論語 / 衛霊公篇
子曰:「君子不可小知,而可大受也。小人不可大受,而可小知也。」
書き下し
子曰く、君子は小知す可からずして、大受す可きなり。小人は大受す可からずして、小知す可きなり。
現代語訳
先生がおっしゃった。「君子(立派な人物)は小さなことで(その価値を)知ることはできないが、大きな仕事を任せることができる。小人(つまらない人物)は大きな仕事を任せることはできないが、小さなことで(その取りえを)知ることはできる。」
解説
評価と任用の関係を述べている。君子は小さな仕事では測れない。だから小さな仕事の出来で判断すると、君子を見落とす。逆に小人は小さな仕事で能力が分かるが、大きな任務には耐えない。人材を測る物差しのサイズが、対象によって違うという指摘である。実務では、この違いが見落とされやすい。小さな仕事を丁寧にこなす人を高く評価し、段階的に大きな仕事を任せていく。合理的な手順に見えるが、この方法では君子型の人材が上がってこない。小さな仕事では平凡に見えるからだ。逆に、小さな仕事で高評価を得た人が、大きな任務で機能しないこともある。どこかの段階で、測り方そのものを変える必要がある。実績の延長で判断できない領域が、必ずある。
この章句が説くこと
人材測定大受小知任用
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