徂徠先生答問書 / 卷上
一被仰下候勇氣の不足の儀、武門には尤なる御僉議に候。聖人の道も、知仁勇を三達德と申候て、君子は勇なくて不叶事に候。大抵はしらぬ事をあやぶみ、なれぬ事には氣遣申事、人情の常にて御座候。たとへば船頭の風波を恐れ候はぬは勇に似候へ共、馬にのせ候へば恐れ候。世に武篇者と被申候人も、禮法の場に至り候へば。殊の外に臆候事有之候は、皆しらずなれぬ事故に候。又幼兒の、晝の間は遊び戯れ候坪の內を、夜中になれば恐れ候は、物の分ち目に見え不申故に候。然ども道理を知れば危ぶみ不申物と存じ、道理をしらんと計致し候へば、知れば知るほど疑生じ氣遣多く成申物に候。只何となくなれ候事第一に候。初の程は先こらへ候て其事になれ候へば、後には氣遣も危ぶみも次第にうせ行候事は、習れ候へば、其事にわたりてよく存候故に御座候。さればなれ不申儀に臆し申候とて、元來の勇氣の不足にては無御座候。
新字:一被仰下候勇気の不足の儀、武門には尤なる御僉議に候。聖人の道も、知仁勇を三達徳と申候て、君子は勇なくて不叶事に候。大抵はしらぬ事をあやぶみ、なれぬ事には気遣申事、人情の常にて御座候。たとへば船頭の風波を恐れ候はぬは勇に似候へ共、馬にのせ候へば恐れ候。世に武篇者と被申候人も、礼法の場に至り候へば。殊の外に臆候事有之候は、皆しらずなれぬ事故に候。又幼児の、昼の間は遊び戯れ候坪の内を、夜中になれば恐れ候は、物の分ち目に見え不申故に候。然ども道理を知れば危ぶみ不申物と存じ、道理をしらんと計致し候へば、知れば知るほど疑生じ気遣多く成申物に候。只何となくなれ候事第一に候。初の程は先こらへ候て其事になれ候へば、後には気遣も危ぶみも次第にうせ行候事は、習れ候へば、其事にわたりてよく存候故に御座候。さればなれ不申儀に臆し申候とて、元来の勇気の不足にては無御座候。
書き下し
一被仰下候勇気の不足の儀、武門には尤なる御僉議に候。聖人の道も、知仁勇を三達徳と申候て、君子は勇なくて不叶事に候。大抵はしらぬ事をあやぶみ、なれぬ事には気遣申事、人情の常にて御座候。たとへば船頭の風波を恐れ候はぬは勇に似候へ共、馬にのせ候へば恐れ候。世に武篇者と被申候人も、礼法の場に至り候へば。殊の外に臆候事有之候は、皆しらずなれぬ事故に候。又幼児の、昼の間は遊び戯れ候坪の内を、夜中になれば恐れ候は、物の分ち目に見え不申故に候。然ども道理を知れば危ぶみ不申物と存じ、道理をしらんと計致し候へば、知れば知るほど疑生じ気遣多く成申物に候。只何となくなれ候事第一に候。初の程は先こらへ候て其事になれ候へば、後には気遣も危ぶみも次第にうせ行候事は、習れ候へば、其事にわたりてよく存候故に御座候。さればなれ不申儀に臆し申候とて、元来の勇気の不足にては無御座候。
現代語訳
お尋ねの勇気が足りないという件は、武家としてまことにもっともなご詮議です。聖人の道でも知・仁・勇を三達徳(天下に通じる三つの徳)といい、君子に勇がなくては叶いません。たいてい人は知らないことを危ぶみ、慣れないことには気後れするのが人情の常です。たとえば船頭が風や波を恐れないのは勇に似ていますが、馬に乗せれば恐れます。世に武辺者と言われる人も、礼法の場に出ると意外なほど臆することがあるのは、みな知らず慣れていないからです。また幼い子が昼のあいだ遊び戯れる庭先を夜になると怖がるのは、物の見分けがつかないからです。しかし、道理を知れば危ぶまなくなるものだと考えて道理を知ろうとばかりすると、知れば知るほど疑いが生じ、心配が多くなるものです。ただ何となく慣れることが第一です。初めのうちはまずこらえてその事に慣れれば、後には心配も危ぶみもしだいに消えていくのは、習ううちにその事に通じてよく分かるようになるからです。ですから、慣れないことに臆するからといって、もともとの勇気が足りないのではありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』文公二年 狼瞫、死所を得る瞫曰く、「《周志》に之れ有り、『勇にして則ち上を害するは、明堂に登らず』と。死して義ならざるは、勇に非ざるなり。共に用ゐらるる之を勇と謂ふ。吾勇を以って右を求む。勇無くして黜けらるるは、亦た其の所なり。