徂徠先生答問書 / 卷上
歷史の內にて、史記左傳は良史の筆にて、事の有樣を今目に見るごとくかき取り候故、第一面白く覺え、見る內に事の情心に移り、感發いたし候德御座候。殊に上代の書にて御座候故、古學の風儀殘り候て、宋學の學問の窠臼に落不申候益も有之候。資治通鑑は綱目より勝り申候へども、文章拙く候故、事の情心に移りがたく、感發の益無之候。乍去遠國は書籍も乏敷候へば、何れなり共、只國々を遍歷なされ長壽にて古今を御見わたし候心にて、理窟をば何共御つけなく、ひたもの御覽被成候はゞ、何れも〳〵得益むなしかる間敷候。以上。
新字:歴史の内にて、史記左伝は良史の筆にて、事の有様を今目に見るごとくかき取り候故、第一面白く覚え、見る内に事の情心に移り、感発いたし候徳御座候。殊に上代の書にて御座候故、古学の風儀残り候て、宋学の学問の窠臼に落不申候益も有之候。資治通鑑は綱目より勝り申候へども、文章拙く候故、事の情心に移りがたく、感発の益無之候。乍去遠国は書籍も乏敷候へば、何れなり共、只国々を遍歴なされ長寿にて古今を御見わたし候心にて、理窟をば何共御つけなく、ひたもの御覧被成候はゞ、何れも〳〵得益むなしかる間敷候。以上。
書き下し
歴史の内にて、史記左伝は良史の筆にて、事の有様を今目に見るごとくかき取り候故、第一面白く覚え、見る内に事の情心に移り、感発いたし候徳御座候。殊に上代の書にて御座候故、古学の風儀残り候て、宋学の学問の窠臼に落不申候益も有之候。資治通鑑は綱目より勝り申候へども、文章拙く候故、事の情心に移りがたく、感発の益無之候。乍去遠国は書籍も乏敷候へば、何れなり共、只国々を遍歴なされ長寿にて古今を御見わたし候心にて、理窟をば何共御つけなく、ひたもの御覧被成候はゞ、何れも〳〵得益むなしかる間敷候。以上。
現代語訳
歴史書の中では、『史記』『左伝』は優れた史家の筆で、事のありさまを今目に見るように書き取っているので、まず面白く覚えられ、読むうちに事の情が心に移って、感じ奮い立つ徳があります。とりわけ上代の書なので、古の学問の風が残っていて、宋学の学問の型にはまらない益もあります。『資治通鑑』は『綱目』よりは勝っていますが、文章が拙いので、事の情が心に移りにくく、感じ奮い立つ益がありません。とはいえ、遠国は書物も乏しいでしょうから、どれでもよいので、ただ国々を巡り歩き、長生きして古今を見渡すような心持ちで、理屈は何も付けずに、ひたすらご覧になれば、どれであっても益がむなしいことはないでしょう。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷上一此間歴史を御覧被成候由、一段の思召と存候。通鑑綱目を御覧被成候由、同じ事にて資治通鑑よく御座候。資治通鑑はかきつゞけにて候故、渺々といたし候て御覧被成がたく可有御座候。其時は目録を御覧可被成候。通鑑綱目の、綱は目録にて候、目は本文にて候。されば資治通鑑と別に替候事も無御座候へども、綱の書様目録と違候て、一字之褒貶と申ことを立候て書申候故、被成御覧候内早く理窟たち候て、御学問の風朱子流の理窟に罷成可申候。此段気の毒に存候事に候。
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『慎思録』巻之四朱子曰く、先づ史記を読み、次に左伝を看、次に通鑑を看る。余力有らば則ち全史を看よ、と。愚謂へらく、史を読むの序は、当に此の如くなるべし。左伝を読む者は、国語戦国策も亦た兼ね読むべし。朱子の通鑑と称する者は、是れ温公の通鑑なり。此の書は之を綱目に比ぶれば、其の事を記すや、本末詳備なり。学者余暇有らば、則ち須らく兼ねて之を読むべし。然れども其の書甚だ広博なるが為に、学者の周覧に倦む所以なり。
