幽夢影 / 巻上・隙中に月を窺ふが如し
少年讀書,如隙中窺月;中年讀書,如庭中望月;老年讀書,如臺上玩月。皆以閲歷之淺深,爲所得之淺深耳。
新字:少年読書,如隙中窺月;中年読書,如庭中望月;老年読書,如台上玩月。皆以閲歴之浅深,為所得之浅深耳。
書き下し
少年の讀書は、隙中に月を窺ふが如し。中年の讀書は、庭中に月を望むが如し。老年の讀書は、臺上に月を玩ぶが如し。皆閲歷の淺深を以て、得る所の淺深と爲すのみ。
現代語訳
若いときの読書は、戸のすき間から月をのぞくようなものです。中年の読書は、庭に出て月を眺めるようなものです。老年の読書は、高台の上で月をゆっくり味わうようなものです。どれも、経験の浅い深いによって、得るものの浅い深いが決まるのです。
解説
年齢による読書の深まりを、月の見え方にたとえた名高い一則です。若いときはすき間から一部しか見えず、中年になると庭で月の全体を仰ぎ、老年には高台から月とそれを取り巻く景色まで味わえるようになります。同じ本でも、読む人の経験が増えるほど見えるものが広がるということです。閲歴は人生で見聞きし経験したことです。友人の黄交三は、読書の痛いところかゆいところを本当に知る言葉だと評し、畢右万は学問や修養にも同じ浅深があると添えています。若いときに読んだ本を年を重ねて読み返すと、その違いに驚くことがあります。
この章句が説くこと
読書学問経験成熟月
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