上我を知らずと謂ふも、黜けられて宜ならば、乃ち我を知るなり。子姑く之を待て」と。彭衙に及びて既に陳し、其の屬を以って秦の師に馳せ、焉に死す。晉の師之に從ひ、大いに秦の師を敗る。君子謂ふ、狼瞫是に於いてか君子なり、と。《詩》に曰く、「君子如し怒らば、亂庶(こひねが)はくは遄(すみ)やかに沮(や)まん」と。又曰く、「王赫として斯れ怒り、爰に其の旅を整ふ」と。怒りて亂を作さず、而して以って師に從ふ、君子と謂ふ可し。秦伯猶ほ孟明を用ふ。孟明增して國政を脩め、重ねて民に施す。趙成子諸大夫に言ひて曰く、「秦の師又至らば、將に必ず之を辟けんとす。懼れて德を增す、當たる可からざるなり。《詩》に曰く、『爾が祖を念ふ毋からんや、聿(ここ)に厥の德を脩む』と。孟明之を念へり。德を念ひて怠らず、其れ敵す可けんや」と。
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『春秋左氏伝』哀公二年 鉄の戦い下卿の罰なり」と。甲戌、將に戰はんとす。郵無恤、簡子に御たり、衛の太子右たり。鐵上に登り、鄭の師の眾きを望見す。大子懼れ、自ら車下に投ず。子良、大子に綏を授けて之に乘らしめて曰く、「婦人なり」と。簡子列を巡りて曰く、「畢萬は匹夫なり。七たび戰ひて皆獲、馬百乘を有ちて、牖下に死せり。群子之を勉めよ。死は寇に在らず」と。繁羽、趙羅に御たり、宋勇右たり。羅勇無く、之を麇(つな)ぐ。吏之を詰る。御對へて曰く、「痁作りて伏せり」と。衛の大子禱りて曰く、「曾孫蒯聵、敢へて昭らかに皇祖文王・烈祖康叔・文祖襄公に告ぐ。鄭勝は亂に從ひ、晉午は難に在りて、亂を治むる能はず、鞅をして之を討たしむ。蒯聵敢へて自ら佚せず、矛を持するに備はる。敢へて告ぐ、筋を絕つこと無く、骨を折ること無く、面を傷つくること無く、以て大事を集(な)さしめよ。三祖の羞と作ること無からん。大命は敢へて請はず。佩玉は敢へて愛まず」と。鄭人、簡子を擊ちて肩に中つ。車中に斃る。其の蜂旗を獲たり。大子之を救ふに戈を以てす。鄭の師北(に)ぐ。溫の大夫趙羅を獲たり。大子復た之を伐つ。
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孫子・九地篇吾が士に余財無きは、貨を悪むに非ざるなり。余命無きは、寿を悪むに非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕襟を沾し、偃臥する者は涙頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、則ち諸・劌の勇なり。
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論語・述而篇子、顔淵に謂いて曰く、「之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。惟だ我と爾と是れ有るかな。」子路曰く、「子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。」子曰く、「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」
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説苑・立節士君子の勇有りて行に果なる者、以て節を立て誼を行わずして、妄死非名を以てするは、豈に痛ましからずや。士殺身以て仁を成し、害に触れて以て義を立て、節理に倚りて死地を議せざる有り。故に能く身死して名来世に流る、勇断有るに非ずんば、孰か能く之を行わんや。
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言志四録・言志耋録 第二百三十九条 真勇は怯なるが如し真勇は怯なるが如く、真智は愚なるが如く、真才は鈍なるが如く、真巧は拙なるが如し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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