徂徠先生答問書 / 卷中
醫者のよく療治をいたし候は、石膏附子抔をば調法なる藥と存候。下手醫者は疵物に致しのけ置、石膏附子の能有て石膏附子の害なき藥を求め候へども、左樣なる藥は古より今に至るまで無之事に候。よく其長所を用なれ候へば疵は目に懸り不申候。藥は皆毒にて候へ共、毒と名を付不申候事は長所を用候故に候。前書に疵物と申進候は、今世の習俗より名を付候て。御合點參やすき樣に申進たるにて御座候。其實は天地の間の物何によらず、各長短得失御座候て、其長所を用候時は天下に棄物棄才は無御座候へ共、長所を御存知不被成候故、短處にばかり御目つき申候て疵物と思召るゝにて候。人を用候には、其長所を取て短所に目を付不申候事聖人の道にて御座候。されども氣質を變化して、渾然中和の德に至るなどゝ申候樣なる邪說世にはやり候故、下手醫者は陳皮甘草抔を集め候て病をいやし候半と存候事に御座候。以上。
新字:医者のよく療治をいたし候は、石膏附子抔をば調法なる薬と存候。下手医者は疵物に致しのけ置、石膏附子の能有て石膏附子の害なき薬を求め候へども、左様なる薬は古より今に至るまで無之事に候。よく其長所を用なれ候へば疵は目に懸り不申候。薬は皆毒にて候へ共、毒と名を付不申候事は長所を用候故に候。前書に疵物と申進候は、今世の習俗より名を付候て。御合点参やすき様に申進たるにて御座候。其実は天地の間の物何によらず、各長短得失御座候て、其長所を用候時は天下に棄物棄才は無御座候へ共、長所を御存知不被成候故、短処にばかり御目つき申候て疵物と思召るゝにて候。人を用候には、其長所を取て短所に目を付不申候事聖人の道にて御座候。されども気質を変化して、渾然中和の徳に至るなどゝ申候様なる邪説世にはやり候故、下手医者は陳皮甘草抔を集め候て病をいやし候半と存候事に御座候。以上。
書き下し
医者のよく療治をいたし候は、石膏附子抔をば調法なる薬と存候。下手医者は疵物に致しのけ置、石膏附子の能有て石膏附子の害なき薬を求め候へども、左様なる薬は古より今に至るまで無之事に候。よく其長所を用なれ候へば疵は目に懸り不申候。薬は皆毒にて候へ共、毒と名を付不申候事は長所を用候故に候。前書に疵物と申進候は、今世の習俗より名を付候て。御合点参やすき様に申進たるにて御座候。其実は天地の間の物何によらず、各長短得失御座候て、其長所を用候時は天下に棄物棄才は無御座候へ共、長所を御存知不被成候故、短処にばかり御目つき申候て疵物と思召るゝにて候。人を用候には、其長所を取て短所に目を付不申候事聖人の道にて御座候。されども気質を変化して、渾然中和の徳に至るなどゝ申候様なる邪説世にはやり候故、下手医者は陳皮甘草抔を集め候て病をいやし候半と存候事に御座候。以上。
現代語訳
医者でよく治療をする者は、石膏や附子(ぶし、トリカブトの根)などを重宝な薬と思っています。下手な医者はそれらを疵物として除けておき、石膏や附子の効き目があって石膏や附子の害がない薬を求めますが、そのような薬は昔から今に至るまでありません。よくその長所を使い慣れれば、疵は目につきません。薬はみな毒ですが、毒と名をつけないのは長所を用いるからです。前の手紙で疵物と申し上げたのは、今の世の習俗に合わせて名をつけて、ご納得しやすいように申し上げたのです。その実は、天地の間の物は何によらず、それぞれ長所と短所、得と失があって、その長所を用いるときは天下に捨てる物・捨てる才はないのですが、長所をご存じないので短所ばかりにお目がつき、疵物とお思いになるのです。人を用いるには、その長所を取って短所に目をつけないのが聖人の道です。ところが「気質を変化させて渾然とした中和の徳に至る」などという邪説が世に流行っているので、下手な医者は陳皮や甘草(効き目の穏やかな薬)などを集めて病を治そうと思うのです。以上。
解説
この章句が説くこと
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
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尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
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