童子問 / 卷下
問讀史之法。曰。經載道者也。史以道裁之者也。故非知道者。則無盡史之用也。大凡讀史。以涑水通鑑朱子綱目爲要。本末相貫。次第相承。古今治亂成敗。犂然畢見矣。可謂史家之權衡也。欲觀一代之治亂得失典故人物。須見正史。有萬目擧。而紀綱不正者。有紀綱正。而不滿人意者。有併紀綱萬目。漫然無統者。是看史之要也。此方學者。大類以史做小說之流看。可笑之甚。古今史臣。有卓識者寡矣。其所著論贊。膚淺冗雜。無足觀者。須考諸儒論評。以爲斷。但其間有議論刻薄。反失實者。不可不辨。讀史。須以經爲斷。勿從史中作功夫。晦翁議老泉父子之學。皆從史記戰國策中作功夫。又以東萊之博學純正。猶譏其全體史學。皆聰門頂上之一針也。
新字:問読史之法。曰。経載道者也。史以道裁之者也。故非知道者。則無尽史之用也。大凡読史。以涑水通鑑朱子綱目為要。本末相貫。次第相承。古今治乱成敗。犂然畢見矣。可謂史家之権衡也。欲観一代之治乱得失典故人物。須見正史。有万目挙。而紀綱不正者。有紀綱正。而不満人意者。有併紀綱万目。漫然無統者。是看史之要也。此方学者。大類以史做小説之流看。可笑之甚。古今史臣。有卓識者寡矣。其所著論賛。膚浅冗雑。無足観者。須考諸儒論評。以為断。但其間有議論刻薄。反失実者。不可不弁。読史。須以経為断。勿従史中作功夫。晦翁議老泉父子之学。皆従史記戦国策中作功夫。又以東萊之博学純正。猶譏其全体史学。皆聰門頂上之一針也。
書き下し
史を読むの法を問ふ。曰く、経は道を載する者なり。史は道を以て之を裁する者なり。故に道を知る者に非ざれば、則ち史の用を尽くすこと無きなり。大凡史を読むには、涑水の通鑑、朱子の綱目を以て要と為す。本末相貫き、次第相承け、古今の治乱成敗、犂然として畢く見ゆ。史家の権衡と謂ふべきなり。一代の治乱得失、典故人物を観んと欲せば、須らく正史を見るべし。万目挙がりて紀綱正しからざる者有り、紀綱正しくして人意に満たざる者有り、紀綱万目を併せて漫然として統無き者有り。是れ史を看るの要なり。此の方の学者、大類史を以て小説の流と做して看る。笑ふべきの甚だしきなり。古今の史臣、卓識有る者寡なし。其の著す所の論賛、膚浅冗雑にして、観るに足る者無し。須らく諸儒の論評を考へて、以て断と為すべし。但其の間に議論刻薄にして、反つて実を失ふ者有り。弁ぜざるべからず。史を読むには、須らく経を以て断と為すべし。史中より功夫を作すこと勿かれ。晦翁は老泉父子の学、皆史記・戦国策中より功夫を作すことを議す。又東萊の博学純正を以てすら、猶其の全体史学なるを譏る。皆聡門頂上の一針なり。
現代語訳
歴史を読む方法を問うた。答える。経書は道を載せたものである。歴史は道によって裁くべきものである。だから道を知る者でなければ、歴史の効用を尽くすことはできない。おおよそ歴史を読むには、司馬光(涑水)の『資治通鑑』と朱子の『通鑑綱目』を要とする。始めと終わりが貫かれ、順序が受け継がれて、古今の治乱成敗がくっきりとすべて見える。歴史家にとっての物差しと言うべきである。ある時代の治乱得失や制度・故実・人物を見ようとするなら、正史を見なければならない。細目は整っているのに大綱が正しくないもの、大綱は正しいのに人の意に満たないもの、大綱も細目もともに漫然として統一のないものがある。これが歴史を見るときの要点である。わが国の学者は、たいてい歴史を小説の類とみなして読んでいる。笑うべきことはなはだしい。古今の史官には、すぐれた見識をもつ者は少ない。彼らの書いた論賛は浅くて冗漫で雑然とし、見るに足るものはない。諸儒の論評を参照して判断の拠り所にしなければならない。ただしその中には、議論が刻薄で、かえって事実を見失っているものもある。見分けなければならない。歴史を読むには、経書を判断の基準としなければならない。歴史の中から工夫を立ててはならない。朱子(晦翁)は、蘇洵(老泉)父子の学問がみな『史記』や『戦国策』の中から工夫を立てていることを批判した。また呂祖謙(東萊)ほどの博学で純正な人でさえ、その学問全体が史学であることを譏った。いずれも頭の急所に打ちこむ一本の鍼のような戒めである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一学者は必ず道に通じて、而る後に君子の学と為すべし。故に孝弟忠信を修むるの余暇、須らく義理を研究し聡明を開発するを以て務めと為すべし。苟も然らざれば、則ち博学広聞、経義詳審なりと雖も、道に通ずること能はず、徒らに記誦訓詁の習ひのみ。何を以てか天下の事理を判断し、天下の是非を弁別して、差失無かるべけんや。且つ或いは雕虫の文、藻飾の詞を以て事と為す。巧みなりと雖も、亦何ぞ己に益し人に補ふこと有らんや。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之一人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。
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『慎思録』巻之四食は以て生を養ふ。饕餮なる者は此を以て生を傷る。薬は以て人を救ふ。庸医は此を以て人を殺す。学は以て性を治む。小人は此を以て性を傷る。此の三者は、本是れ人を益するの物事なり。然り而して人を害すること此の如きは、之を用ふるの其の道を失ふに由るなり。
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