学則 / 對西肥水秀才問
秦漢而下。以郡縣代封建。以法律代禮樂其言吏治者。亦孰不援經術。而郡縣之治。凡百制度。不與古同。而先王之道不可用。故亦僅用以緣飾吏術云爾。豈能法先王哉。祇漢法尙疎濶。吏多得便宜從事。爲近古也。隋脩宇文周之律。唐宋明皆因之。申韓之法。至是始臻其極。夫復讎者。先王之道也。律無之。可以見已。此後世吏治經術所以岐爲二途者。昉於秦漢。成於隋唐也。
新字:秦漢而下。以郡県代封建。以法律代礼楽其言吏治者。亦孰不援経術。而郡県之治。凡百制度。不与古同。而先王之道不可用。故亦僅用以縁飾吏術云爾。豈能法先王哉。祇漢法尚疎濶。吏多得便宜従事。為近古也。隋脩宇文周之律。唐宋明皆因之。申韓之法。至是始臻其極。夫復讎者。先王之道也。律無之。可以見已。此後世吏治経術所以岐為二途者。昉於秦漢。成於隋唐也。
書き下し
秦漢よりして下、郡県を以て封建に代へ、法律を以て礼楽に代ふ。其の吏治を言ふ者、亦た孰か経術を援かざらん。而れども郡県の治は、凡百の制度、古と同じからず。而して先王の道は用ゐるべからず。故に亦た僅かに用ゐて以て吏術を縁飾すと云ふのみ。豈に能く先王に法らんや。祇だ漢の法は尚ほ疎濶にして、吏多く便宜に事に従ふを得たり。古に近しと為すなり。隋は宇文周の律を脩め、唐・宋・明皆之に因る。申・韓の法、是に至りて始めて其の極に臻る。夫れ讐を復するは、先王の道なり。律に之無し。以て見るべきのみ。此れ後世の吏治・経術の岐れて二途と為る所以の者、秦漢に昉まりて、隋唐に成るなり。
現代語訳
秦・漢以降、郡県制が封建制に代わり、法律が礼楽に代わった。役人の政治を論じる者も、誰もが経学を引き合いに出しはする。しかし郡県制の統治では、あらゆる制度が古と同じではなく、先王の道はそのままでは用いられない。だから経学はわずかに用いられて役人の技術を飾りたてるだけだという。どうして先王に倣うことなどできようか。ただ漢の法はまだ大まかで、役人がその場の判断で事を処理できることが多かった。それで古に近かったのである。隋は北周(宇文氏の周)の律を整え、唐・宋・明はみなそれを受け継いだ。申不害・韓非の法家の法は、ここに至って極まった。そもそも仇討ちは先王の道であるのに、律にはそれがない。これで(律が先王の道と別物であることが)わかる。後世、役人の政治と経学が二つの道に分かれたのは、秦・漢に始まり、隋・唐で完成したのである。
解説
この章句が説くこと
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