導師導古典を学びたいすべての人に

徂徠先生答問書 / 卷上

總じて學問は飛耳長目の道と荀子も申候。此國に居て見ぬ異國の事をも承候は、耳に翼出來て飛行候ごとく、今の世に生れて、數千載の昔の事を今目にみるごとく存候事は、長き目なりと申事に候。されば見聞廣く事實に行わたり候を學問と申事に候故、學問は歷史に極まり候事に候。古今和漢へ通じ不申候へば、此國今世の風俗の內より目を見出し居候事にて、誠に井の內の蛙に候。常ていの世上の人も、功者なる人ならでは物の用には立不申候。功者と申候は老人に有之物に候。國を多く見候老人殊に宜候。然共無學の人はわが年に限有之候故、五六十年以來の事ならでは不存候。何程國を多く見候共、六十餘州は見盡され不申候。是にて御了簡可被成候。

新字:総じて学問は飛耳長目の道と荀子も申候。此国に居て見ぬ異国の事をも承候は、耳に翼出来て飛行候ごとく、今の世に生れて、数千載の昔の事を今目にみるごとく存候事は、長き目なりと申事に候。されば見聞広く事実に行わたり候を学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候。古今和漢へ通じ不申候へば、此国今世の風俗の内より目を見出し居候事にて、誠に井の内の蛙に候。常ていの世上の人も、功者なる人ならでは物の用には立不申候。功者と申候は老人に有之物に候。国を多く見候老人殊に宜候。然共無学の人はわが年に限有之候故、五六十年以来の事ならでは不存候。何程国を多く見候共、六十余州は見尽され不申候。是にて御了簡可被成候。

書き下し

総じて学問は飛耳長目の道と荀子も申候。此国に居て見ぬ異国の事をも承候は、耳に翼出来て飛行候ごとく、今の世に生れて、数千載の昔の事を今目にみるごとく存候事は、長き目なりと申事に候。されば見聞広く事実に行わたり候を学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候。古今和漢へ通じ不申候へば、此国今世の風俗の内より目を見出し居候事にて、誠に井の内の蛙に候。常ていの世上の人も、功者なる人ならでは物の用には立不申候。功者と申候は老人に有之物に候。国を多く見候老人殊に宜候。然共無学の人はわが年に限有之候故、五六十年以来の事ならでは不存候。何程国を多く見候共、六十余州は見尽され不申候。是にて御了簡可被成候。

現代語訳

総じて、学問は「飛耳長目」の道だと荀子も言っています。この国にいて見たことのない異国の事を聞き知るのは、耳に翼ができて飛んでいくようなものであり、今の世に生まれて数千年の昔の事を今目に見るように知るのは、長い目だということです。ですから、見聞が広く事実に行き渡ることを学問と申すので、学問は歴史に極まるのです。古今和漢に通じなければ、この国の今の世の風俗の内から目を見出しているだけで、まことに井の中の蛙です。世間並みの人でも、経験を積んだ功者でなければ物の役には立ちません。功者というのは老人にいるものです。多くの国を見てきた老人はことに良いのです。しかし学問のない人は、自分の年齢に限りがあるので、五六十年来の事しか知りません。どれほど多くの国を見ても、六十余州は見尽くせません。これでお考えになってください。

解説

徂徠が荀子の語として引く「飛耳長目」は、徂徠の学問観を象徴する言葉である。遠い異国のことを聞く耳の翼と、数千年前を今見るような長い目。見聞を広げ事実に通じることが学問であり、だから学問は歴史に極まるという。経験豊かな老人は頼りになるが、一人の人生では五六十年、六十余州すら見尽くせない。歴史を読むことは、他人の何百年分の経験を借りることである。自社と同時代の常識だけで判断すれば井の中の蛙になる。経営者こそ歴史に学ぶ意味がある。

この章句が説くこと

飛耳長目歴史学問見聞経験荀子

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る