 / 卷中
撿見と申事世上に有之候より、斗筲の人ならで代官はならぬ事に被成候。貢賦の法は、常免を至極に仕候。三代の法、夏は貢法、殷は助法、周は徹法に候。徹法は貢助の外に無之候。助法は公田私田を分ち候故後世に難用候。貢法は常免の事に候。大禹の御定めにて候故、是に踰候良法無之候。聖人はよく人情に通達し、古今の情弊を洞見被成候て御立候事に候。世上に撿見と申事御座候よりして、吏の種々の奸曲は生じ候事に候。定免に仕候へば、賄賂の道斷候て、奸曲を防がずしてをのづから無之候。日本の古も、異國は秦漢より元明までも、皆定免に候。撿見を以て見取に致し候よりして、國の財用は吏の囊橐に入候と可被思召候。其上定免に致し候へば、入に定額御座候て、定額を以て國用を制候故却て簡便に候。とりかを定免に致し候へば、誰にても代官は勤まる事に候。代官を鄙職に定め候故、其家にてしかと致したる士をば申付がたく、是よりして果は卿大夫皆民間の情にうとく、木偶人のごとくに成行申候。皆戰國の餘習をうけて苟且の制度と可被思召候。以上。
新字:撿見と申事世上に有之候より、斗筲の人ならで代官はならぬ事に被成候。貢賦の法は、常免を至極に仕候。三代の法、夏は貢法、殷は助法、周は徹法に候。徹法は貢助の外に無之候。助法は公田私田を分ち候故後世に難用候。貢法は常免の事に候。大禹の御定めにて候故、是に踰候良法無之候。聖人はよく人情に通達し、古今の情弊を洞見被成候て御立候事に候。世上に撿見と申事御座候よりして、吏の種々の奸曲は生じ候事に候。定免に仕候へば、賄賂の道断候て、奸曲を防がずしてをのづから無之候。日本の古も、異国は秦漢より元明までも、皆定免に候。撿見を以て見取に致し候よりして、国の財用は吏の嚢橐に入候と可被思召候。其上定免に致し候へば、入に定額御座候て、定額を以て国用を制候故却て簡便に候。とりかを定免に致し候へば、誰にても代官は勤まる事に候。代官を鄙職に定め候故、其家にてしかと致したる士をば申付がたく、是よりして果は卿大夫皆民間の情にうとく、木偶人のごとくに成行申候。皆戦国の余習をうけて苟且の制度と可被思召候。以上。
書き下し
撿見と申事世上に有之候より、斗筲の人ならで代官はならぬ事に被成候。貢賦の法は、常免を至極に仕候。三代の法、夏は貢法、殷は助法、周は徹法に候。徹法は貢助の外に無之候。助法は公田私田を分ち候故後世に難用候。貢法は常免の事に候。大禹の御定めにて候故、是に踰候良法無之候。聖人はよく人情に通達し、古今の情弊を洞見被成候て御立候事に候。世上に撿見と申事御座候よりして、吏の種々の奸曲は生じ候事に候。定免に仕候へば、賄賂の道断候て、奸曲を防がずしてをのづから無之候。日本の古も、異国は秦漢より元明までも、皆定免に候。撿見を以て見取に致し候よりして、国の財用は吏の嚢橐に入候と可被思召候。其上定免に致し候へば、入に定額御座候て、定額を以て国用を制候故却て簡便に候。とりかを定免に致し候へば、誰にても代官は勤まる事に候。代官を鄙職に定め候故、其家にてしかと致したる士をば申付がたく、是よりして果は卿大夫皆民間の情にうとく、木偶人のごとくに成行申候。皆戦国の余習をうけて苟且の制度と可被思召候。以上。
現代語訳
検見(毎年役人が作柄を見て年貢を決めること)ということが世に行われるようになってから、器量の小さい者でなければ代官は務まらないことになってしまいました。貢賦の法は、常免(定まった年貢)を最上とします。三代の法では、夏は貢法、殷は助法、周は徹法でした。徹法は貢法と助法のほかのものではありません。助法は公田と私田を分けるので、後世には用いにくいものです。貢法とは常免のことです。大禹のお定めになったものですから、これにまさる良法はありません。聖人は人情によく通じ、古今の実情と弊害を見抜いてお立てになったのです。世に検見ということが行われるようになってから、役人のさまざまな不正が生じたのです。定免にすれば賄賂の道が断たれ、不正を防がなくても自然になくなります。日本の昔も、中国では秦・漢から元・明までも、みな定免です。検見によって見取り(その年の実見で年貢を決めること)にするようになってから、国の財貨は役人の懐に入るものとお考えください。そのうえ定免にすれば、収入に定額があり、その定額で国の支出を制するので、かえって簡便です。年貢の取り方を定免にすれば、誰でも代官は務まります。代官を卑しい職と定めてしまったので、その家でしっかりした武士を任じにくく、そこから結局は家老たちまで皆民間の実情にうとくなり、木の人形のようになってゆくのです。これらはみな戦国の名残を受けた、その場しのぎの制度だとお考えください。以上。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之四井田の法は、中国広闊の地に於てすら、後世其の勢ひ行ひ難きの論有り。況や外夷の壌地褊少なるに於てをや。凡そ治を為すの道は、只だ政を発し仁を施すに在り。稼穡を教へ法制を厳にし、税斂を薄くし力役を省き、学校を興し倫理を明らかにするのみ。古制に泥むことを要せず。今其の土宜を知らずして古制に拘拘たる者、中華古昔の井田の法を以て外夷に行ふべしと為す。是れ陋儒の見にして、世変を諳んぜず、偏僻の説にして、時宜を知らざる者なり。智と謂ふべけんや。
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『弁道』第三則道とは統名なり。礼楽刑政凡そ先王の建つる所の者を挙げて、合はせて之に命くるなり。礼楽刑政を離れて別に所謂道なる者有るに非ざるなり。曰ふが如し、「賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文武の道有らざること莫し」と。又た武城の絃歌の如き、孔子に牛刀の誚り有り、而して子游君子小人の道を学ぶを引く。見るべきのみ。孔安国の註に、「道は礼楽を謂ふなり」と。古時の言語、漢儒猶ほ其の伝を失はざるかな。
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『学則』對西肥水秀才問秦漢よりして下、郡県を以て封建に代へ、法律を以て礼楽に代ふ。其の吏治を言ふ者、亦た孰か経術を援かざらん。而れども郡県の治は、凡百の制度、古と同じからず。而して先王の道は用ゐるべからず。故に亦た僅かに用ゐて以て吏術を縁飾すと云ふのみ。豈に能く先王に法らんや。祇だ漢の法は尚ほ疎濶にして、吏多く便宜に事に従ふを得たり。古に近しと為すなり。隋は宇文周の律を脩め、唐・宋・明皆之に因る。申・韓の法、是に至りて始めて其の極に臻る。夫れ讐を復するは、先王の道なり。律に之無し。以て見るべきのみ。此れ後世の吏治・経術の岐れて二途と為る所以の者、秦漢に昉まりて、隋唐に成るなり。
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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