徂徠先生答問書 / 卷上
孔子は博奕もやむに賢れりと被仰候。人は只ひまにてあられぬ物にて候。ひまにて居候へば、さびしきまゝに種々の惡敷事出來候物に候故、孔子も如此被仰候事、聖人は人情をよく御存知候故に候。此所より御見ひらき候はゞ、天下國家を治め候事も、掌に運らすごとく可有御座候。年寄候ては、奉公の勤をも辭し、聲色の好も薄くなり、年頃かたらひ候朋友も次第に少くなり、若き人はわが同士にあらず候。家事は子供に讓りぬれば再いろふべきにも無之、次第に無聊に成行候事に候。あるひは棋象戯雙六にても打ち、寺參談議參、宿に候時は、念佛にても申候より外はさりとては所作無之事に候を御制當候はゞ、何を所作として寂寥を御慰可被成候はん哉、老後の境界思召やらるべく候。其上佛法世上に行はれ候事千年に近く候て、僧も天下の民に候。聖人の道は民を安んずるを本に仕候。疝氣癪聚の痼疾になり候は、扁鵲に療治をいたさせ候とも、是を除き申候配劑は施し不申事に候。蛇蝎毒虫も天地の化育をもれ不申候。まして佛法も末の世には相應の利益も有之候。たゞ是非邪正の差別つよく御入候故、如此御誤有之候と存候。從來蒙御懇意候儀に候故、不顧思召申入候。以上。
新字:孔子は博奕もやむに賢れりと被仰候。人は只ひまにてあられぬ物にて候。ひまにて居候へば、さびしきまゝに種々の悪敷事出来候物に候故、孔子も如此被仰候事、聖人は人情をよく御存知候故に候。此所より御見ひらき候はゞ、天下国家を治め候事も、掌に運らすごとく可有御座候。年寄候ては、奉公の勤をも辞し、声色の好も薄くなり、年頃かたらひ候朋友も次第に少くなり、若き人はわが同士にあらず候。家事は子供に譲りぬれば再いろふべきにも無之、次第に無聊に成行候事に候。あるひは棋象戯双六にても打ち、寺参談議参、宿に候時は、念仏にても申候より外はさりとては所作無之事に候を御制当候はゞ、何を所作として寂寥を御慰可被成候はん哉、老後の境界思召やらるべく候。其上仏法世上に行はれ候事千年に近く候て、僧も天下の民に候。聖人の道は民を安んずるを本に仕候。疝気癪聚の痼疾になり候は、扁鵲に療治をいたさせ候とも、是を除き申候配剤は施し不申事に候。蛇蝎毒虫も天地の化育をもれ不申候。まして仏法も末の世には相応の利益も有之候。たゞ是非邪正の差別つよく御入候故、如此御誤有之候と存候。従来蒙御懇意候儀に候故、不顧思召申入候。以上。
書き下し
孔子は博奕もやむに賢れりと被仰候。人は只ひまにてあられぬ物にて候。ひまにて居候へば、さびしきまゝに種々の悪敷事出来候物に候故、孔子も如此被仰候事、聖人は人情をよく御存知候故に候。此所より御見ひらき候はゞ、天下国家を治め候事も、掌に運らすごとく可有御座候。年寄候ては、奉公の勤をも辞し、声色の好も薄くなり、年頃かたらひ候朋友も次第に少くなり、若き人はわが同士にあらず候。家事は子供に譲りぬれば再いろふべきにも無之、次第に無聊に成行候事に候。あるひは棋象戯双六にても打ち、寺参談議参、宿に候時は、念仏にても申候より外はさりとては所作無之事に候を御制当候はゞ、何を所作として寂寥を御慰可被成候はん哉、老後の境界思召やらるべく候。其上仏法世上に行はれ候事千年に近く候て、僧も天下の民に候。聖人の道は民を安んずるを本に仕候。疝気癪聚の痼疾になり候は、扁鵲に療治をいたさせ候とも、是を除き申候配剤は施し不申事に候。蛇蝎毒虫も天地の化育をもれ不申候。まして仏法も末の世には相応の利益も有之候。たゞ是非邪正の差別つよく御入候故、如此御誤有之候と存候。従来蒙御懇意候儀に候故、不顧思召申入候。以上。
現代語訳
孔子は「博奕(すごろくや囲碁)でも、何もしないよりはましだ」とおっしゃいました。人はただ暇でいられないものです。暇でいると、寂しさのあまりいろいろ悪いことが起こるものなので、孔子もこのようにおっしゃったのであり、それは聖人が人情をよくご存じだったからです。ここから目を開かれれば、天下国家を治めることも、手のひらの上で転がすようにたやすいでしょう。年を取ると、奉公の勤めも辞め、色や音曲の好みも薄くなり、長年語り合った友も次第に少なくなり、若い人は自分の仲間ではありません。家のことは子供に譲ってしまえば再び手を出すわけにもいかず、だんだん所在なくなっていくものです。碁・将棋・双六でも打ち、寺参りや説法の聴聞に出かけ、家にいるときは念仏でも唱えるより他に、さてすることもないのに、それをお止めになったら、何をして寂しさを慰められるでしょうか。老後の境遇を思いやってください。そのうえ仏法が世に行われて千年近くになり、僧も天下の民です。聖人の道は民を安んじることを根本とします。疝気や癪(腹の持病)が持病になってしまったら、扁鵲(古代の名医)に治療させても、これを取り除く処方は施さないものです。