春秋左氏伝 / 文公二年 狼瞫、死所を得る
瞫曰:「《周志》有之:『勇則害上,不登於明堂。』死而不義,非勇也。共用之謂勇,吾以勇求右,無勇而黜,亦其所也。謂上不我知,黜而宜,乃知我矣。子姑待之!」及彭衙既陳,以其屬馳秦師,死焉。晉師從之,大敗秦師。君子謂狼瞫於是乎君子。《詩》曰:「君子如怒,亂庶遄沮。」又曰:「王赫斯怒,爰整其旅。」怒不作亂,而以從師,可謂君子矣。秦伯猶用孟明。孟明增脩國政,重施於民。趙成子言於諸大夫曰:「秦師又至,將必辟之。懼而增德,不可當也。《詩》曰:『毋念爾祖,聿脩厥德。』孟明念之矣。念德不怠,其可敵乎?」
新字:瞫曰:「《周志》有之:『勇則害上,不登於明堂。』死而不義,非勇也。共用之謂勇,吾以勇求右,無勇而黜,亦其所也。謂上不我知,黜而宜,乃知我矣。子姑待之!」及彭衙既陳,以其属馳秦師,死焉。晋師従之,大敗秦師。君子謂狼瞫於是乎君子。《詩》曰:「君子如怒,乱庶遄沮。」又曰:「王赫斯怒,爰整其旅。」怒不作乱,而以従師,可謂君子矣。秦伯猶用孟明。孟明增脩国政,重施於民。趙成子言於諸大夫曰:「秦師又至,将必辟之。懼而增徳,不可当也。《詩》曰:『毋念爾祖,聿脩厥徳。』孟明念之矣。念徳不怠,其可敵乎?」
書き下し
瞫曰く、「《周志》に之れ有り、『勇にして則ち上を害するは、明堂に登らず』と。死して義ならざるは、勇に非ざるなり。共に用ゐらるる之を勇と謂ふ。吾勇を以って右を求む。勇無くして黜けらるるは、亦た其の所なり。上我を知らずと謂ふも、黜けられて宜ならば、乃ち我を知るなり。子姑く之を待て」と。彭衙に及びて既に陳し、其の屬を以って秦の師に馳せ、焉に死す。晉の師之に從ひ、大いに秦の師を敗る。君子謂ふ、狼瞫是に於いてか君子なり、と。《詩》に曰く、「君子如し怒らば、亂庶(こひねが)はくは遄(すみ)やかに沮(や)まん」と。又曰く、「王赫として斯れ怒り、爰に其の旅を整ふ」と。怒りて亂を作さず、而して以って師に從ふ、君子と謂ふ可し。秦伯猶ほ孟明を用ふ。孟明增して國政を脩め、重ねて民に施す。趙成子諸大夫に言ひて曰く、「秦の師又至らば、將に必ず之を辟けんとす。懼れて德を增す、當たる可からざるなり。《詩》に曰く、『爾が祖を念ふ毋からんや、聿(ここ)に厥の德を脩む』と。孟明之を念へり。德を念ひて怠らず、其れ敵す可けんや」と。
現代語訳
狼瞫は言った。「『周志』にこうある。『勇ましくても上の者を害する者は、明堂(功臣をまつる堂)に登れない』と。死んでも義にかなわないのは勇ではない。国のために共に用いられて死ぬことを勇というのだ。私は勇によって車右の地位を求めた。それなのに勇がないとして退けられたのなら、それもまたもっともなことだ。上の者が私を分かっていないと言うが、もし退けられたことが正しかったなら、それこそ私を分かっていたということになる。君はしばらく待っていてくれ」。彭衙の戦いで両軍が陣を布くと、狼瞫は自分の部下を率いて秦軍に突撃し、そこで戦死した。晋軍はそれに続いて、秦軍を大いに破った。君子は、狼瞫はこのことによって君子と言えると評した。『詩経』に「君子がもし怒れば、乱はすみやかにやむ」とあり、また「王は赫然として怒り、そこでその軍を整えた」とある。怒っても乱を起こさず、その怒りをもって軍に従った。君子と言うべきである。秦伯(穆公)はそれでも孟明を用い続けた。孟明はますます国の政治を整え、民に手厚く施した。趙成子(趙衰)は晋の大夫たちに言った。「秦軍がまた来たら、必ず避けるべきだ。敗北を恐れて徳を増している者には、立ち向かえない。『詩経』に『汝の祖先を思わずにいられようか。そこでその徳を修める』とある。孟明はこれを心に留めている。徳を思って怠らない者に、敵対できようか」。
解説
この章句が説くこと
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