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『和俗童子訓』巻之三・読書法一史は古を記せるふみなり。記録の事なり。史書は往古の迹をかんがへて、今日の鑑とする事なれば、是亦経につぎて必読むべし。経書を学ぶいとまに、和漢の史を読み、古今に通ずべし。古今に通ぜざれば、くらくして用に達せず。日本の史は、日本紀以下六国史より、近代の野史に至るべし。野史も亦多し、広く見るべし。中夏の史は、左伝史記、漢書以下なるべし。朱子綱目の書は、歴代を通貫し、世教を助けて、天下万世に益あり。経伝の外、是に及べる好書はあるべからず。此一書を出でずして、古の事に通じ、善悪を弁じ、天下国家を治むる道理明なり。誠に世の宝なり。学者是を好んで玩覧すべし。殊に国家を治むる人の鑑なり。又通鑑前編続編をも見るべし。前編伏犠より周まで、朱子綱目以前の事を記せり。続編は宋元の事を記す。朱子綱目以後の事なり。是に続きて、皇明通記、皇明実記などを見れば、古今に貫通す。
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『徂徠先生答問書』卷下被仰下候筋にて相考候得ば、只今迄専宋学を被成候と相見え候。学問の仕形宋朝に至候て別に一流出来候て、古聖人の教法と各別に罷成候。依是宋朝の窠窟に落候ては、学問の進候事曽て有之間敷候。四書五経の新註大全等、宋儒の語録類、詩文にては東坡山谷三体詩瀛奎律髄の類、歴史にては通鑑綱目の書法発明等、皆損友と可被思召候。経学は古註、歴史は左伝国語史記前漢書、文章は楚辞文選韓柳迄は不苦候。惣て漢以前の書籍は、老荘列の類も益人之知見候。是も林希逸解は悪敷候。詩は唐詩選唐詩品彙、是等を益友と可被思召候。明朝の李空同何大復李于鱗王元美詩文宜敷候得共、是は遠境書籍有之間敷存候。先有增右の通と可被思召候。
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『徂徠先生答問書』卷下詩書二経御会読被成候半由一段の儀候。孔子の時分は詩書より外に書物は無之候、論語孟子礼記等に引有之候も、外の書と申物は無之、詩云書云と計有之候。詩書を御学候は古代の学問にて候故珍重不過之存候。但し新註ならで其元に無之候由、左候はゞ新註にて成共、本文の文面を済し候迄に御覧可然存候。誠に詩経朱伝は朱子の作の内にて不出来なる物故害も少く候。書経新註は、蔡沈が作にてたわひもなき物に候。書経は旁通通考と申物をつけ御覧被成候がよく御座候。詩経は世本古義と申物能候へ共和板に無之候。せめて説約にて成共御覧可被成候。
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『童子問』卷下史を読むの法を問ふ。曰く、経は道を載する者なり。史は道を以て之を裁する者なり。故に道を知る者に非ざれば、則ち史の用を尽くすこと無きなり。大凡史を読むには、涑水の通鑑、朱子の綱目を以て要と為す。本末相貫き、次第相承け、古今の治乱成敗、犂然として畢く見ゆ。史家の権衡と謂ふべきなり。一代の治乱得失、典故人物を観んと欲せば、須らく正史を見るべし。万目挙がりて紀綱正しからざる者有り、紀綱正しくして人意に満たざる者有り、紀綱万目を併せて漫然として統無き者有り。是れ史を看るの要なり。此の方の学者、大類史を以て小説の流と做して看る。笑ふべきの甚だしきなり。古今の史臣、卓識有る者寡なし。其の著す所の論賛、膚浅冗雑にして、観るに足る者無し。須らく諸儒の論評を考へて、以て断と為すべし。但其の間に議論刻薄にして、反つて実を失ふ者有り。弁ぜざるべからず。史を読むには、須らく経を以て断と為すべし。史中より功夫を作すこと勿かれ。晦翁は老泉父子の学、皆史記・戦国策中より功夫を作すことを議す。又東萊の博学純正を以てすら、猶其の全体史学なるを譏る。皆聡門頂上の一針なり。
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