蛇や蠍、毒虫も天地の化育(万物を生み育てる働き)から漏れてはいません。まして仏法も末の世にはそれ相応の利益もあります。ただあなたは是非・邪正の区別をつける気持ちが強くていらっしゃるので、このような誤りがあったのだと思います。これまでご懇意をいただいてきたので、お気持ちを顧みずに申し上げました。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中問ふ。文帝は百金の費を惜しみて、敢へて露台を作らず。而るに文王は則ち台を為り沼を為る者は、何ぞや。曰く、先王の城を築き門を造り、台榭苑囿の類を創むるは、一は以て国の為にし、一は以て民の為にす。其の国の為にする者も亦民の為なるのみ。徒に遊観の為に敢へて興作するに非ざるなり。魯人長府を為る。閔子騫曰く、旧貫に仍らば之を如何。何ぞ必ずしも改め作らん、と。春秋に一土木の興りも必ず書する者は、民力を重んずればなり。夫れ広堂大厦は、倉廩の積に起こる。倉廩の積は、民の耒耜に出づ。耒耜の微、積みて斗升の粟と為る。斗升の粟、積みて倉廩に充つ。倉廩の積、溢れて広堂大厦と為る。人皆広堂大厦の成るは倉廩に起こることを知りて、本耒耜の微に出づることを知らざるなり。聶夷中の詩に曰く、禾を鋤きて日午に当たる、汗は滴る禾下の土。誰か識らん盤中の餐、粒粒皆辛苦なるを、と。其の国の為民の為に非ずして、漫りに興作する者は、邦本を固むる所以を知らざるなり。夫の文王の台沼を為るがごときは、民と楽しみを同じくするの至りにして、庶民子のごとく来たり、日ならずして之を成す。槩して之を論ずべからざるなり。
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『君子訓』巻之下一秦始皇の子二世皇帝の曰、凡天下を有つを貴しとするは、唯意を恣にし、慾を極めて楽む故なり。下を治むるには、唯法度を厳しくして下を制すれば、民上を犯さずして乱起らずと言へり。是秦の天下を失へるゆゑんなり。秦より以下、天下を治むること能はずして、天下を失ひ、身を亡ぼせる人多きは、皆此ゆゑなり。天下を有ちては、唯善を行ひて、広く民を憐み恵みて、万民各其所を得るを以て、楽とすべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻三有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり、破損せる故に、湿気あがり、風霧冷かにして、玉体おかされつべし、臣下等造作すへき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり、民定めて愁ひあるべし、秋を待て造るべし、湿気に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり、天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし、天地に合はゝ身を侵すべからず、と云ふて終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり、
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『君子訓』巻之中一民豊なれば奢りて法に背くといふ人あり。是政を為る道を知らざるなり。民貧しければ盗む心を生ず。民を憐みて衣食乏しからず、困究せしめざるは、盗を止むる基なり。法度を明かにして、民に分限を守らしむれば、豊なれども奢る事なし。如斯にして民其分を踰えて奢り怠り、或は盗する者あらば、罪に行ひて許すべからず。民は愚なる者なれば、まかせ置きては治るべきやうなし。衣食不足なきやうにして、其奢怠を戒め、罪に陥らしめぬは、政をするの道なり。
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『呻吟語』外篇・治道・皆な吾が民なり天下の民は皆な朝廷の民なり、皆な天地の民なり、皆な吾が民なり。
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『呻吟語』外篇・治道・惟だ邱民のみ收拾し難し無事の時は惟だ邱民のみ蹂踐し好し。吏卒より以上、人人得て之を魚肉す。有事の時は惟だ邱民のみ收拾し難し。天子と雖も亦た躲避する處無し。何ぞ況んや衣冠をや。此れ詩を誦し書を讀む者と道ひ難きなり。
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