説苑 / 立節
士君子之有勇而果於行者,不以立節行誼,而以妄死非名,豈不痛哉!士有殺身以成仁,觸害以立義,倚於節理而不議死地;故能身死名流於來世,非有勇斷,孰能行之?
新字:士君子之有勇而果於行者,不以立節行誼,而以妄死非名,豈不痛哉!士有殺身以成仁,触害以立義,倚於節理而不議死地;故能身死名流於来世,非有勇断,孰能行之?
書き下し
士君子の勇有りて行に果なる者、以て節を立て誼を行わずして、妄死非名を以てするは、豈に痛ましからずや。士殺身以て仁を成し、害に触れて以て義を立て、節理に倚りて死地を議せざる有り。故に能く身死して名来世に流る、勇断有るに非ずんば、孰か能く之を行わんや。
現代語訳
士や君子であって勇気があり行動力に富む者が、節義を立てて正しい行いをするのではなく、無謀な死によって不名誉を招いてしまうのは、なんと痛ましいことか。士には、身を殺して仁を成し遂げ、危害に触れてでも義を打ち立て、節義の道理に則って死地に赴くことを厭わない者がいる。だから、そうした人物は身が死んでもその名は後世に伝わるのであって、真の勇気ある決断力がなければ、誰がこれを実行できようか。
解説
立節篇の総論にあたるこの章は、勇気そのものには価値の優 劣がないことを鋭く指摘する。同じ「死を恐れぬ勇気」であっても、無謀な蛮勇による犬死にと、義のために命を懸ける覚悟とはまったく別物であり、後者だけが名を後世に残すとされる。現代社会でも、無鉄砲な行動力や過激な自己主張が「勇気」と混同されがちだが、その行動が何のための犠牲なのか、誰かのため、正義のためという核があるかどうかで、その価値は天と地ほど異なる。勇気を発揮する前に、その勇気が何に仕えるのかを問い直す姿勢が求められている。
この章句が説くこと
勇気節義犬死
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