韓非子 / 難二第三十七
桓公曰:「吾聞君人者勞於索人,佚於使人。吾得仲父已難矣,得仲父之後,何爲不易乎哉?」
新字:桓公曰:「吾聞君人者労於索人,佚於使人。吾得仲父已難矣,得仲父之後,何為不易乎哉?」
書き下し
桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
現代語訳
桓公が言った。「私はこう聞いている。人の君主たる者は、人を探すのに苦労し、人を使うのは楽である、と。私が仲父(管仲)を得るのは実に難しかった。仲父を得た後は、どうして楽でないことがあろうか。」
解説
名君とされる桓公の言葉である。人材探しは大変だが、良い人を得れば後は楽だ、と。多くの経営者が共感する実感だろう。採用にこそ力を注げ、という主張とも読める。この後で韓非子はこれを批判するのだが、桓公の言い分自体には筋がある。優れた人を得られれば、細かい指示は要らなくなる。実際、桓公は管仲に任せきることで覇者になった。ただし、この考え方には前提がある。任せた相手が正しく働き続けることだ。任せた後に確かめる手立てが無ければ、それは信頼ではなく賭けになる。桓公が「何為不易乎哉」と言い切ったところに、韓非子は引っかかった。楽になったと感じた時点で、見るべきものを見なくなっている可能性がある。
この章句が説くこと
人材権限委譲丸投げ委任桓公マネジメント
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